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すき!すき!すき!

2017年12月現在、樹(いつき)さんは、2歳1ヶ月。

語彙も増えてきて、いろいろな会話ができるようになっている。そんな樹さんと、これまでにもっともたくさん交わしている言葉はなにかというと、一も二もなく「すき!」を挙げることができる。

「好き」の手話を言葉で説明すると、「親指と人差し指を開いて、あごに当て、斜め前に出しながら指先をつけ合わせる」というものになる。
それにしても、手話を言葉にするのって、なんてややこしいんだろう。でも一度やってみればからだがすぐに覚えるので、もし知らなかった方は、イメージしながらぜひやってみてください。

樹さんが初めて「すき!」と言ったのはいつだったろう。正確なときは定かではないけれど、1歳を過ぎたころにはもう言えていたはずだった。

そのころはまだ手先を器用に動かすことができないので、独特なやり方による「すき」だったのをよく覚えている。

目を上向きにしながら、指が開かれた手をぐっとあごに当てて、「どこだろう、どこだろう」となにかを探るようにあごをスリスリしていた。やがて納得いく位置に収まったら、目をつぶって、鼻にしわをよせた笑みを浮かべながら、全部の指を勢いよくつけ合わせての「すき!」だった。

ぼくはそれを見るたびに、まぶしそうに目を細めたチャールズ・ブロンソンが「う~ん、マンダム」と言うときのあの絶妙な表情を思い浮かべていた。いま動画を探してみたのだけれど、やっぱりそっくりだった。

2歳になる今では、なかなかに手先も器用になっていて「う~ん、マンダム」を見ることはなくなった。そのことにはたと気づいたとき、ちょっとさみしくなった。

おやおやと感慨にふける暇もないくらいに、小さかったいのちは、どんどんたくましく、ふくよかに、ふくらんでいく。

わが家ではいろんな場面で「すき!」が飛びかっている。

こちょこちょとくすぐりまくって、よだれをだんらだらこぼしながら大笑いした後、疲れきりながらも、「でも、もう1回……やってほしいですなあ」という期待を込めた「すき!」。

叱られてすねた後、いまにもこぼれそうな涙をたたえた目で、「ごめんなさい」「ぎゅーっとしましょう」「なかなおり、しましょう」といろんな意のこもった「すき!」。

大きなシーツをまなみと樹さんぼくとでいっしょにかぶり、3人でクスクス笑う。みんなの息が入り交じった親密な空間のなかで、示し合わせたようにみんなで同時に放たれる「すき!」。

なにもない空(くう)をぽけーっと見ていたかと思うと、突然、思い出したようにいきなり放たれる「すき!」。

お義父さんの故郷である沖永良部島産の島バナナをほおばって、頬に手を当てながら「おいしー」「おいしー」と何度も言って、のけぞりながら歓喜のバナナダンスしながら天に向かって「すき!」。

そこには心とからだが直結したちからいっぱいのことばがある。
それが見えることがうれしい。めちゃくちゃにうれしい。
たぶん今かぎりの幸福だとも予感しているから。

【これは、1歳6ヶ月の「あっ、海苔!海苔!海苔、すき。食べたい!」の「すき!」】

16歳で出会った手話が、やっと自分のものとしてなじんできた20歳まで、感情と言葉がなかなか結びつかずにいたぼくとしては、樹さんの「すき!」に、心とからだの結びつきを感じることができることに安心する。

補聴器をつけていたころは、自分のことばも見えなかった。高まった気持ちを、音声で口から発した瞬間、ことばは蒸発したかのようにどこにも見えなくなる。

果たして今のことばは相手にちゃんと届いたのだろうか。そのことばかりが心配だった。逆に、相手からの言葉もふわふわと曖昧にしか聞こえてこず、ちゃんと聞けているのだろうかという心配も常だった。
その不安が、ぼく自身の感情とことばの結びつきを困難にさせていた。心とからだとことばが結びつかないことのもどかしさはもう勘弁だと思う。

だからぼくは、手話には本当に命を救われたと思っている。

だけど、樹さんは聞こえている。

保育園かあるいは小学校と、聴者の社会との関わりが深まるにつれて、音声の日本語を使う機会が増えていくだろう。そうして日本手話か、日本語か、そのあいだにいる葛藤を覚えていくだろう。

いろいろな現象がかみ合って、今につながっているわけだから、親を責めるつもりは本当にないのだけれど、ぼくの中でどうしてもどこかに「音声言語を選ばされた」という思いがある。その思いが、逆に「手話ということばの押しつけを樹さんにやってしまっているのではないか」という逡巡をもたらしている。

