sábado, 26 de agosto de 2023

空が重たく曇っていた午後、祖父が倒れたと連絡が入った。
僕はスパゲティを食べていた。
誰のためでもない、自分のためだけに茹でたスパゲティだった。茹でた麺をフライパンに移した時にはすでにもうその鍋は綺麗に洗ってしまい、そして軽く乳化させた麺をお皿に移した後にはすぐにそのフライパンも洗い切ってしまうほどに、出際よく作られたスパゲティだった。

日本は夜の3時だった。
ここは昼の1時だった。

ドラマチックな着信音、震える声、時差を超える吐息。僕がもらった連絡はそのどれでもない、一通のメッセージだけだった。

洗練されたコミュニケーションはその簡素化と引き換えに、温度や匂いを形骸化させてしまっている。僕はスパゲティを巻くフォークを止めることなく、そのメッセージを読んだ。

そして、
「そうか」
とだけ呟いた。

僕には何かが足りないのだろうか。
例えば、共感とか、慈悲とか、後悔とか。

そう思っていたら、急に雨が降り出してきた。

祖父はいろいろな仕事をしてきた人だった。僕が知っているのはそのうちの2つだけ。どこかの工場と畑作業。

ロバのような軽自動車に乗って製鉄所を訪れたことがあった。小学校低学年の頃だったと思う。
そこは山間にある暗い倉庫のような建物で、湿った森と黒い砂利の駐車場に囲まれていた。
中には何千本もの鉄パイプが重ねられていた。祖父がしていた軍手からは鉄の酸っぱい匂いがした。金属が触れ合うガシャンという音が鳴り続けていて、静寂なんてものはどこにもなかった。
紺色の作業着にオレンジ色で祖父の名前が刺繍されていて、それを見た僕は
「僕は名札を持ってるよ。でも、じさまは名札じゃないんだね」
と、言った。
祖父は何も言わずただ頷いて、小さく笑っただけだった。
仕事中だったからだろう。
あるいは単に言うことが思いつかなかっただけか。

仏間には消防団の表彰状と祖父にそっくりな曽祖父の写真が飾られている。
戦中に10代を過ごし、祖母と結婚して僕の父と叔母が生まれ、そして父と母が結婚し僕と弟が生まれ、それくらいしか彼のライフイベントを知らない。

いつだって人は思う。
もっと話を聞いておけばよかった。もっと共に時間を過ごせたはずなのに。
どうして何千何百という人が、何千何百年もそんなシンプルなセリフを繰り返すのだろう。
だったら、今すぐに実践すればいいじゃないか。
何よりも代え難い存在があるのであれば、全てを一旦停止して、机の書類も適当に整理して、洗濯物なんかベッドに追いやって、駆けつければいいじゃないか。

「そんなことわかってるさ」
「うん、それで?」
「だけど、そういうわけにもいかないだろ?」
「どうして?」
「さぁ。でも、生きるってそういうことでもあるんだから」

そして今日、その繰り返しの中に僕も漏れなく組み込まれてしまった。

全てが終わってしまう前に、僕は駆けつけなけらばならない。
それなのに、今ここにあるいくつもの煩雑が僕に絡みついていて、それらを振り払えない。

本降りになった雨が窓ガラスに打ち付ける。

そのまま突き破って、スパゲティを食べる僕を殴りつけてはくれないだろうか。

あるいはボコボコに殴られたその時、生きることがどういうことか、知ることができるのかもしれない。

とはいえ、祖父が雨に濡れなけばいいなとは思った。

濡れるのは僕1人でいいはずだから。

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