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#47.『娘への心配性』 ヘタレなオレのエピソード

このnoteは、自分の弱さや恥ずかしい部分を率直に表現し、それを受け入れることができれば、人生の質が高まるのではないかと思い、100日間書くことにしました。

今日で47日目。

今日のヘタレなオレのエピソードはこちら↓↓


【娘への心配性】


小学生の娘に対して、すぐに「危ない!」と声をかけてしまう。


今日も、ソファーに立てかけられていたマットレスを滑り台がわりに、滑ろうとしてマットレスがズレて倒れた時に、「危ない!」と声を上げてしまった。


一瞬で最悪の想定が頭に浮かんでしまうのだ。


腰を打って、半身不随になったり、頭を打って意識が戻らなかったり、そんな光景が頭に浮かび、それを予防しようと、声をかけて止めようとしてしまう。


娘のためと見えるが、実際のところ、よく考えてみると自分のためなのだ。


娘が大きな怪我をすると、妻が悲しむ。そんな妻を見ていられない。自分が対応できないかもしれない。娘を看病していくことが自分にはできないかもしれない。きっと、そんな大変な状況になった時の自分のことを想定して、その状況を回避したいと思っているのが本音だと思う。


普段自覚はしていないが、しっかり想像して、言葉にすると、そうだ。


ヘタレだ。


覚悟がないのだ。


もしかしたら、その状況になったら、覚悟とか、そんな話ではなくなるのだとは思うが、できるなら、それを避けたいと思っているのだ。


それが、娘に対して、つい危険を回避させようとしてしまう言葉になって出てしまう。


そんなだから、「みみりんのパパの次に、パパって心配性だよね。」と、娘に言われてしまうくらいだ。


みみりんというのは、しまじろうのテレビアニメに出てくるウサギのキャラクターだ。みみりんのパパは、みみりんを心配しすぎて、おつかいの時にずっと後をついていってしまうようなキャラだ。


ちびまる子ちゃんでいうところの、たまちゃんのお父さんに少し近いかもしれない。


少し異常なくらいの心配性に見えるキャラなのだが、それに近しいものを感じさせてしまうだ。


もちろん、漫画ならいいが、現実だ。


この心配性が、良いふうに働くことはもちろんあるだろう、短期的には危険を回避できるかもしれない。けど、長期的にはどうだろうか。


危険に出会わないのは、対処や対策する機会を奪っていることにもなる。

娘の力を奪っていることにもつながる。


心配するというのは、相手の可能性を制限することにもなりかねないのだ。


もちろん、やさしさという側面もあるだろう。

けれども、過度の心配や、心配して過保護になりすぎるのは、娘の挑戦への意欲を奪うことは、やさしさなのだろうか。


それは、自分に問うことが必要だ。


少なくとも、今自分が思っているやさしさではない。


相手のためと言いながら、自分のためだからだ。


まずは、自分のために言っていることを認めることからだ。


そして、本当に娘のためを考えたら、どのような言葉をかけるのか。

娘が、実際の危険にあった時に、どんな風に対処し、対策していくのか、その力を身につけるための言葉がけをしていきたいと思う。


ついつい、自分は、これまでたくさんの危険な目にあってきたから、娘にはそんな危険な目にあって欲しくない、そう思ってしまう。


けど、自分も、危険に出会ったことで、身についたものは確実にある。


わざわざ危険なことをさせようとは思わないが、

きっとこの小学生の間くらいしか、こんなに一緒に娘といる時間はないかもしれない。


この時間に、娘が自分で考え、行動していく機会を奪わない声かけをしていきたい。


危険を避けさせるのではなく、その状況に対して、どう考え、どう行動するかを娘自身が選択していくことを見守れるようになっていきたい。


そんな風に、今回の娘に対して心配性すぎて、危険を回避させようとしてしまうエピソードを振り返って思ったよ。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。

残り53本、いろんなヘタレなエピソードを書いていこうと思います。

よかったら、また見てみてくださいね🍀

SAKAMO / 坂本岳之

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