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東北視察レポート②

【震災から11年が過ぎて ②石巻市雄勝町】

気仙沼の次は雄勝半島に伺いました。
石巻市と合併する前の雄勝町区域は、その多くが海岸線の入り組んだ半島部であり、東日本大震災の津波で街が壊滅状態となりました。それから現在まで、防潮堤整備を始めとする復興事業は計画されたものがほぼ完了を迎えようとしています。
しかしながら、震災前に雄勝に住んでいた住民は、避難生活のなかでその多くが内陸部への集団移転や移住を選択し、今の雄勝中心部には数えるほどの世帯しか居住していません。
復興施策のなかで道の駅やカヤック体験のできる艇庫などから未来への光を感じる取り組みも生まれてきているとのことでしたが、一方で、地域伝来のお祭りや往時の賑わいを取り戻すにはまだまだ難しい状況にあり、復興事業が終わっても街が復興されたとは言えないというお話を伺いました。
住民間の意見調整や、合併を経た石巻市と雄勝支所との関係性、防災集団移転団地の故郷出身者と雄勝に住み続ける住民との繋がり等、多くの課題があると感じます。コミュニティづくりに正解はありませんが、出来ることを一歩踏み出してやり続けることが重要なのだろうと思いました。
震災後の経緯から、海の見えない防潮堤を建設することとなった雄勝町の経験を通して、合意形成の難しさや縦割りの弊害を痛感しました。
他の街で成功した事例などがある中で、それらを比較検討し、次の災害時には全ての街で望ましい復興がなされるよう事前復興の計画作りを後押ししてまいりたいと思います。
また、党の行革本部時代に検討した災害対応の標準化の推進など、我が国の防災体制の見直しにも不断に取り組んでいく所存です。(スタッフL)

雄勝の硯石を使った硯、器、時計
漂流先のハワイから帰還した宮城県海洋総合実習船「第二勝丸」
「第二勝丸保存所」
震災の遺構となった「横倒しになった交番」。周囲には当時の写真などが展示されている。遺構は「震災のつらい思い出をよみがえらせる」「維持管理が大変」などの理由で反対する住民が一定程度いらっしゃるが、「交番がここにあったこと」「時間の流れとともに朽ちてしまうのは当然のこと」という形で残されることになったという


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