男の人に「ふれて」「いたわって」もらう大切さ。

先日、1年以上ぶりにマッサージに行き、1時間施術をうけた。
初めての場所だったので、当然、男性のマッサージ師とも初対面。

普段の生活で、初対面の男性に身体を触られることはない。手さえない。

のに、マッサージの場においては、会って5分で(実際20分くらいか)恥骨をゴリゴリされるから、施術者はお客さんからなんとイレギュラーの信頼を得ていることよ、いや、思考停止で「そうゆうもの」と受け入れている私たちの慣習の強力なことよ。

背中、肩、腰、脚、首、手、と全身をゴリゴリされながら、ああ、はかられているなーと感じる。
プロとなれば、身体の凝り具合から、クセや日常生活が推測できるだろう。腰回りにぶよんぶよんの分厚い肉がついていることは、とっくにバレたぞ。

対話ではなく、身体にふれられることによって、とてもプライベートなことを一瞬にして察知されてしまう。これもありそうでないこと。
だから、ウソをつけなくなるのだろうか。

頼まれてもないのに、オープンに自分のことをしゃべりだすのは、BBAのサガ。「そこ痛いけど気持ちいい」だの、左側の首の付け根のゴリゴリはいったい何なのかだの、本能のままに聞いて半分眠った。
至福の1時間だった。

ところが、お会計を済ませるとき、異変がおきた。
判断能力がないのである。

「3回の回数券を買うとお得ですが、どうしましょうか?」

「あ、買います」

おおう、12,000円!?
普段ならもう3分は悩むぞこれ。
だがそのとき「私の身体には今、この体験が必要だ」と即決したのである。

私より強い力を持った人に、そして男性に、身体に触れてもらう機会を持った方がいい、と直感したのだ。

誤解を招きそうなので、詳細を書いておくと、私は二児の母なので、ふだんは子どもを「抱きしめる」立場にある。
口が達者でこじれたところがある長男は、なんだかんだ私と言い争ってもハグを求める。未就学児の娘もそう。

反対に私は「抱きしめられる」立場にはなく(遠い目)、端的にいってハグに飢えているのだ。

性的なハグではなく、生的なハグを求めている。
これがホンネだ。

親が子にする類の、仲間同士が肩を抱き合う類の、「よしよし、よくやってるね」のいたわり。

きっと私は整体のお店に、自分より強く大きな霊長類ヒト科からいたわりが欲しくて金を払ったのだろう。身体を預けられ、労わってくれる幸せ×3回。安ーーーいっ!と。

では、施術者は女性でもいいのだろうか?
いい。
……のだけど、正直そこは男性の方がもっといい。ふだんのジェンダーバランスがほぼ女一色(保育園の先生、ママ友、娘、友人、仕事仲間など)で、ありがたいことに、女性から労わられることは足りているから、だろうか。

男性から労わられることは……ない。むしろ、夫や息子に振り回されているからこそ、「男性から労わられる」ことにありがたみを感じるのかもしれない。だとしたら、私は施術を通して心の飢えを満たし、少しのリベンジをしているのか。……こ…こじれている……!

いや、単純に恋愛対象である性から、やさしくされたいのかもしれない。
願わくば、霊長類ヒト科の雄からハグと傾聴を。



(すてきなお写真、お借りしました。Photo by kotographer)

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