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板門店・開城へ(2)~ようやく到着~

●高速道路の終点には

順調にガンガン飛ばしまくる高速道路ですが
実は途中に3か所ほど検問所があります。

前方にいきなり鉄の柵、そして
赤い旗を持った軍人が現れ行く手を遮ります。
ま、いきなりと言っても何か設置の基準はあるんでしょうが
我々外国人にはわかりません。
あれだけ(←前回の記事)路肩の道路標識を
マニアックに細かくチェックしていたのに(笑)
検問所に関する表示は全く見つけられませんでした。

車内でカメラ構えてきょろきょろしてると
ふいに案内員氏から「カメラをしまってください」の指示。
これを言われると検問所が近い証拠。
そのうちにクルマも減速して停車します。

当然検問所の周辺は撮影厳禁。
乗用車だとヒザのカメラも目立つので
カバンの中にしまっておとなしくしてます。
案内員氏が自身の身分証となにやら書類を見せ
検査担当の軍人が内容をチェック。
チェックそのものはあっという間で
すぐに柵をガラガラと横へずらして通してくれます。
やっぱり住民の移動制限監視なのでしょうか。

そして高速道路も終点に近づいたところで…

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おお。
前方に「ソウル 82km」の表示がっ!
実際にはまだ行けないけど、
道はつながってるんだ、という想いが表されてますね。
右の茶色い標識は世界遺産の墳墓、
王建王陵(ワンゴンワンヌン)への案内板です。

●いよいよ板門店へ

さてようやく到着です。

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前方になにか大層なゲートが見えてきました。
「祖国統一」と書かれていますよ。
右上の緑の標識は「高速道路終わり」の標識。

ここがあの非武装地帯か!と気持ちが高ぶりますが
このゲートは別にまだなんの境界線でもなく
ただの「施設入口」。
この中には受入検査や待合の施設と売店、
それに事前学習展示室があるんです。
売店ではいろいろな記念品を売ってますよ。

ここですべての車両は一度止められて、
乗客乗員はすべて外へ降ろされます。
そして観光客の書類検査と入場手続きを待つ間
こんな別室へ集められて

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説明担当の現役軍人の解説と見学時の注意事項を聞きます。
とは言ってもそれほど堅苦しいものでもなく
慣れた感じでサクサクと説明が進みます。
ワタシのときはまたバス1台分の中国人団体と一緒だったので
説明時の様子はカオスすぎて何も見えず聞こえず…
大群が去った後、ゆっくりと見ましたww

正面の図は「板門店参観路程図」。

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向かって右が北朝鮮側、左が韓国側。
なんとなく中央の川で分かれているようにも見えますが
実は境界線が途中で折れ曲がっていて
左側に青と白で小さく並んだ軍事停戦委員会の建物付近を
横切るように通っています。
見えにくいですけど、柵の絵が描かれてますよ。

右上にある集落が非武装地帯内にある
北朝鮮の「平和の村」(機井洞/キジョンドン)、
川を挟んで反対側のカラフルな建物の絵は
韓国側の「自由の村」(台城洞/テソンドン)。
休戦当時から住んでいた人の子孫が暮らしています。
北朝鮮側には国旗がちゃんと描かれてるのに
韓国側は白ヌキなのがおもしろいですね。
北朝鮮から言えば「韓国」という「国」は存在しないのです。

部屋の左側には朝鮮半島の全体図があって
軍事境界線や非武装地帯が図示されています。
右側にはなにやら写真の展示。

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軍事パレードやミサイルなどものものしい写真のほか
果樹やトラクター、漁船、プールやサッカーなど
およそ軍事には関係なさそうな写真たちも多数。
強い軍事力を持ち、これだけ発展してるんだという主張かな。

その後は次に指示があるまでの間
売店をうろついたり、トイレに行ったりして時間つぶし。
外へ出ると、大きなスローガンが。

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「後代たちに
 統一された祖国を引き継ごう!」

そして、さっきくぐったゲートの裏側には

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「自主統一」と
別の言葉が書かれてました。

●非武装地帯を抜けて

この周囲は軍人がたくさんいるので
あんまりカメラ持ってうろうろしてると注意されます。
おとなしく建物内で待っていましょう。
しばらくすると、おもむろに
「全員整列」の指示が!

