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産土 2022 穂増 生酒

表題の酒を飲み、思ったことを書いておきます。

散文です。

「美味しい」が当たり前になってきたなかで、新しい味を作れるかどうか。

まずは神田社長のクリエイターとしての姿勢に敬意を。獺祭で基礎を学び直し、本当に価値あるものを探し求めた答え。

言う通り、もちろん美味しい。ただ他と違うのは、敬遠されがちな「渋味」をここまで綺麗に「味わい」として昇華した点だと思います。

恵まれた水環境と米がある一方で、その米を使うために田んぼを再生する必要がある。そのための無農薬・無施肥栽培と(まだ規模は小さいそうですが)馬耕栽培にも着手。(ゆくゆくは、酵母無添加になるそうですが)使ってる酵母も熊本酵母。すべて地のものを使い軽やかに傑作を作って魅せる作り手としての実力。

「いま味の大半を決めているのは酵母で、それだけで新しいものを作れるか。革新を起こせるか。」と新政・佐藤社長の問いに対する神田社長の回答。

ぼくは味よりもむしろこういった彼らの作り手としての姿勢に惹かれているのかもしれないですね。最高だと思います。知らない味をもっと知りたい。

きょうたまたま見かけたある人の発言で「ストーリーを売ることは辞めたい」とありました。もちろんバランスが重要だと思いますが、こと日本酒に関しては時代と産業の要請によってストーリーを蔑ろにせざるを得ない側面があった。ただその結果、経済性を追い求め、低品質の大量生産になった。この歴史を踏まえ、ぼくはストーリーは大いに語られるべきであり、蔵の方々も、新政・仙禽・産土をロールモデルに、もっと発信してほしいなと思っています。

話はそれましたが、これからの日本酒の世界は本当に楽しみ。日本酒離れが叫ばれて数年が経っているそうですが、数年後、「本当に価値あるもの」を皆んなが探し始めたときに、いまの作り手さんたちがいる限り、外需に頼ることなく必ず大きな脚光を浴びるはずです。その芽吹きをいま目撃しているんだと思います。

最後に渡辺京二の、文化に対する姿勢と定義を引用しておきます。

現実とは政治的・経済的関係の総和であり、その中で生きる人々の苦しみや戦いであるというのは、西洋近代世界をまさに政治的・経済的諸関係の総体として編成し直したからこそ言えることだ。しかし、そのような強制的な編成にも関わらず我々の実存的な生とは、そしてそれが生きる現実というのは決して政治や経済を主要な実質とはしていない。それは自分が生きるコスモスと社会を含む広い意味での他者との交渉を実質としており、そのコスモスと社会を規定するのが宗教を含めた文化である。- 「逝きし世の面影」

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