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幸福になるためのレシピ


以前のnoteにて #ぼく夏2020 への参戦を宣言したワケですが、その内容が「今より幸福になる」という具体性の全く無いテーマを宿題の課題として掲げここまで約3週間過ごしてきました。


#ぼく夏2020 の発起人であるpenny先生にも「もっと具体的に!」と突っ込まれてしまう体たらくだったわけですが、実際のところ「幸福度をどう具現化するのか?」という答えは見つからず宿題の提出のゴールが全く見えない状態が続きました。


しかし、毎日「今より幸福になるためには?」と考えたり幸福に繋がりそうな事を手当たり次第色々やってみた結果、自分の中でようやく「幸福」を具現化して提出できそうな状態になったので今回はその結果についてをダラダラと綴っていこうと思っとります、ええ。


1.結果

結果として、8/1から比べ幸福になれたかと言うとそりゃもう気の持ちようですわwww


幸せかどうか、そんなこともう自分が決める。自分が幸せだと思えば幸せだし、不幸だなって思えば不幸だし。当たり前な事を太字でわざわざ言います。幸せは自分で決めます。



しかし、「自分で幸せと思えば幸せだ!」と声高に言っても精神状態によってはそんなヴァイブスでメンタルを持ち上げられない事だってある。というかそうだろ?日本現代人たちよ。


なのでいかに日々の生活の中で「幸福だ」と思える方向にメンタルをもっていけるかがカギとなると勝手に断定したワイは「これをして幸福を感じる事にした・できた」な事柄を次に列挙していこうと思う。



2.目標を立てる


これは御年32になろうかという中で「いまさら?」という事柄で大変申し訳ないのだけれど「目標を立てる」という事が幸福には密接なつながりがあることに気づけた。ここまでの人生を無駄にしてきてしまった・・・(震え声)


8/1より前の日々は正直「目標」というものが一切存在しておらず、ただただ悪戯に流れゆく日常を過ごしていたのだけれどこの「目標」があるとそんな日々の中の1日がちゃんと価値のある1日に変わっていくのを肌でヒシヒシと感じる事ができた。


話はそれるが、過去を思い返すと自分の人生は各ステージごとにちゃんと「目標」があった。

「25歳で結婚する」

「30歳で家を買う」


そしてそれらを達成するために生活を頑張っていたし、ちゃんとそれらの目標も全部達成した。この日々は毎日がエネルギッシュだったように思える。


でも今は違った。そんな気がする。

毎日なんの目標もなく、意味のない道草を食い価値のない時間を重ねかけがえのない日々の浪費をしていた。「目標」が無いと生活にハリが無くなってしまうんだろうなと実感した。



んで話を戻す、

今回は「今よりも幸福になる」という目標ができた。こんな漠然とした、おふざけにも近い目標設定だったけど、この目標が僕が忘れてしまっていた普遍的で、それでいてとても大切な事を気づかせてくれるという皮肉。


そんなわけで僕は毎日「今より幸せになる」というモットーで日々を過ごしていくのだけれども、そんな「幸福に繋がる事柄」はなんだったのだろうか?次のページ



3.幸福に繋がる事柄


「朝早く起きて朝日を浴びる事」

これはとても大きかった。それは夏のこの涼しい時間に朝日を浴びる事で体内のビタミンBあたりがなんか作用するとかそんな事もあっただろうけど、そんなことは学者に任せておいて気持ち的な部分


朝早く起きて色々な家事を済ませたりすることで時間の有効活用ができている感がもんすごく感じられるーーーこれがデカい。というかめちゃくちゃ気持ちが良い。この期間寝坊も無かったので遅刻も無し!(当たり前やが



「作物を育てる事」

子供の成長を感じたり見届けることも日々の中では幸せな部分ではあるんだろうけど、それと似たような感覚で作物(僕の場合はバジル)を育てる事に日々幸福を感じられていた。


朝の水やりとバジルとの会話を毎日欠かさずおこないモーニングルーティン化した事で「朝起きる理由」が増えたし「家に帰る理由」にもなった。家族がいなくなってしまった僕だからこそ、その代わりとしてバジルに感情を入れすぎてしまっている説もあるけれどそこは割愛。毎日増えていく芽や葉を数えることも楽しみであった。



