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そういうことのできる人になろうと思う。

人生でまさかの事態が起きてしまい、まだ先日まで小学生だった娘の親として、耐え難い毎日となってしまった事から、予定に無かった色々な大切なことを知っていっている。

人を本当に愛すること(伝えるでは不十分で見せること)、本当に大切にしたい人ものことを大切にしていない実態を知るために「ものを言わせる空気」を作っていること、命の儚さ、今ここのとてつもない価値、追われない自分でいる希少さ、取り返しのつかないことがあること、何ではなく誰と過ごすかが大事であること、本当に後悔あとをたたないこと…キリがないほどに沢山ある。

起きてしまった事はもうどうしようもない。そんな時に周囲では良い意味で想像力が有ってなんと声をかけていいのかずっとずっと(何かを…と)右往左往して声をかけられない人も沢山いらしたし、
ピントのズレた、トンチンカンな「感想」を言いにきたり、根掘り葉掘り噂話の取材のように「自分の興味を満たす」ためにあれこれ訊き出そうとする人もいたり。

前者の中に、
ご自身もお子さんを近しい体験をされていたり、経験はないのにこちらの「今」をかなり低くない"確度"で想像し、
そこにとても助かるサポートや物理的・具体的支援をしてくださる方々がいらっしゃる。

これは彼らの想像力や情報(もしくはネットワーク)に驚くと共に、本当に想ってくださっているんだなと、僕ら家族だけ孤立しているとしか思えない環境下にとても救われる一助となっている。

こういう実行動は、「もう、いいや…」と思ってしまう時も多い自分たちからすると本当に、命を繋いでいる時がある。

ある意味で、今後誰と付き合っていくか、いやらしいかも知れないが明確に分かれる
(何かをした人がいい、ということでなく、言わない配慮もある)体験とも言えるかも知れない。

そんな人に私はなりたいし、
そんな人たちにご恩返しをどのようにすればいいかまだ分からないけれど、ヌケの無い(失礼の無い)ように返礼はまだ考える時期ではなく、この経験したくなかった実体験と実際の今の人生から、どうここから生き抜いていこうとするか、できたしこでささやかに、お裾分けしていこうと思う。


人をおもうって、
すごい差があるな。


熊本の、もう少しで引越ししてなくなる娘の部屋から。
境英利

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