暴力漫画の話をするぞ。

まず、ゴッドハンド、飛鳥拳、大東徹源、愚地独歩の時代だ。(実在の空手家大山倍達氏の話ではありません。)
彼は戦争に負けた敗戦国民であり元特攻隊員などである。『風のファイター』では第三国人だが大きな差はない。要するに戦争という最もリアルな、醜いむき出しの暴力の世界における敗者であり、暴力でハッピーにはなれなかったところから彼の物語は始まる。(愚地独歩が戦争に負けた元特攻隊員であるという描写はないし年齢も合わないが、同一のキャラクターなのは明らかだろう)
様々な暴力と戦い、時として犯罪者そのものだったり、人を殺害してしまったりしてものすごく後悔したり贖罪したりもする(繰り返すが、モデルとなった実在の空手家の話ではなく漫画のキャラクターの話です)が、それらを糧としてカラテの修行を続け、指導者として巨大流派を築く。偉大なる達人であり、カラテ超人であり、弟子もいっぱいいるし社会的にも尊敬されている。現役の最新版であるところの愚地独歩先生には愛する妻子もいてメチャクチャ充実している。
オーガに負けてメチャクチャ悔しいというのはあるが、それで心が折れて絶望したり死んでしまったりすることはなく、リベンジ目指して修行を続ける現役のカラテ超人だ。

次は牙直人、加藤清澄の時代だ。
彼は上記のカラテ超人ゴッドハンドの弟子であり、作中における現代の暴力、すなわち犯罪者と戦ったりヤクザそのものだったりする。しかしそれは、カラテの修行、遍歴の一部であり、現役のキャラクター加藤清澄氏は今も神心会で元気に稽古をしている。師匠のような超人への道は遠く、神心会の二代目は愚地克巳に取られちゃう気がするけど、まあぶっちゃけそんな世間的栄誉よりカラテ修行のほうが好きだし大事だ。神心会の黒帯研究会(上級者が集まる、スポーツ競技である組手試合以外のカラテの技術を研究する会、だと思う)などでその知見は重要なものだ。

次は愚地克巳の時代だ。
彼は戦争のない時代の日本において、カラテのオリンピック競技化を目指してみたり(?)、健全なスポーツ競技としてのカラテの発展に力を尽くしたりする。
カラテの実力は素晴らしいもので、最強の喧嘩ヤクザ花山薫にも勝利している。武装した組織暴力と戦うと死ぬかもしれないが、現代は戦争の時代でもないし、加藤清澄みたいに好き好んでそうなればともかく、カラテ家が飯を食うためにヤクザの用心棒をやらなければならない時代ではない。彼はプロのカラテ指導者として、カラテで生活ができるのだ。彼は試合はしても、殺し合いはしない。そんなことをする必要がない。
獅子丸戦で明らかだ。
彼は「相手を殺すことを含めてなんでもありの試合」という狂ったデスゲームに出場する。
対戦相手である相撲力士を、カラテの試合でも現代MMAでもTKOであろう無力な状態にまでダメージを与えて追い詰め、あとは文字通りとどめを刺して殺害したら勝利、という場面で彼はどうしたか?
試合を放棄したのだ。試合、ゲームの勝利より人命が尊いと示すのだ。
彼の師匠なら殺害して勝利しただろうか?バーでやけ酒を飲んでいて、ナイフで襲いかかってきたヤクザをうっかり(?)撲殺してしまったときの荒みきったマスオーヤマなら殺害して勝利したかもしれない。わからない。
はっきりわかるのは、現代カラテの試合は健全なスポーツ競技であり、真剣にプレイされはしてもゲームであり、殺し合いではないということ。彼はゲームの勝利より人命が尊いと考えているということだ。
別にヤクザをするわけではないが、対武器の研究などはする。それはカラテの重要な一部であるから。彼がストリートで刃物をもった暴漢の一人や二人に遅れを取ることはないであろう。
最凶死刑囚と戦ったときもそうだ。撲殺してもお咎めなしだと思うし、獅子丸とは違って自分を襲って道場に放火とかした犯罪者なのだから、私怨で撲殺しても不思議はないくらいなのだが、彼はそんなことはしない。人命の尊さを知っているからである。殺人してまで喧嘩に勝利したくないのである。
そしてその姿勢は、最凶死刑囚の心までを動かしたのだ。

