お金持ちとか別にいいから健やかに生きていくためにフリーランスになろうと思った

フリーランスになろうと思っています。

20代後半、周りの友人も続々と結婚だったり出産だったりを経験している中で、そんなものとは程遠く、3回目の退職を迎えようとしているわけですが、どうやら会社で働くこと自体が向いていないようで、この選択に至ったのでした。

性格の問題

「人にこき使われるのは嫌だな~」
「自分の力を試したい!」
「もっとこうした方が稼げるやろ!」

とかではなく、単純にメンタルを保ちたいだけなんです。

性格というか性質の問題として、HSP傾向にあり、社内に他の人がいると監視されているような気分になってしまいパフォーマンスが格段に落ちてしまう。

人(特に社内の人)と話すときに言葉とか、相手の表情やらを必要以上に考えすぎてしまい、受けなくていいはずのダメージを受けてしまう。その結果、自己嫌悪モードに入ってしまってしばらく立ち直るまでに時間がかかる。

予期せぬタイミングで人に注目されるのがだめで、品定めされてる、監視されてる、悪く思われているんじゃないかという気分になってしまう。よくよく考えたら学生時代から挙手制の授業で挙手したこともないし、とにかく人といることでしんどさを感じてしまう。そもそも人見知りでもあった。

とはいえ、社会人生活もそこそこ長くなってきて、もともと抱えていた人見知りという性格もおおむね克服することができ、人と話すことも合わせることも得意になった。ただ、根本の性格は変わらず、人と話すことや一緒にいることがそこまで得意ではないことに今になって気づいたわけで。

そういった自分の性格や性質に気づくことによって、我慢できていたものが我慢できなくなっていったし、弱っていく機会が増えてしまった。

人と競いたくない

社内での競争、他人と比べて成績を出されたり、そういうので全然頑張れないし、ピンと来ない。

一番重要なのは自分で自分を認められるようになることだと思うし、だけどそれが一番難しいのもわかる。そもそも他人の感情の起伏やらを気にしてしまうから、競ったりなんかしたら身が持たない。

よくよく考えると、人と同じ土俵で相撲を取るのはそもそも昔から嫌いだった。苦手を克服することができなくて、向いていないことを粘り強く頑張ることができなかった。今もそうだし、これはきっと変わらないんだと思う。「誰かよりもできていない」と思ってしまうことが最も刺さってしまうので、メンタルの安定のためにも人とは競わずに生きていきたい。

無理して生きるのはもう辞めにしよう

フリーランスという働き方には昔から憧れがあった。新卒で入った会社では営業をやると思っていたけど、求人広告の制作職に就くことができたし、ハプニング的に就いた職種だったけど自分の肌に合っていることも分かった。

だからこそ、スーツを着ないお仕事で、世界中のどこにいても働けて、日々いろんなところをせわしなく動き回りながら、自分にしかできない生き方をしていく…みたいな人に憧れたりもした。

だけれども、いわゆる人を引っ張っていくような性格ではないし、SNSで「俺は20代のころはこういうことがむしゃらにやったな~、マジでプライベート捨ててたわw そのおかげで今はマレーシア移住、何もしなくても年収2000万円、死ぬ気で頑張ったおかげで今はすげえ気楽に生活してるw たった数年踏んばるだけであとの人生楽になるのになんでみんなやんないの?」
みたいなこと言ってる人も苦手だし、そもそもできないし。

人に頑張ってることを伝えながら生きていったっていいじゃない。偉くなることや人に偉そうにできることってさほど大事じゃないと思えるようになった。

お金よりも時間が大事

だけども先ほど書いた意識高そうなツイートの中でも、「何もしなくても」というところはすごくいいと思う。そりゃなるべくいっぱい働かずに生きていける収入が欲しいし、頑張りすぎて壊れちゃうくらいならやらないほうがいいんじゃないかと。

一人で過ごす時間、友人と過ごす時間、家族・恋人と過ごす時間を確保できないなんてものすごくもったいない。

死ぬほど働いて年収1000万円だったら、負荷の少ない過ごし方をして年収300万円でもたくさんの時間を大切にした方がいいと思う。

僕は浪費家でもありお酒も好きで、趣味もそれなりにあるのでお金を稼げたって使うタイミングがないと悲しくなってしまう。読みたいマンガや小説から、ウォッチリストの肥やしになっている映画たち、最近ギターも触ってないし、一人でスタジオにも行けてない、古着屋さん巡りもしたいし、温泉にも行きたい、最近会ってなかった人にも会いに行きたいし。

そのためには稼がないと…ってなるけれど、たまの贅沢は別に富豪じゃなくてもできるわけで、自分のできる範囲で最大限頑張りつつ、毎日を楽しめるように過ごすのが一番なんじゃないかなと感じた。

なりたい自分は「自分」でしかない

とにかくSNSだったりネット上にはすごい人が目につく。そのすごい人たちは華やかな生活を送っていて、若いころから考えることを辞めずに、自分の価値を高め、高い地位、名誉、収入を得ることができている。そしてそんな人たちの言葉は時に強く自分の胸に刺さってしまう。できない自分を責めてしまうことだってある。

ただ、どれだけ頑張ったってそもそもその人になることはできないし、どうしても自分の気質は変えられないことの方が多いと思う。

憧れている人に近づくことはできても同一にはなれない。それに目標と、気質や性質的な部分かけ離れていることだってある。

だからこそ、無理して誰かになろうとしなくていいし、誰かを目指す必要もない。

世の中に転がっている意見やつぶやき達はあくまで意見やつぶやきなので、きっかけにはなるかもしれないし、参考にしたいこともあるけれど、自分を導いていってくれる人間にはなることは少ない気がする。

人の意見やつぶやきなんてそもそもコロッと変わるものだし。
僕もこのnoteを投稿した翌日にバリバリ意識高いツイートをしているかもしれないし。

やっぱり、真剣に尊敬できる人以外を盲信するのはどうかと思ってしまう。そもそも尊敬や盲信自体が僕にはできないことだから、これもまた向き不向きなのかなと思うけれど。

僕になりたい自分像って、はっきりしたものは今のところないけど、「生きててよかった~」ってずっと思えるぐらいには幸福度をキープし続けたい。というのが最終目標なのかもしれない。

これももしかしたら変わるかもしれないけど、その時々の自分を受け入れながら、自分で決めたこととか考えたことには素直に従って生きていこうと思う。

来年からは、ライター兼ディレクターとしてフリーランスになるわけだけども、
とりあえずは大晦日に笑って過ごせるようにはしていきたい。
なんとか食べていけるようには頑張ろう。

という、決意表明と恥部さらしをここに。

冷蔵庫は大きいほうがいいでしょう