バスの団体観光客が駐車場でまず整列。
人数確認の意味もあるのか、
きちんと並んでバスに戻ります。ここでは中国人も素直ww
ワタシたちも案内員氏と3人でまっすぐ並び、車に戻ります。
バスだとここから「警護」の軍人が一緒に乗り込むんですが
こちらの車には乗り込んできませんでした。

軍事境界線までは幅2kmの非武装地帯があるので
さらに車で移動します。

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並木道がキレイです。
対向車もいないので、道のド真ん中を走行。

道路の両側には田んぼが広がり、
農作業している人の姿が見えました。

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北朝鮮側の「平和の村」は他国から「宣伝村」と呼ばれて
集落の形だけ整備して人は住んでいない、と言われますが
いちおう人々の暮らしはあるようです。

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チャリも放置してるし(笑)

案内員氏の話では
約240世帯が主に農業に従事して生活しているとのこと。
ただ、道路から建物は見えませんでした。
グー〇ルマップの航空写真だとそれらしい集落も見えます。

●北朝鮮でしか見られない

そして車は軍事境界エリアの前でまた停車。
「停戦談判会議場」と「停戦協定調印場」のある場所で
いったん下車して見学します。
この2つの建物は、朝鮮戦争休戦の舞台となった
有名かつ重要な建物、ということになるんですが
共同警備区域から離れた北朝鮮側にあるため
北朝鮮に行かないと見ることができません。

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こちらが「停戦談判会議場」。
いつのまにかバスが2台になり、
中国人団体があふれかえってるので内部はパス。
前に北朝鮮に来た時に見てますしね。
中はふつうの古い会議室ですよ(笑)

そしてこちらが隣接する「停戦協定調印場」。

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ここで停戦協定が調印されました。
調印の直前にこれを3日で建てたというのが
ある種「自慢」として説明されます。
観光客がポーズを決めてる説明碑には
「侵略戦争を仕掛けたアメリカ帝国主義者どもは
    英雄的な朝鮮人民の前に膝を屈した」
 と
かなり一方的な説明がw

ここも中国人団体客であふれていましたが
中が広いので余裕でした。

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ほんとに、ずどーんと広い空間なんです。
内部は写真や資料の展示のほか、
もちろん

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調印に使った机や協定調印書なども保管展示されています。

ちなみに、報道などではよく「休戦協定」とも言われますが
説明表示はすべて「정전(停戦)」になってました。
どっちがどうなんだかは浅学のワタシには難しいのですが
法律用語的には朝鮮戦争はいま「休戦」状態らしいです。

●次こそあの青い建物へ?

さてその後再び車に乗り込み
いよいよあの軍事停戦委員会の会議場へ。
さぁあの会議場内で「南側へ越境」するぞ…
と思ったんですが、
今日は「警備上の理由」で会議場へは入れないとのこと。
ええー?がっくり。
せっかく3時間もかけてピョンヤンからやって来たのに。
ま、南北間がいろいろ慌ただしい昨今なので
なにか準備や打ち合わせでも入ったんでしょうか。
こればかりは運が悪いと呪うしかありません。
こういうこともあるんです…

そんなわけで私たちは
「板門閣」の展望台から向こうを眺めるのみに。

「板門閣」ってのは、北側に建つ施設で
南北会談の時に金正恩委員長がお出ましになったアレです。

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ここの3階は展望台というか、テラスになってて
観光客も外に出て南側を眺められるんですよ。

