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今日の本|コンプレックス・プリズム(最果タヒさん)

私はネタを作ったりギャグを作ったりするとポイントが貯まる、オリジナルポイント制度を設けているのですが、30ptを使って「本を買って良い」という景品に還元し、ずっと読みたかった最果タヒさんの詩集を初めて買いました。

コンプレックス・プリズム(最果タヒ)

10代のころに感じていたり、今でもずっと色濃く残っていたりする劣等感。そうやって傷ついてきたことってあなたにもありませんか? 詩の新しいムーブメントを起こし、今最も注目される稀代の詩人・最果タヒが、「コンプレックス」をテーマにエッセイを上梓しました。「コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちこちを、持ち上げて光に当ててみる。」

(コンプレックス・プリズム「はじめに」より抜粋)

「天才だと思っていた」

この詩集を買いたいと思ったのはこの「天才だと思っていた」という詩のタイトルを見かけたときでした。

タヒさんもツイッターで掲載されているので、冒頭のみ引用する。

13歳。
なんの天才なのかはわからないけれど、でも自分は確実に、何かの天才だと信じていた。それは自信があるとかそういうことではなかった、ひとりの人間として世界をかろうじて直視し続けるために、どうしても必要な「言い訳」だったと今は思う。

コンプレックス・プリズムより

わかるなぁ、という大きな同意しかなかった。

私が天才だった時

私は小学5年生のとき、ソフトボールにハマっており、小学校卒業まで「甲子園に行ける」と信じて疑わなかった。卒業アルバムの寄せ書きにも「甲子園行けるよ!」と書かれた。寄せ書きを書かれているとき、野球部の男子から、甲子園が野球で、しかも男子しか行けないということを知った。ひどく絶望した。

13歳、ハリウッドスターになれると思っていた。

13歳、中学1年生のとき。甲子園に行く夢は叶わないことを嘆きつつソフトボール部に入部した。そして、私は別のでかい夢を持ちたかった。
「ハリウッドスターになりたい」と3年間思っていた。本当に。なれると思ってもいた。
しかし、英語がペラペラでなければならない。
英語はキツいなぁ、とちょっと冷静な意見もありハリウッドスターの夢はあきらめた。

2006年、中学3年生の3学期、もう卒業も間近な時、「高校では演劇をやろう」と決めた。
ハリウッドスターになりたいと思いながら、一度も演技をしたことがなかった。

そして、当時一番ブレイクしていたキャンキャンのモデル、蛯原友里こと「エビちゃん」をテレビで見かけて稲妻が走った。

「よし、高校では、かにちゃんというあだ名でいこう」

人生で初めてボケた日

高校の入学式、クラスでの自己紹介で、私の苗字はあ行、3人目だった。
「初めまして、上戸彩です。」
人生で初めてボケた瞬間だった。
つづけざまに、「私のことはかにちゃんって呼んでください。」

イタい奴だと思う。そんなにウケていなかった。
女子校で、スカート丈も長い真面目な人が通う学校で、まさか自己紹介の3番目でボケる人がいるなんて驚かせてしまったと思う。

でもクラスではすぐに「かにちゃん」と呼ばれ、「上戸彩」も高校生活4年間ずっと語り継がれた。

高校まで、いわゆる「むてきじかん」が続いていたと思う。
おしゃれでもないし男の子にモテたためしはないけど、「天才」だと思っていた。

本当の天才がいっぱいいる

努力ではうまくいかないこと、いくら好きでも付き合ってもらえないこと、自分は恐ろしく服がダサいということ、大人になると挫折することが多くて、だんだん周りが見えてくる。
そして、「本当の天才」や才能がある人が世の中に溢れていることを知る。すると何をするにも「もっとすごい人がいる」とか「もっと面白いひとがいる」とつきまとい手足を広げられない。

この最果タヒさんの「天才だと思っていた」は、あの時の無敵感、今思えば「天才と思う」ことで自分を守っていたことがわかった。

「じぶんは天才だ」と自分にだけ言い聞かせることは、昔はずっとスター状態でいられたけど大人になってからはすぐに効果が切れてしまう。
だから日々「こんなの誰でも思いつくわばーかばーか」という気持ちを、「天才だ」という強い気持ちでドーピングしつづけている。
そのうち自分の言葉も効かなくなるくらいボロボロになる時がくるけど、「天才」だと思い続けるしかない。

売れたらえびちゃんと上戸彩さんに会いたい。

売れたらえびちゃんと共演したい


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