最近、聞こえる子どもが産まれた、ろう者の友達が言っていたことが、棘(とげ)になって心にひっかかっている。

「親と手話で話ができたからって、将来的には、役に立たないでしょう。下手な発音や文法で言葉を覚えちゃったら、子どもが恥をかくじゃん。本当に子どものためを思うなら、小さいころから社会でみんなが使う音声言語で話せるようにするべきだと思うんだよ」

日本酒を呑みながら、彼は力強い手話でそう言った。その答えに、ぼくは古くさいものを感じながらも、そのときははっきりとした異論をいうことができなかった。

あとから時間をおいてみれば、反論はいくつか思い浮かぶものの(「いま、ふたつのことばを持つってことは、いろんな人がいてこそという多様化するこれからにおいては、意外な強みになるはずだと思うよ」とか)、でも、どうも、自分でも説得力に欠けるなと思ってしまう。

その友達も両親は聴者で、中学校まで普通学校に通っていたが、コミュニケーションの限界を感じたことで、高校はろう学校に進学をする。その経歴はぼくといっしょだ。

つまりは、ことばに苦労してきた人なのだ。だから、音声をまず第一に覚えてもらいたいと考える気持ちもわかった。

そんな意見とはまったく逆に、こう言う人もいる。

「手話で教えるのが当然じゃない? わたしたちは、手話で話をしたいから、音声は絶対に出さないように気をつけている。両親がもっとも話やすいことばでいいじゃない。日本語は周りの環境に合わせて、本人が自分で自然に覚えていくよ」

「うん。たぶんそうなんだろうな」と思うが、同時に「そんなに単純なことでもないだろう」とも思う。

どうすればいいのか、正直なところ、よくわからない。

樹さんが生後半年を過ぎて、ベビーサインのようなものを言い始めたころから、ことばについてはまなみとよく話をしていた。ぼくらにとっては、なんにおいても大事なことだった。

ある夜、アルパカワイン(赤)を呑みながら、こんな話をした。

「音声を身につけて、それがふつーになっていくのは、いいんだけど、そうなっていくべきなんだけど、たぶんスムーズに話せなくなるのかなと思うと、さびしいなって思う。まなみはどう思う」

「保育園がどんなところかまだわからないけれど、音楽の時間があるでしょ。そこで覚えた音楽を教えてもらってもわからないかもしれないと考えたら、ちょっと遠い感じになるかも」

「でも保育園なら、連絡帳みたいなのあるじゃない。そこでこんな歌を歌いましたとか教えてもらえたら、なんとかなるんじゃない?」

「それだと間接的な情報になっちゃって、『樹さんから』のものじゃなくなるから、うーん……、やっぱり遠くなっちゃうかな。
 そう思うのも、今日の昼さ、ゆきの(ぼくの妹)とめいっ子で、樹さんと遊んでたの。そのとき樹さんがなんかすごく変な声出しながら、変な踊りをしてね。それを聞いてふたりが大笑いしてたの。なんかのテレビのものまねなのかな? ほんとすごくおもしろい声だったみたい。ふたりが笑いながらどんな声だったのか教えてくれるんだけど、それを聞きながら「へーえ!」と、わたしも笑ってたのね。
 その日の夕方、車で家に帰ってる途中、チャイルドシートに座ってた樹さんが、ひとりで変な顔して、手話で歌をうたっててね。それを見て、ぶははって笑ったんだけど、このときは自然体で笑えてたことに気づいて。昼間のときはがんばって笑っていたことにも気づいたの」

「その感じ、とてもよくわかる。通訳はとてもありがたいよね。……すっごくありがたいんだけど、使いなれたことばがダイレクトに伝わる感じと比べてしまうと、生の声から別のことばに変えていくあいだに、……ことばが冷めちゃうんだよね」

「わかる!」

「冷めたレバーのやきとりを食べるかんじ? そこまでではないかな。冷めたからあげかな? 理想としては、キンキンに冷えてるビールだな!」

「いやー、ジョッキ一杯まででしょ。本当にビールが美味しいのって」

「お、そうだなあ。なんかとてもリアルだな……。  
 ごはんとことばって、似てるね。熱いほうが、やっぱり美味しい。美味しくいただけるほうが、しっかりと血肉になる感じがする。サプリだけ食べて、ただ栄養がそろっていればいいってものじゃないし。
 他の人ならともかくも、自分のこどものはずの樹さんの、冷めたことば、は、うーん、うーん、……美味しいとはどうしても言えないね。
 ぼくらの場合、手話のほうが、ことばを熱いままに食べることができてウキウキできる。通訳されたことばは、どうしても冷めていて……その温度差にアレッ? て思うことがあるでしょ。ひんぱんに。

