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全国の星崎透へ 『最高の教師』感想

『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』が最終回を迎えました。
以前犯人予想の記事を書いたので、それに対しての反省と、このドラマ全体に対する感想を書きたいと思います。
以下の文章はこの作品の内容に深く触れます。
ご了承ください。

■予想の正解・不正解

以前書いた記事がこちらです。
【参照記事】星崎(奥平大兼)犯人説の場合 『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』

犯人は見事的中しました。
視聴者に分かりやすく描かれていたということでしょう。
犯人や人物像などは当たりましたが、詳細な動機や九条里奈(松岡茉優)の夫である九条蓮(松下洸平)の離婚理由まで踏み込んだ予想は大ハズレでした。
離婚しなかったのは2周目の九条里奈が意識を変えたからだ、というただのドラマ的演出だったのですね。
予想が外れたことへの腹いせとして、疑問に思ったことなどをぶちまけてみたいと思います。
僕自身納得できていないという意味なので、反対意見などいただけますと大変ありがたいです。「そういうことか」とひざを打ちたいので。ひざ打たせて。パパンパン(リズム刻むほどに)。

■校長出せ

あれだけ思わせぶりな演出をしておいて校長が登場しないとは。
本命:菅田将暉。大穴:神木隆之介。くらいのサプライズ出演を考えてたのに。
ちなみに菅田将暉さんは『3年A組-今から皆さんは、人質です-』関連で。神木隆之介さんは『桐島、部活やめるってよ』で松岡茉優さんと共演したつながりでのご出演を予想してました。お二人とも若過ぎますけどね。

大事な場面で学校の長たる校長が不在の学校だ、つまりそもそもこの学校自体が壊れている、というメッセージなのかも知れませんが、だとしたら「校長もヤバイ、学校もヤバイ」というのがわかる演出が欲しかったです。

■セキュリティ見直せ

セキュリティが甘すぎて校長も学校もヤバイのかも。
八王子が舞台ですが八王子の高校ってこんな感じなんでしょうか。
学園祭に夜中暴徒が侵入して展示物を破壊されたじゃないですか。
なぜそこからセキュリティを見直さなかったのでしょうか。
鵜久森さんが転落死したことで花壇を作るという世界の改変が行われましたけど、柵を高くするなど他に対策は無かったですか?鵜久森さん役の芦田愛菜さんの身長が150㎝くらいだそうですが、その身長の女性が勢いで落ちてしまうような柵です。花壇を作るよりももっと手早く対策できます。

浜岡修吾(青木柚)は学園祭破壊工作以外にも制服で来たりナイフ所持で来たりと、いい加減こいつの顔を覚えておけよ!と思いました。守衛さんとか居ないのかな。

九条蓮も校内をうろついてたみたいだし。
もっと事件後は神経質になっても良さそうですけどね。

■夫も生徒たちも見付けるの下手過ぎ

っていうか蓮も生徒たちも九条先生や星崎(奥平大兼)のこと見付けるの下手過ぎでしょ。
目を離すなって。何か起きそうって思ってたんだったら。
鵜久森さんの死を無駄にしないで。
卒業式だからって浮かれてんじゃないよ。

■数か月間なにかできなかった?

そもそも10月の転落事件以降、翌3月の卒業式までをドラマでは数分で経過を説明してましたけど、その間にもっと何か出来なかったんでしょうか。
卒業式の日に九条里奈が自身を突き落とす人物と対峙する、ということ以外に。
星崎は殺人未遂の容疑となりますが、その後の殺傷事件でうやむやになったのでしょうか。
なんなら「来年の卒業式の日。あなたが私を突き落とした日です」とでも言ってカマを掛ければ心境を吐露してくれたのではないでしょうか。
この世界に色が無い星崎にとって、殺人未遂と自殺未遂程度では何も救われない。彼からはそんな悲しい印象を抱きました。

■「明日が来る感覚が無い」という設定は?

鵜久森さんが動画で告げた「明日が来る感覚が無い」というSF設定ですが、この扱いが残念に思いました。
鵜久森さんがその感覚通りに亡くなり、九条里奈が一命をとりとめたのは、そこに何か差があったのでしょうか。
鵜久森さんは世界を変えられなかったけど九条先生は世界を変えたから?
鵜久森さんは東風谷さん(當真あみ)から想いを告げられ感謝で応えました。その後東風谷さんは運命を変えました。その程度では自殺した運命は覆らないということでしょうか。

個人的には「明日が来る感覚が無い」というタイムリープ設定は不必要に感じました。
これは鵜久森さんと同様に九条先生も死ぬんだ、と視聴者にミスリードさせるためだけの設定です。
その結果「じゃあ鵜久森さんはなんで亡くならなければならなかったのか」という作品への不信感を視聴者に抱かせる結果を生んでしまう気がします。

