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【ゲーム考え事】上位ゲーム・下位ゲーム

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 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。



前提

  • (狭義の)ゲームに関しての内容。

  • あくまで個人の考えや感想が主体。

  • 主に用語の用法などは過去の記事参照。



目的

 ゲームがゲームを内包する、あるいは、ゲームを外部に生成することについて考える。また、未解決性を用いることで、パズルとそれ以外のゲームがどのように上位・下位ゲームとして位置しうるかを考える。



定義

 本記事においては、あるゲームのレイヤーでみた時に、それより上位(外部)に生じるゲームのことを上位ゲームと呼び、逆に下位(内部)に生じるゲームのことを下位ゲームと呼ぶ。

 これは、一部の人(筆者含む)にとっては、メタゲームとミニゲームという呼び方をされているものだが、もっと別の概念を指すことが多いと感じられたので、誤解を避けるため、本記事では上位・下位ゲームという呼称を使用することにした。(一般的にメタゲームは、そのゲームにおける支配的な戦略、あるいは、それを巡る駆け引き、という意味合いで使用されることがあり、ミニゲームに関しても、ゲームの中に用意された独立性の高いゲームを指すことがある、という理解であるため避けることにした)


 たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」のある試合をみた時に、そのゲーム自体を着目するゲームのレイヤーであるとする。この場合、たとえば、この試合がある大会の1試合であった場合、その大会で生じる自然発生的なゲームのことを上位ゲームと呼ぶ。たとえば、どのようなデッキを選択するか、であるとか、今は何勝何敗だから、どの程度リスクを取るべきなのか、そういう判断が行われるゲームが生成されている、と考える。

 これは、各試合のことだけを考えるのであれば、本来は必要のない思考である。その試合が、大会というもっと大きなゲーム、つまり上位ゲームに組み込まれた(相対的に言えば、大会からみた下位)ゲームであるから、このようなことが発生しうる。

 逆に、その試合において、《Shahrazad》(もちろん、一般的には禁止されているが)をプレイすれば、そこで発生したゲーム(MTGの用語で言えばサブゲーム)は下位ゲームであると言える。これは、基準のゲームと下位ゲームがほぼ同質になるような極端な例だが、ゲームの中にある程度孤立したゲーム構造が存在することはよくあり、それは一般的に下位ゲームであると見なせるだろう。


 このように、上位・下位ゲームという呼称は、あくまで相対的な位置を指すものであるが、一般化して言う場合には、あるゲームタイトルを基準に、その外部的に発生するものを上位ゲーム、そのゲームに内包されているゲームを下位ゲームと呼ぶことができるだろう。



考察

デザインされた下位ゲーム

 ゲームの中にゲームを内包することはできる。

 たとえば、「ウボンゴ」というアナログゲームがあるが、ポリオミノのパズルだけを切り出したとしても、それは単体で遊ぶことのできるゲーム(パズル)である。デジタルにおいても、「マリオパーティ」は、その全体のすごろくをなくし、あるミニゲーム単体を遊ぶことはできる。これらは、ゲームタイトルからみて、下位ゲームであり、独立性が高い。

 一方、「オーディンの祝祭」におけるポリオミノパズルは、もちろん、それだけではゲームとして遊べないものではあるが、独立性は比較的高く、入力や評価のメカニクスを付け加えるだけで、ゲーム(パズル)として成立させることはできるだろう。これは、下位ゲーム的なモジュール(構造・メカニクス)であると言える。

 AAAタイトルのゲームなど、巨大なゲームは、事実的に下位ゲームを複数含んでいることが多い。アナログゲームであっても、一定の規模を持つゲームであれば、下位ゲーム(的なモジュール)を複数含んでおり、それらで構成されていることがほとんどだ。

 特定の構造をみた時に、それ自体が入力・処理・評価の条件を持っているのであれば、それは下位ゲームとして見なすことができるだろう。つまり、単体でゲームとして成立している。また、これらが不十分であっても、下位ゲーム的なモジュールと考えることは可能だろう。


 下位ゲームはそれ自体を本体とある程度切り離して、デザイン・調整することが可能であり、別のものと取り換えることさえ出来ることがある。大型のゲームであればあるほど、下位ゲーム(的なモジュール)を複数採用していることが多いのは、これによる開発の容易性にも関連しているだろう。

 規模を大きくしていく場合、その繋がりを無制限に持たせてしまえば、人間が把握できる範囲をすぐに超えてしまう。いくつかを(メインのゲームレイヤーから見て)下位ゲームと見なし、ある程度は個別に管理できるようにすることで、様々な調整は行い易くなる。


 また、下位ゲームはゲーム全体の印象を決定づけたり、プレイしているゲームの面白さ(のジャンル・種類)を事実的に決定することがある。

 たとえば、上述した「ウボンゴ」では、上位ゲームとしてゲームがあるものの、実際にこのゲームのプレイ感、面白さを決定しているのは下位ゲームのポリオミノパズルであ(ると筆者は感じてお)り、事実的には競い合ってパズル集を解くような感覚を抱く。同じく「マリオパーティ」も、もちろん、すごろく的な部分での(上位ゲームにおける)やり取りはあるものの、プレイ感・面白さとしてはミニゲーム集としての向きが強い。上位ゲームとしての構造、面白さの影は比較的薄いと言える。

 これらは極端な例ではあるが、下位ゲームの独立性が高いほど、それ自体でゲームが完結するわけであり、より小さい単位である下位ゲームの方が、ゲーム全体のプレイ感に影響が大きいと筆者は考えている。