 ことばの孤独ってあるね。冷めたことばばっかり食べていると、身も心も寒くなっちゃう。
 ぼくはその感覚がどうしてもイヤで、だれかを撮影するときは、どれだけ少しのことばでも、その人自身から向けられたものを声として聴いて撮るようになったわけよ。
 写真を始めてからいろんな『ことば』があるってことを知って、ぼくなりに『ことば』を美味しく食べる方法がわかってきてさ。それからは、ことばの孤独もマシなものになったな。

 でもさ、これ、どういえばいいのか分からなくて、むつかしいんだけど、『手話がいい!』ってことじゃあ、全然、ないんだよ。逆に『日本語がいい』でもない。冷めたことば『ばっかり』食べるしかないって状態が不自然だよねってこと」

「うん。んー……。その話聞きながら、思ったんだけど。
 わたしは、樹さんに『手話か日本語か、どちらか』ではなくて、ことばはいろいろあって『いま、目の前にいるあなたとは、このことばで楽しめるんだ、通じるんだ、伝えられるんだ』ということを、本能的に感じとれるようになっていってほしい」

「なるほど」

惑いながらも、樹さんが2歳になろうかというころに、まなみとひとつの答えを出した。

「ことばの孤独に追いやることだけは、したくない。
 ひとつのことばを頑なになって押しつけることだけはやめよう。
 いまの段階で、『手話か、日本語か』のどちらかで伝えようとするのではなくて、ぼくらのからだから出てくる素直な、美味しいことばで、ぼくらのあいだの心の交わりを積み重ねていこう。
 仕事を置いてでも、貧乏になってもいいから、保育園には入れないで、3歳まではとにかくいっしょにいて、いっしょにからだを使って、いろんなところに行って、いろんな人に出会って、いろんなことばをいっしょに見ていこう。いろんなことばに出会える環境をつくっていって、ぼくらはそこに身をおこう」

結局、方向性はあやふやだし、なにも決めていないに等しいし、単純すぎるな、と自分でも思うけれど、それでも、ぼくらは「ことば」に対して、そういうスタンスに立つことにした。

それが「神話」という新しい写真シリーズを始めたきっかけのひとつでもあるし、まなみは、ぼくの妹と回遊型エスニック店「sipini」をやっていて、より精力的にイベントに出向いたりしている。

(「神話」については、稲葉俊郎さんが素敵なブログを書いてくださったのでこちらにもつなげます。稲葉さんと大友良英さんの共著書「見えないものに耳を澄ます」という書籍で、写真を撮りました。すばらしいのでぜひ)

【「神話 2年目」1日だけの展示は、来年2018年の3月にやる予定です】


思ってもいなかった人から、思ってもいなかったタイミングで、心が震えるほどにうれしい言葉あるいは行いをもらえたとき、押さえようもなく、ついつい顔はほころび、からだは浮足立ってしまうように、感情が、からだに、あふれる。

青い大海原からひょんとイルカが空にむかってジャンプする……そんなふうに「こころという大海原」から「からだという空」に向かって、具体的な姿かたちをもってひょんと突いて出ようとする感情の動きがある。

そんなふうに勢いよくほとばしり出ようとする感情の尾っぽを、指先で捕らえようとするように、樹さんの「すき!」は、どこか慌てた感じを伴いながら、くしゃくしゃな顔とともにうたわれている。

ぼくには、それがまぶしい。

心とからだがつながっていると思える「すき!」が、まぶしい。まぶしくて、まぶしくて、切ないほどにまぶしくて!