■「1年後、私は生徒に何をされた」のか

本作のサブタイトル「1年後、私は生徒に■された」は伏字となってますが、第1話や番組宣伝を見た限りだと「1年後、私は生徒に殺された」のだとすぐにわかります。
この伏字を最終話で改変することができたとしたら、このドラマの話題もさらに高まった気がします。
例えば「許された」や「励まされた」。語呂が悪いですが「諭された」。また本作に沿って言えば「学ばされた」でも良いでしょう。
視聴者に考える余地が与えられたとも受け取れますが、作品内で何か提示しても良かった気がします。
※他の方の感想を読むと「託された」が正解とのこと。見落としてました。すみません。

■全国にいる星崎へ

星崎が言っていることに共感した人が多いのではないでしょうか。
誰かを殺したいと思わないまでも、自殺することに抵抗が無かったり、日常が灰色だったり、心が動くことが段々無くなっていったり、そしてそのことが悲しいと思えないこと自体が悲しかったり。
このドラマでも描かれたように、あなたは言葉ごときでは救われないでしょう。
命の犠牲でも変わらないでしょう。
自分の命の価値についてもうまく測れないであろうあなたのことですから、自分以外の命なんてもっとよくわからないのでしょう。
遠くの国では明日生きていられるかもわからないような子供たちが暮らしていて、そのことには無関心な人たちが、なぜかドラマの死には心が動き泣いてしまう。そんな社会をあなたを含め僕たちは生きています。
ウクライナ兵の死に悲しみ、ロシア兵の死を喜ぶような人もすぐ隣にいるような、そんな社会です。

僕が、言葉ごときでは救われないあなたにそれでもあえて言いたいことは「あなたは間違っていない」「それでもこの間違った社会を生きて欲しい」ということです。
この社会はbotのように決まった反応を繰り返すクズどもであふれていて、しかもなぜかそのbot達が「普通」で「当たり前」で「常識的」とされています。
なのでbotではないあなたにはこの社会がとても生きづらい。
bot化を促進するような偉い大人たちがいて、それに従うbot達があなたを引きずり込もうとします。
「あなたは間違っていない」
botになる必要などありません。クズどもの言いなりにならないでください。
お気づきの通りこの社会は狂っていてまともなままでは生きていけません。
ですがこの世界(宇宙の果てまでをも含むこの全体)は素晴らしい。
この世界の中にある極小の粒のようなこの社会は生きる価値がありませんが、この世界は生きる価値があります。ものすごく。もったいないくらいに。凡庸な言い方をすれば奇跡です。ありとあらゆるものが奇跡です。
道端の石ころも。草も。風も。太陽の光も。なぜかわからないけど感じることができるという人の感覚システムも。今が2023年9月であるということも。何もかもが奇跡です。
もったいないからこの世界を味わい尽くしてほしい。
この世界を体感するためには、嫌だけどこの社会のルールを守る必要があります。
でもルールを守る価値は十分にあります。
それぐらいこの世界はすさまじい。

もしこのドラマでますます孤独感が強まったり、社会から色味やにおいや味が消えてしまったりしても大丈夫。
それぐらいこの世界は広大で強大で果てしない。ものすごくおもしろい。
だから。もったいないからとりあえず社会のルールを守りつつ、この世界の色味やにおいや味を感じてみませんか?

■まとめ

僕はこのドラマを見て「すごい作品が始まった!」と思いました。
松岡茉優さんと芦田愛菜さんの素晴らしさと作品の設定のおかげでしょう。
その後回を重ねるごとに違和感などが増えていきました。
それは僕が抱いているこの社会に対する不信感とも通底しているようでした。
僕が嫌悪するのは「救われる者はすでに救われてる問題」です。
言葉ごときで救われるのは、元々救われる素養を持っているから。
じゃあその救われる素養が無い者はどうすればいいのか。
なので星崎の存在とドラマの展開に期待していました。

僕は星崎透のような人物が好きです。
もちろん得た情報を誰かに与えたことで混乱を招いてしまったのは残念ですし、教師を殺そうとしたり自分を殺そうとするのは共感できません。
だけど彼が感じるような社会から疎外されてる感覚や日常が平板に見えるという感覚は共感できます。
そのつらさは星崎本人にしかわからず、それゆえに自分だけがおかしいのだと考えてしまいます。
九条先生と関わることで色が付いていく同級生たちを見て、疎外感はますます強まったことでしょう。
透明な存在である星崎透。
彼のような人たちにいつか言葉が届くことを期待して、僕は文章を書き続けています。

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