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外へ出られなかったので外観の写真も撮れず…

内部の階段をぐるんぐるんと上がり、

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テラスから、どん。

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北側から見た軍事境界線付近。レアですよww

向かい側に見えるのが韓国側の施設「自由の家」。
手前に並ぶのがかの有名な軍事停戦委員会会議場の建物。
青い建物は韓国、白い建物は北朝鮮の管理となっています。
観光客が入れる(今回入れませんでしたが…)のは
左から3つめの青い建物。これが「本会議場」です。
マイクのコードで南北が分かれている、とかのアレ。
う~ん、入りたかったなぁ。

展望台は中国人団体様で大混雑。
写真バシバシ撮りまくりで大騒ぎです。
ま、ここでは撮影自由なのでいいんですが、
案内役の軍人が「うるさいです(苦笑)」と言ってましたww
以前の写真撮影についての記事でも触れたとおり
ここでは軍人との記念撮影もできちゃいます。

この板門店、
以前に韓国側からも来たことがあるんですが
意外にも北朝鮮側から行くときの方がユルい。

韓国側から行くとジーパンやTシャツは着るなとか
見学は2列行動で大声出したり笑ったりするなとか
写真は決められた場所で一定方向しかダメだとか
「死んでも文句言いません」の誓約書書かされる(!)とか
いろいろと厳しいことで有名ですが、
(最近はちょっと緩和されたらしいです)
北朝鮮側から行くときには別にお構いなしなんです。

極端に言えば短パンTシャツにサンダルでも良し。
誓約書にサインする必要も、一人ずつIDカード下げる必要もなく
写真撮影も軍人さえみだりに撮らなければかなり自由。
北朝鮮だけにメチャクチャ厳しいのでは、という
先入観を見事に裏切られて拍子抜けします。
もちろん、大騒ぎしたり向こうに呼び掛けたりしちゃダメですが。

●続いて市内観光へ

そのあとは開城市内の見学スポットへ。
開城は高麗時代(918年~1392年)の都があったところで
いわゆる古都。見学先は遺跡や史跡が中心です。

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最初に出てきた案内板にもあった王建王陵とか

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高麗成均館(コリョソンギュンクァン)とか。

ここは一帯が「高麗博物館」として
いくつもの史跡が保存されてます。
ここも世界遺産なんですよ。

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「UNESCO」の表示があるとなんか不思議(?)な感じ。
まぁ北朝鮮も加盟してるので不思議じゃないんですけど。

となりの説明板を一生懸命読んでみたものの、
文章の半分くらいが遺跡の説明ではなく
「金正恩委員長がこうおっしゃった」とか
「偉大な首領様と将軍様がこう教示された」とかでした…
そのへんはやはり北朝鮮ですねw

敷地内は落ち着いたイイ感じです。

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ちなみに、隣接する敷地には「高麗成均館大学」があります。

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朝鮮最古の高等教育機関とされています。
韓国ソウルにも「成均館大学」があるんですが、
「こちらの方が元祖です!」と案内員氏が力説してました。

この「高麗成均館大学」には
「ニンジン学科」という珍しい学科があるそうです。
開城は高麗ニンジンの名産地ですからね。

●開城市内の風景

まぁでも、あまり歴史に明るくないワタシには
申し訳ないがあまり有難さがわからない場所ばかり。
むしろ途中の車窓風景に喜んでいました。

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地方都市特有のいい雰囲気があります。

標識が案内する場所も
「駅前」「高速道路」「民族旅館」といたってシンプル。

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ヨソ者にはどこなんだかさっぱりわからず
まったく地元民にしか役立たない(笑)。

その「駅前」とは開城駅でした。

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なんかここだけ妙にスタイリッシュ。

高層のアパートもありますが、
それほど多くはないので空が広いですね。

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中心部もどこかのんびりした空気が漂います。

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ぐるっと市内をひと巡りしたらそろそろ帰途へ。
街を外れるとやはり未舗装道路がメインですね。

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激しく揺れて写真どころでは…

その後は高速道路にまた戻り、

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文字どおり一直線にピョンヤンへ戻ります。

おっと。板門店のことほとんど書いてない…(苦笑)

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