見出し画像

戦争により消えて無くなる『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』感想と湧き出る疑問

涙が止まりませんでした。あふれ出る涙を幾度となくぬぐいながら最終巻を読み終えました。
『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』(武田一義著、全11巻)
この作品は昭和19年、太平洋戦争末期のペリリュー島を舞合に壮絶なまでの戦場の様子を描いた漫画です。
ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻から1か月以上経過し、「なぜ戦争が起こるのか」「戦争を止めるためには何が必要なのか」などいろんな疑問が浮かびました。
僕は元々歴史に疎く、戦争を描いた作品は数えるほどしか見たことがありません。
戦争について学ぶためにも話題になっていた本作を読んでみました。


■ 感情がぐちゃぐちゃになり放心

『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』を読んだ方が良いかと問われたら自信を持って「読んでください!」とおすすめします。
ですが読後に訪れる絶望感や無力感、喪失感、可愛らしい絵柄からは想像できない悲惨な描写や生の恐ろしさ、淡々と綴られる死のあっけなさなどを思うと安易にすすめられない作品でもあります。

塚本晋也監督作品『野火』を観た時も物凄い街撃を受け、「戦争は絶対に繰り返してはならない」と強く思いましたが『ペリリュー 一楽園のゲルニカー』の読後この思いがより強固なものになりました。
「戦争による死」と「その他の死」は同じ「死」でも根本的に大きく違います。
僕個人の感じ方からすると、「戦争による死」は事故死に近く、しかもほぼ事故に遭うとわかっていながら無力なまま立ちすくみ続けなければならない、という印象です。
そこから逃れるためには、まさに人であることを捨て去るしかないのです。
「戦争による死」は敵軍による爆撃や銃殺だけではありません。
水や食糧が枯渇し餓死や衰弱死に見舞われたり、味方同士で水や食糧を奪い合い殺し合いに発展する場合もあります。
疫病による病死ももちろんあります。
どれも戦争が無ければ起きなかった死です。
中には味方の死体を食べ飢えをしのいだとされる描写もあり、倫理観も「戦争による死」の前では無化されてしまうと戦争への恐怖と僧悪が大幅にふくれ上がりました。

作中では、日本が無条件降伏をしたあとも潜伏し続けた日本兵たちが描かれます。
アメリカ軍が戦争終結とアナウンスしても信じず、あろうことかそれを受けて降伏しようとする仲間を監禁し、殺します。
戦争が日常と化すともう誰も正常な判断などできないのです。


■ 戦争はあってはならない

人間性をたやすく剥ぎ取ってしまう戦争。
東京大空襲では約10万人の死者数が出たそうです。
広島への原子爆弾投下では約14万人の死者数が出たそうです。
長崎への原子爆弾投下では約7万人の死者数が出たそうです。
ロシア軍によるウクライナ侵攻でも民間人への攻撃が国際的に批判されています。
1945年のアメリカ軍による日本への攻撃はどうなのでしょうか。
個人的に疑問なのは、アメリカ軍に居たであろう多くのキリスト教徒たちは、教義に則り日本人たちを殺しまくったのか、ということです。神の御心のままに爆弾を投下したのでしょうか。
アメリカ軍にとって日本人は人では無くキリスト教に与しないサルという認識だったのでしょうか。
僕にはもう何もわかりません。

憲法9条には「戦争放棄」「戦力不保持」
「交戦権否認」が書かれているそうです。
9条を書き換えたい人たちは、この辺りをどのようにしたいのでしょう。
現状の9条のままでは何がいけないのでしょうか。
もし憲法を書き換えたことにより他国から敵国として認識されてしまい戦争になったとしても、日本は敵国に負けないと思いますか?
日本も韓国のように徴兵制になったとしたら
、そんな国になってしまった日本に住む若者たちの自殺率は上がるでしょうか。下がるでしょうか。
他国を攻めることができる戦力を保持した場合の中長期的なメリットとデメリットは、メリットの方が大きいのでしょうか。そしてそのメリットは、何人の命を奪い、日本の文化水準をどれほど減らした先に存在しているのでしょうか。

そもそも、書き換えられる予定の改憲の条文を読み解く能力が我々にあると思いますか?
その憲法は果たして国民の幸福のためにありますか?未来の国民の幸福を超大に前借りしているだけではないですか?
僕にはもう何もわかりません。

ただ、戦争は全てを破壊する、ということはわかります。
思い出も文化もー瞬で吹き飛びます。
四季を味わった景色も、冬から春に掛けて移り変わる自然も、大切な人と過こした場所も、積み重ねてきた知識も、骨ごとすべて消し飛びます。
それでも日本は戦争ができる国になるべきなのでしょうか。


■ 核兵器を保有すべきか否か

ウクライナが核兵器を保有していないことから、ロシア軍に侵攻されないためにも核兵器は大事なのだ、という意見が目立ちます。
日本もアメリカに守ってもらおうなどという甘い考えは捨てるべきだ、と。

ここには大きな論理の飛躍があるように感じます。核兵器を持たない国は数多くありますが、どの国もいつか侵攻されそうなほど緊迫状態なのでしょうか。
日本はアメリカの後ろ盾を失ったらすぐさま侵攻されるのでしょうか。

核兵器を保有するということは、「戦力不保持」を書き換えて、さらにアメリカをも敵国に成り得るということだと思います。
ではアメリカに対抗できるこほどの軍事力を備えたり、兵力を鍛えることは可能だと思いますか?
アメリカは敵に回さない。でも核兵器は保有したい。このような高度な交渉をアメリカに行うことが出来るでしょうか。

アメリカにお伺いを立てながら核兵器を保有したり、アメリカの機嫌を損ねないように軍備を整えていくには、どれほどの交渉力とお金が必要になるのでしょう。
そして当たり前ですが、核兵器を研究して開発して管理するためのお金も、我々の税金から支払われます。
もしかして核兵器保有賛成派のみなさんは、日本が先進国だと勘違いしているのかも知れません。
日本はもうとっくに先進国から脱落しているというのに。
(その意味で日本に侵攻する旨味があまり無いように感じます。狙われる資源はなんでしょう)

これらの僕の疑問に対して納得の行く反論が無い限り、僕は永久に「戦争反対」「核兵器保有反対」を掲げます。


■ そもそも核兵器を持てば平和になるのか

では仮に核兵器を保有したとしましょう。

日本は国土が狭いですね。逆にアメリカやロシア、中国やインドなどは国土が広いです。
これだけ見ても日本は核兵器競争で大いに不利だと思いました。
なぜなら日本は国土が狭い上に居住可能な平地も少なく、核爆弾を都市部に投下されたら多くの死者が出ます。言わば効果的に日本を衰退させるための狙いが定めやすいでしょう。
一方アメリカやロシアや中国は国土が広いです。主要都市の数は少ないとしても「日本に核爆弾を落とすこと」と「日本以外の核保有国に核爆弾を落とすこと」とでは大きくバランスを欠くのではないでしょうか。

さらに根本的な問題として、日本の政治家に核兵器による牽制や物事を優位に運ぶための外交を行える人物がいると思いますか?
日本が核兵器を保有したところで「どうせ撃ってこない」と思われるのでは無いでしょうか。


いくつもの疑問が出てきます。
改めて自分の無知無学さを痛感しました。
ただ、確信していることは、有事の際に真っ先に死んでいくのは僕たち弱者だということです。
『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』に登場する若者たちは地獄のような日々を数年過ごしました。
不安や恐怖による扇動かを見抜き、しっかり熟考しながら決断していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?