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コンビニ人間

僕は他人のモノマネが得意です。
こう言うと「お、誰のモノマネが出来るの?」と好奇の目で見られる。
だから絶対に口外はしない。
というか、周りが期待している「モノマネが出来る」と僕の思う「モノマネが出来る」との間にはずいぶんと深い溝がある。
「モノマネが出来る」イコール「有名人のモノマネが出来る」と思うのが至極当然なのだろう。
まあ、確かにそうなのだろう。
ただ僕は有名人のモノマネは一つもできない。
なぜならモノマネしたい、と思う有名人がいないからだ。

だけど僕はモノマネが上手い。
嘘だと思うだろうけど、例えば僕はバイト先の同僚のモノマネがとても上手かったりする。
それは昔からだ。
昔、バイト先に芸人の後輩がいたのだが、新しく入ってきたバイトの子の特徴を掴むのがあまりにも上手すぎて、「お兄さん、それ絶対有名人とか見て研究した方がいいですよ」とよく言われていた。
自分でも身の周りの人の特徴を掴むのは上手いと思っている。
あの子は大きい声を出す時に首を振る、あの人は挨拶をする時やや左上を見る、あの人はメモを取る時低い位置でメモをとる…
こういう、いわゆる「癖」を見てすぐに自分でもやってみる。
そうすると周りの人は「それ確かにやってる!」などと言って喜んでくれる。
身の周りの人間は観察していて苦ではないが、テレビに出ている人を観察したいと思ったことはない。

なぜだろう。

多分だけど、テレビに出ている人は他人から見られていることが前提で常に動いているので、そこに人間的な、というか無防備で不用意でだからこそのありのままの「その人自身」が浮かんできていないのではないか、と思う。
だから、観察していても「魅力がない」のだと思う。
魅力がないから真似したいと思わないのだろう。
身の周りの人間はいつだって気を抜いている。
昔のバイト先に首の皮を千切るのが癖の人もいた。
流石に目の前に人がいる時にはあまりやらないが、少し人目につかない物陰に入ると、すぐに首の皮を千切っていた。
怖い癖!
と思っていたが、それこそがその人自身の特徴であり、所作であり魅力なのだ。
だからそこを真似する。

僕はダウンタウンの松本さんが好きで、中学生や高校生の時は毎日、毎分松本さんを観ていた。
おかげでいまだに「松本さんの喋り方に似てる」とか「目の動かし方が似てる」などと言われる。
自分としてはあまり嬉しいことではない。
芸人としての個性が死んでしまっている、ということにもなりかねない。
「模倣」とか「パクリ」とすぐ言われてしまう。
今はできるだけモノマネにならないように気をつけている。
だけど、身の周りの人のモノマネは意識するしないは別として、今後もやり続けるだろう。
それが社会とかコミュニティの中で起きる一つの現象でもあるのだから。
村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』にこんな一節があります。

『今の「私」を形成しているのはほとんど私のそばにいる人たちだ。三割は泉さん、三割は菅原さん、二割は店長、残りは半年前に辞めた佐々木さんや一年前までリーダーだった岡崎くんのような、過去の他の人たちから吸収したもので構成されている。特に喋り方に関しては身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが私の喋り方になっている。』

何もこれは特別なことではありません。
みなさんも身に覚えはないですか?
あなたの口癖は本当にあなたの口癖ですか?
身近な誰かの口癖ではなかったですか?
というか、あなたは誰ですか?
本当のあなたはどこにいますか?

今日も僕は誰かの口癖を誰かの口調で誰かのタイミングで話しています。

では、また。

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