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自分のために書いておく、2020年のあきらめ。

2020年最後の日、おおみそか。
1年を象徴するトピックは、人によってばらけるものでしょうが、今年は「コロナ」が大きな存在感でした。

コロナとは、世界中で、老若男女で、宗教を問わず、脅威の対象。私はかつてこんな特異な存在に直面したことがありません。この1年で恐れすぎず、舐めすぎず、深入りしすぎず、無視しすぎずの、中庸の姿勢とでもいうべき心の持ち方、行動の在り方が身についてきたように思います。

いや~新しい生活様式に順応するだけで体力を使いました。
ふだん二児の母とフリーランスで仕事をしてるのですが、育児の肉体的な労力と親子のいざこざ、休校中にやる仕事はもう格別に心と身体にムチをふるってきたと思います。思い出すだけでも呼吸が乱れますね。

くわえて前からの懸案であった家族の在り方にも向き合った。
いや、向き合ったというより非常事態の策を取ったという形。夫には週末のみ滞在してもらうこととし、物理的な距離をとることで、私の精神の安定を確保することができました。

いわゆる週末婚、または別居婚というかたちは、私の要望であり、私の苦肉の策であり、私の感情の問題によるところが大きく、夫とは衝突がなかったことはカロリー消費を抑えることができたかもしれません。

いや、考えてみればこの10数年、夫と衝突したことはあまりない。衝突とはお互いの要望や信条がぶつかり合うコミュニケーションの一種だとすれば、私たちはコミュニケーションの言葉さえ湧き出なくなっているといっていいでしょう。同じ方向を向いて、歩を同じくして(当初はお互いそう思って)進み、生きていきたかったのですが、そこに乱れや齟齬が生じていたのだと思います。

分かりやすいきっかけを挙げるとすれば、夫婦を分断する最も大きな原因である育児の分担ができなかったことでしょう。
私に身体的疲労の負荷がかかって、思考力が低下し、日々投げられる球を打ち返すことで精いっぱいの日々が続きました。極端にいえば、赤ちゃんを死なせないようにする日々です。
たったそれだけに従属する時間が続くと、人は人生の主役を手放し、楽しみを楽しいと感じなくなり、育児は仕事を邪魔する枷と捉えるようにもなります。愛しい存在であるはずの子どもを煩わしく思い、その感情を受け入れたつもりでも小さな自己嫌悪の引っかかりを感じ、引っかかりを埋める言い訳で自分を納得させようとし、そこから生まれる負のエネルギーを糧にしてまた球をうつ。
「傍目には動けてはいるが、無理した行動」の積み重ねで、どす黒い疲労がたまってしまったようです。

自分なりに試行錯誤をし、話し合いを持ったつもりでしたが、夫婦が違う方向をへ、時間をかけて進んでしまった距離は果てしなく、私は私からの働きかけで距離を縮めることをあきらめたのでした。

2020年、私は「あきらめる」を学んだといえます。

好奇心を糧に好きなものを好きだと進む、少々計画性のないやりかたで年を取ってきましたが、初めて大きな「あきらめ」に直面したのです。話せばわかる、続ければ実るという希望を手放すことは、私にとって大きな決断です。ホトトギスは鳴かないのです。強がりをいうとすれば「あきらめることを学び」ました。

ひとりではどうしようもない課題に対し、向き合ったすえに選択肢として浮上する「あきらめ」。さらに強がれば、これは新しい手段であり、それを選んだ私は少し進化したのだ、と書いておこうと思います。どやさ!

この進化は腹を括ったこともでもあります。
「子どもとがっぷり向き合うしかない」という諦め、言い換えれば覚悟を決めたとき、はじめてまるごと受け止めることができたように思います。
子どもたちが私に求める感情は、すごく厄介で面倒でパワフルだから、できるだけ逃げていたかったのですが、逃げることを諦めた。夫の協力を諦めた。土壇場のボロボロの状態で受けとめ、大げさに言えば生き残ることができたことはやはり立派な進化といってあげたい。……サイヤ人かよ。

実はいま、好奇心が眠っています。もしかするともう湧き出ないかもしれない。今までのやり方を変える時が来ているかもしれない。

無尽蔵でなくなった熱量をどう使って生きていこうか、それが来年の大きな課題となるでしょう。熱量をどこから確保し、どうつかっていくか。
最高のアイディアが出なくても、再設計という大きなプロジェクトに私がきちんと向き合えって挑めるか。ああ、自信がない!

この湿った悶々がこのあとどう変わっていくのか、観察記録の序章として記しておきます。


……よいお年をお迎えください、迎えような、わたし!!




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