ジャズに限らないんだが 過激であり甘美であること

若い頃 1980年前後 フリージャズを中心に音楽を聴いていた
アルバート・アイラー アート・アンサンブル・オブ・シカゴ デビッド・マレー 坂田明 アーチー・シェップと 咆哮系サックスが中心(わかりやすいから)なのだが アイラーは早くに死んでしまったので別として 彼らの多くは 後にメロウであったりスイートであったりポップであったり そんな路線に進んでいる

アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEOC)のレスター・ボウイは 後に アヴァン・ポップなるものをはじめたし デビッド・マレーも 朗々とバラードをうたいあげてるし バブル期に日本のメロウ路線をたきつけられ 人間の証明なんかをやらされていたアーチー・シェップは ブルース路線に 正しく向かった
ちょうちょちょうちょと叫びまくっていた坂田明は ヘンリー・マンシーニの ひまわりを吹いている
少し長く それらのミュージシャンを追いかけている者からみると
『変心しやがったな』とか
『ヤキが回ったなぁ』とか言って ハイライトにジッパーで火を点けて 深く煙を吸い込んで ふぅウ~ンと言いながら鼻から出したりするんだが わたしは煙草を吸わないし
わたしが思うに わたしが興味を持ったミュージシャンの多くは かなり早い段階から ぞうした部分 つまり 過激な部分と この上なく甘美な部分を 両方内在させていたと思う
それは わたしに見る目があった とかそんな事ではなく たまたま そうしたミュージシャンに興味を持った ということに過ぎない
ジャズに限らず アート・リンゼイにしても ジョン・ゾーンにしても 武満徹にしても 大友良英にしても ニーノ・ロータにしても エンニオ・モリコーネにしてもバーナード・ハーマンにしても そうした対極にある2面性を持っていて わたしはそこにひかれるのだ 


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