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現役最年長Fリーガー金山友紀選手と歩んだ20年間の島根県のフットサル⑧

サッカー協会の携わるようになり、20年目。

ボランティアとしての関りでしたが、出会いや別れ、そして多くの思い出と学びがありました。その記録と気持ちを全8回に渡って綴ってきました。

今回は最終回。島根県サッカー協会に長きに渡って携わってきた私の気持ちを今一度振り返ります。その上で、これからの島根県におけるフットサルについての考えもお伝えします。

これまでを振り返ってみると…

自分たちが強くなりたいと思い関りをはじめたサッカー協会の活動でしたが、チームもなくなり、いつしか島根県、そして出身地である浜田市でのフットサルの普及・強化に必死になっていました。

「普及と強化は一緒でなければならない」とアドバイスをいただき、結果にもこだわり続けた20年間です。金山友紀選手と出会い、選手と関係者という立場の違いはあれど、共にフットサルを普及させたい、島根県からFリーグに参加したいという想いで駆け抜けた20年間でした。

着実な歩みはどこかへと、繫がっていく

一時期は、フットサルなんてと馬鹿にされた時期もあり、悔しい思いもしました。しかし、結果として浜田市から小中学校、年代で全国大会に出場するチームも多くなり、Fリーグへの加盟チームも発足しました。

前の記事でもお伝えした通り、Fリーグで活躍する選手も、この島根県浜田市から多く羽ばたいています。

それだけではありません。昨年、2022年9月に島根県ではじめてフットサル日本代表対ブラジル代表の国際試合がありました。島根県としては、サッカーすべてのカテゴリーに於いて代表戦を開催したことは、フットサルが初めてでした。

島根県の普及と強化を目指し、微力ながら活動してきたことが達成できた瞬間でした。私自身が国際試合を開催したのではありませんが、20年前のあの時、サッカー協会に関わることができたことが、きっかけになっているのであれば嬉しいです。

『これまで』と『これから』

ここnoteに綴っている他記事を読んでいただくと分かるかと思いますが…正直なところ、慌ただしかった私の人生です。ボランティアでのサービス精神だけでサッカー協会でのフットサル普及活動をしていくことは、心的にも体的にも厳しい時期もありました。

ただ、今後も私はサッカー協会やフットサルの普及に関わりたいと思っています。とくに、子どもたちの未来を応援したいと考えています。子どもたちが、フットサルを通じて、少しでも毎日を楽しくエネルギッシュに生きてくれたら、すごく嬉しいです。

また、親御さん方も、コロナ過によって思い描いた育児が出来ず詰まる思いもあったはずです。だからこそ、フットサルを通じて『我が子が活躍する姿』を喜び元気を出してもらえるよう、私自身に何か出来ることがあるのではないかと考え続けています。

たとえば、子どもたちがフットサルの試合で活躍する姿を写真に収め公開したり試合結果をお伝えしたりすると喜んで頂けることも多いもの。私自身も子育ての経験があるために、微々たることではありますが、お力添えが出来たら何よりです。

お礼、ふたたび…

最後に再び。

私の人生にフットサルをもたらしてくれた全ての方。
ここに改めて心よりの感謝を述べたいと思います。
どうも、ありがとうございました。

金山友紀選手、これまで本当にお世話になりました。
最後の最後まで、選手の一ファンとして応援し続けたいと思います。
そして、今後のご活躍もずっと応援させてください。

また、私はこれからも…
浜田市から巣立って行ったフットサル選手やこれから巣立とうとするフットサルに携わる子ども達すべてのファンの一人です。

今後も、誰かの背中を押せる存在であり続けたいと考えています。

長きに渡る、私の活動をお読みいただき、
誠にありがとうございました。

頂いたサポートは、人を元気にするために使わせていただきます。