自然発生する上位ゲーム

 ゲームの外部にゲームは発生しうる。

 上位ゲームは、常に下位ゲームの影響を受ける。

 また、それは自然発生的に生じることも多い。

 なぜならば、ゲームをプレイしている以上、ゲームをプレイしているレイヤー(一般的には物理世界)が存在しているわけであり、そこにゲーム的な構造が生まれることはよくあるからだ。

 大会・フォーマットのようなものを新しく制定することで、そのゲームタイトルのゲームデザインが終わった後に、上位ゲームをデザインすることも可能である。

 上位ゲームが下位ゲームの影響を受ける、ということは、下位ゲームのデザイン(つまり、ゲームタイトル本体のデザイン)である程度は、発生しうる上位ゲームをデザインできる、ということになる。

 また、ゲーム自体が、ゲームとして成立するための要素が欠けていたり、薄かったりする場合、それでもゲームとしてプレイするために、事実的には上位ゲームを発生させ、そのゲームを遊ぶことで全体として成立させ、本来のゲームを遊ぶ、という現象も稀に見られる。

 たとえば、ゲームの中だけで完結しうる情報だけでは、ゲーム的なやり取りが発生しない場合に、その上位(メタ)の情報を加えることによって、ゲーム的なやり取りを成立させるであるとか、もっとわかりやすい例であるのならば、賭け事のようなルールを外部に設けるようなことがあるだろう。

 このような手法は、自然発生的な上位ゲームだけではなく、下位ゲームだけではゲーム的に上手く成立しがたい要素を、上位ゲームによって調整することで成立させる、という目的で使用することができる。



未解決性と上位・下位ゲーム

 以前の記事で導入した未解決性という概念を使用して、上位ゲームと下位ゲームの関連について考えることが可能だ。

 それらの記事では、いわゆるパズル(ここでは、図形的な表現と言う意味ではなく、ゲーム構造としてのパズルを指す)は、未解決性がない(つまり、解答が用意されている)点が、他のゲームとは異なる、という考えに基づいていた。

 ここで、下位ゲームの未解決性は、上位ゲームにも影響を与える。

 この項目では、パズルに対して、パズルでないゲームを非パズルと呼ぶことにする。パズルを「詰め将棋」、非パズルを「将棋」として考え、上位・下位ゲームについて考える。


 まず、非パズルの下位ゲームとして、非パズルの下位ゲームを用意することは可能である。これは「将棋」の下位に「将棋」が位置するようなゲームとして考えることは可能だからだ。たとえば、「将棋」を1ゲーム行い、その勝者は、勝利時の持ち駒を、次のゲームの持ち駒として、持ち込んで本ゲームを行い、そのゲームの勝者が勝利する、というゲームを考えることは可能である、ということがわかるだろう。

 言い換えれば、未解決性があるゲームの下位ゲームに、未解決性があるゲームを採用することはできる。


 次に、非パズルの下位ゲームとして、パズルを位置させることは可能である。上述したような「ウボンゴ」しかり、明確な解答のある問い、つまりパズルを組み込んだゲームは多い。たとえば、「詰め将棋」を解き、最後の手で使用した駒を対応する場所において行う「将棋」、というようなゲームを考えることは可能である、というわけだ。

 言い換えれば、未解決性があるゲームの下位ゲームに、未解決性がないゲームを採用することはできる。


 また、非パズルの下位ゲームとして、非パズルを位置させることも可能である。いくつかのパズルを解いていき、その最終問題として、それらを踏まえたパズルが用意されている構造は珍しくない。たとえば、「詰め将棋」の王手に使った駒を記録していき、最後の「詰め将棋」には、それらを対応する場所に置く、というような問いはつくることができる。

 言い換えれば、未解決性がないゲームの下位ゲームに、未解決性がないゲームを採用することはできる。


 一方、パズルの下位ゲームとして、非パズルを位置させることはできない(と筆者は考えている)。たとえば、「将棋」を行って、その王手に使用した駒を、ある場所に対応させて置く「詰め将棋」、ということを考えると、これが成立しないことがわかるだろう。

 つまり、パズルの定義を、未解決性がないゲームである、とした場合、下位ゲームとして、未解決性があるゲームを位置してしまうと、そこに未解決性が生じてしまい、パズルではなくなってしまう、ということになる。

 言い換えれば、未解決性がないゲームの下位ゲームに、未解決性があるゲームを採用することはできない。


 これらを踏まえると、ゲームはその内部にゲームを含むことができ、その外部にゲームを構成させることもできるが、未解決性が生まれてしまうと、それ以降の上位ゲームには未解決性が含まれてしまうことになり、未解決性がないゲーム(=パズル)としては成立しなくなってしまう、ということがわかる。

 つまり、ゲームのデザインを考えた時、上位ゲームを作成する方法によって、デザインを行おうとする場合、パズル→非パズルという変換は比較的容易であるが、その逆はできない、ということになる。



まとめ

 あるゲームのレイヤーを考えた時、その外部のゲームを上位ゲーム、その内部のゲームを下位ゲームと言うことができる。

 互いが互いに影響を与えることができ、最終的にプレイヤーに伝わるゲームが成立し、面白ければよい、と考えることが出来るため、これらをデザインのツールとして使用することができる。

 また、上位ゲームを作成することによって、ゲームの構造を変化させることが可能ではあるが、一度、下位ゲームに未解決性が生まれてしまうと、それ以降の上位ゲームの未解決性をなくすことはできなくなる。

 この記事が未解決性の記事の内容や、上位・下位ゲームに対する理解の一助となれば幸いである。

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