いつもたまらない思いに、胸がいっぱいになる。

樹さんの「すき!」にうれしくなりながら、ぼくも同じように「すき!」と返す。話のつながりがあろうがなかろうが、とにかく「すき!」と返す。特に意味はない。

すると、樹さんもニコーっと、あるいは、にやにやと、あるいは、フン! とそっぽをむいて「ノー!(「ダメだよ!」と言う代わりに「ノー!」と言っていた)」と手を振って否定したりしながらも、やがては必ず「すき!」と返してくれる。

それをみてぼくはまた「すき!」と言う。また樹さんも返す。

そうして「すき!」のラリーが始まる。

「すき!」「すき!」「すき!」「すき!」ひひひ。「すき!」「すき!」「すき!」「すき!」くすくすくす。「すき!」「すき!」

美しいおまえをなにがなんでも
美しいおまえを俺はいまでも
美しいおまえをなにがなんでも
美しいおまえを俺はいまでも

愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる

これは町田町蔵(康)さんの歌で、このあとにも「愛してる」だけが『町田康全歌詩集』(角川文庫)で3ページも続く。

延々と続く無数の「愛してる」を初めて読んだとき、わけのわからない感動におそわれた。
それまでに経験したことがない奇妙な感動の感触だったために、その本を初めて手にとった図書館で、思わず、ふははっと笑ったことを憶えている。

20歳になろうかというころだったと思う。
ぼくが唯一そらで言える歌詞でもある。

「歌詞集」というからには、これもまた歌われたのだろう。
そう思いながら、目ン玉をぎょろりと剥いて、ろくな息継ぎもしないままに顔を真赤にしながら「愛してる」とシャウトしつづける町田さんの姿を思い浮かべる。その姿はちょっと怖いながらも、どこかで笑いを抑えられずにいられない。

だから当時は、人を笑わせるための歌詞なんだというふうに思っていた。

だけど、樹さんとの「すき!」のラリーを通して、この歌詞を初めて読んだときの感動がよみがえってきて、驚いた。

「あ、町田さん、ほんとうのことを歌っていたんだ」と、15年越しで気づいて、震えた。

何回、何回、何回、あほみたいに「すき!」と交わしあっても、その言葉の重みは、まるっきり損なわれることがない。それどころか、より強度を増し、より深みをましていく。

「何度もくり返すと、ことばが安っぽくなる」という概念とはまるきり別のところにあるやりとりだった。

積み木をこつこつと重ねるように、好意とは積み重ねるものだと思っていた。

積み重ねるという宿命ゆえに、崩れてしまいかねないという可能性もはらんでいる。それだからこそ、好意を伝えることには慎重になる。
むやみやたらに言わず、ここぞというところで大切に、適切に、ひとつ「すき」と出しながら、こつこつと、すべてが瓦解しないようにと、盤石に積み重ねていく。大切な人への愛を示すことばとはそういうものだと、ぼくは思っていた。

だけど、樹さんと交わす「すき!」は、それとはまったく違った。

どれだけ「すき!」がたくさん飛び交おうとも、ひとつひとつがどれも等しく、きらきら美味しく輝いている。そこにはどんどんどん、吸収していく底なしの器がある。

すべての子どもという存在が抱えている「器」というものは、きっと、とてつもないほどに深いものなのだろう。

たとえ、それが暴力であったとしてもそのどこかに愛を見出して、自分の大切な思い出として慈しむことができるくらいに、深い。

その器に集まるものは、積み重ねられてはいない。
注げば注ぐほどに、器自体が、水風船のように拡張していく……そんなイメージが浮かぶ。
樹さんと「すき!」のラリーを交わしながら、器がどこまでもふくらんでいくのを感じる。

そして、それは、ぼく自身の器もそうなのだ。

自分の器もこんなにもふくらむとは、と驚いてしまう。人間の底知れない可能性を感じずにはいられない。それが単純に楽しい。有り得ないはずだと思っていたものが、有り得ることをしらしめてくれたことに、とてつもなく「有り難い」と思う。


これから樹さんの「ことば」がどうなっていくのかは、わからない。

わからないのだけれど、いま、ぼくらは毎日たくさんの「すき!」を、美味しく食べることができている。極上の「すき!」によって、器がひろがって、血肉になっている。

そのことを強く実感することができるのは、夢うつつの「すき!」。

うとうとしている樹さんに向かって、ささやき声といっしょに、肌に触れながらの「ささやき手話」をするとき、眠りとせめぎあいながらそれは返ってくる。

いまのところ、毎夜、なんと毎夜、ぼくはそれをまぶしく、おいしく、見ることができている。
それによって樹さんの中でなにかが確実に沁みていることを知ることができている。

そのことに、ひとまず「よし」と思う。

【本文は、ここまでです。以下は、この最近の写真10枚と、日記的なちょっとの文章がついたものがあります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくの、かきあげうどん代になります。あるいは、まなみのアボカドとうふ丼代。またもやのあるいは、樹さんの焼き海苔代。 ありがとう。】


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