「予定を組む」


これは「目標を立てる」に似通った内容になってしまう気もするのだけれども、この期間僕は毎日ちゃんと予定を組んで過ごすことにした。「今日なにする」「明日はなにする」といった事を毎朝確認して過ごしてみた。


すると「今日は〇〇するから何時までに帰る」とか「明日は〇〇があるから準備しなきゃ」なんて思って過ごすようになった。今までは前述した様にただなんとなく日々を過ごしていたのでなんの楽しみもなくダラダラと場当たり的に過ごしてしまっていたのだけれど、予定を組んでそれをちゃんと達成すると気持ちの高まりが生まれ日々のモチベーションの底上げにつながっていったと感じた。



「ラーメン」


これよ、これ(笑)

やはり食べる事が大好きなワタクシが幸福になるためには欠かせないラーメンを食べるということ。ただ、オカネも無いのとメタボ解消には立ちはだかる壁となるので「この日はラーメンを食べてもいい」という日を決めて食べる事にしてみた。そうするとその日が来るのが楽しみになってこれまた日々のモチベの底上げにつながったのだった。


また、食べる日を決めているおかげかラーメンを食べた時の「罪悪感」が全くなくなった。「この日だけだからいいんだもーん、へへっへー」「明日からまたしばらく質素メシだもーん、へへっへー(涙)」となり、ラーメンという邪道食品の摂取を正当化することに成功した(なお、その日に限り体重の爆上げにも成功した)



「横浜DeNAベイスターズの勝利」

これはかつてのお茶の間における巨人戦の結果によってご家庭のお父さんのご機嫌を左右するというものにとても近いんやけど、横浜DeNAが勝利するととても気分よく過ごすことができた。反対にボロ負けすると信じられないくらいテンションガタ落ち、ハシもノドを通らない状態になる(当たり前だ、ハシじゃなくて食事である)



「好きな事をする」

これもまあ当たり前なんだけど、嫌いな事をして楽しいワケはもちろんなく、自分の好きな事をしていたら幸せになるのは当然のこと。列挙する必要がないきもするのだけれど「気づき」としてここに挙げさせていただく。




4.まとめ


幸福になるためには案外オカネは必要なく、日々の生活を普遍的に見直す事が幸福への近道であり幸福になるための様々なスパイスがそこにあったと気づけた日々でした。


幸せになるために「オカネが欲しい」「時間が欲しい」「恋人が欲しい」だなんだといろんな事を言ってる人がいらっしゃる世の中だと思いますが、言われ古した言葉で「幸せは足元に転がっている」というのが本当の事なんだと思います。


足元に酔っぱらいの死体が転がっている事も多々ありましたが、それを払いのけてみればもうそこには幸福が胡坐をかいてこちらを見ている日々。そんな幸福に向けて感謝の一日1万回の正拳を繰り出してみようかと。


そして幸福は気の持ちようです。

僕はこの変わらない日々の中で様々な「気づき」に出会う事で、生活の中に今までになかった彩りを与えて過ごす事ができるようになったと思えます。










あとはここに「ゲーム好きの美女」「おせっかい焼きの美女」「音楽好きな美女」「お小遣いをくれる女社長」「忘れられない夏の思い出~やけど編~」などがあればもう文句言う事はなし。宝くじも当たってくれるとなおよし。


幸せは気の持ちようやが、その大きさはやはり現物支給。人間は汚い、大人は汚い。未来を担う子供たちのそこのあなたは、ここから必要なものだけを持って帰ってお母さんと話し合ってほしい。


我々オトナは「不要なもの」も持ちすぎてしまっている。

まだ純で余白の多い心を持っている君たちはその余白に「何」を埋めていくかによって、人生が変わってくる。


そのことへの「気づき」こそが、本当の幸せの扉を開くためのカギである。どうかあなただけは、我々のようにならない事を祈りこのレポートを締めさせていただく。何の話かわからないだろうが大丈夫。僕もわからない



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