彼と同世代くらいであろうか、あるいはもう少し下であろうか。次は成島亮の話。
成島は、親殺しの犯罪者である。はっきりとは描かれていないのだが、親からある種のモラハラ虐待を受けていた、あるいは少なくともそのように感じていた少年で、精神的に限界を超え、ある日両親を刃物で殺害してしまう。
その後彼は少年院でカラテの指導者、黒川健児に出会い、カラテを習得する。
それはどんなカラテか?黒川健児は、マスオーヤマ的キャラクターの弟子であると考えられるが、スポーツ競技的カラテを好まず、少なくとも成島には、暴力闘争を生き延びる手段としてのカラテだけを教えた。人格形成とかそういう要素を削ぎ落とし、むき出しのケンカの手段、素手の殺人戦闘術として教えたのだ。
現代社会を、暴力を根絶できているわけでもないのに、存在する暴力から目を背けて臭いものにフタをし、上辺だけキレイに取り繕う虚ろな幻と見て、成島にそれに対するアンチテーゼ、反逆者、野生の生命力のようなものを期待したと考えられるが…
その後成島がどうなったかというと、ヤクザをやろうとしても、ゴッドハンドのような時代ではないし彼自身ゴッドハンドのような超人ではないので、「先生センセイ」とおだてあげてもらえるわけでもなく、つまらなくなってやめてしまう。
カラテ家がキックボクシング興行で人気者になっているのを見れば嫉妬して恋人を襲ったり、キックボクシングのルール的に反則であろうドーピングをやりまくって試合に出てみたりはするが、そんなことをして世間的評価や、なにより自分自身の幸福が得られるハズもない。
日本を捨てて中国で賭け試合に出たり、男娼をしたりしても、別に幸せになれたりはしない。当たり前だ。日本でキックボクシング選手して幸せになれない男がどこで格闘技の試合してもどうにもならん。
中国武術を教わってみたりもするが、伝統を尊重、尊敬してその一部になることもできず、岩の下に埋められた秘伝書を掘り出そうと発破を仕掛けて秘伝書ごと崩壊させるというような迷走をしているうちに、中国武術界にも存在した私怨や暴力に巻き込まれて師匠が死亡して終了。
チョー良い人な芸術家が自分を救おうとしたりしてくれるが「自分と一緒にダメになってくれなきゃイヤだ闇落ちしてくれなきゃイヤだ」みたいなダダをコネていたら相手がドン引きして終了。相手が神様ならそれでいいかもしれないが、人間はそんなことしてくれないからね。
最後は、暴力の唯一マシな使い道であるところの「他人や自分を暴力から保護する」というのをやろうとしたが、結局暴力闘争の途中で負けて死亡。
真面目に稽古していないので、マスオーヤマ、大東徹源はもちろん牙直人、加藤清澄レベルにもなれていないからそんな最期になるのだ。
真面目に稽古もしないで、不真面目にヤクザやってると幸せにはなれないという、まあそれはそうであろうという話。
犯罪はしないほうが幸せになれるぞ。
もししてしまったら、真面目に罪の償いとかして真面目に生きたほうがいいぞ。たぶん。

犯罪しないでカラテするというと、なにをすればよいかというと、真面目に稽古して試合とかすればよい。
それを見事に描いたのが『オールラウンダー廻』で、主人公はカラテ経験のあるアマチュア総合格闘技選手、高校生である。
ライバル山吹木喬は元々同じ道場でカラテをやっていて現在半ヤクザみたいな状態だったのだが、廻はヤクザとか一切無関係に真面目に総合格闘技の練習をしてふつうにメチャクチャ強くなる。山吹木も真面目にカラテの稽古してメチャクチャ強くなり、一生懸命試合したりしてるうちにヤクザなんてやめてプロの総合格闘技選手になる。
廻はアマチュアスポーツ競技として総合格闘技を頑張りつつ、真面目に生きる。カワイイ彼女もできる。どう見ても幸せ。
誰かヘクター・ドイルを連れてこい!!!リア充爆殺だ!!という気分にならないこともないが、なにしろヘクター・ドイルは愚地独歩先生と愚地克巳先生が続けてボコボコのボコにした挙げ句改心させたのでもう爆破とかしないだろう。
廻のほうは、たしか作中一回もストリート・ファイトとかしていないはず。日本のそんな治安悪くないところで生活してれば、別にそんな喧嘩とかしないで生きていけるよね。

現代日本は戦争の真っ最中とかじゃないし治安もメチャクチャいいし、平和でサイコーなので、スポーツ競技とかしつつ幸せに生きるのがいいと思います。

現代日本じゃあない世界の人はどうすればいいか?
漫画はフィクションなんだから、現代日本じゃあない世界が舞台になることも多いですけど、現代日本じゃあない世界の人は現代日本社会の価値観だと生きづらいでしょうねえ…ちょっとどうしようもないかもしれない。

現代日本でもありえないような非武装非暴力原始共産制をヴィンランドで実施したい人は、せっかくチートスキル「素手で無敵でどんな相手も無力化できる」を持っているのだから、まずコミューンでスポーツ格闘技競技会をして自分が無敵と示せばよかったと思います。

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