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芸能におけるシャーマニズムの解体

芸能の神と常世について

すずめの戸締まりの映画パンフレットに

災害装置としての『後ろ戸』は、 そもそもは古典能楽における概念であり、神や精霊の世界に繋がる扉のことである。日本古来の芸術表現は「後ろ戸の神」から授かる超常的な力が源泉と考えられていたそうだ。本作の 『後ろ戸』は「常世」 いわゆる霊界のような場所と繋がってしまったドアとして描いているが、その意味では『君の名は。』『天気の子』と同様に、 民俗学的なアイディアを物語の仕掛けとしている。

と書かれている。

この後ろ戸の神、古典芸能の神である秦河勝という人物を追いかけていくと、常世の物語に繋がっていく。彼は秦の始皇帝の生まれ変わりだと言われている、秦の始皇帝は常世の国に不老不死の妙薬があることを信じ、徐福という人物に常世の国へ行き、薬を探し見けるように命じている、その徐福が来ていたのが日本でした。

秦始皇帝
 

その秦の始皇帝の生まれ変わりが秦河勝となります、初瀬川氾濫により三輪大神の社前に流れ着いた童子を見た欽明天皇は、以前の夢で「吾は秦の始皇帝の再誕なり縁有りてこの国に生まれたり」と神童が現れていたことから、「夢にみた童子は此の子ならん」として殿上に召した。後に帝は始皇帝の夢に因んで童子に「秦」の姓を下し、また初瀬川氾濫より助かったことから「河勝」と称したとされる。

長谷寺・三輪山の後戸、秦河勝生誕の地

 そんな秦河勝の時代・皇極天皇3年(644年)大生部多というものが長さ4寸ほどの虫を指して「これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得られる」といい、虫祭りをすることを勧めた。巫女たちも神のお告げといつわり、「常世の神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このために信仰は広まり、都でも田舎でも常世の虫をとって安置し、財宝を差し出したが、何の利益もなく、損失が多かった。秦河勝は民衆が騙されるのをにくみ、大生部多を捕え打ち懲らしめたところ、巫女も恐れて祭りを勧めることをやめた。時の人は以下のような歌を詠んだ。

 太秦は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲ますも(ウヅマサハ カミトモカミト キコエクル トコヨノカミヲ ウチキタマスモ)〈太秦(うづまさ)は神の中の神という評判が聞こえてくる。
常世の神を、打ちこらしたのだから。〉
※太秦とは秦河勝に天皇が与えた名です。

生まれ変わりという関係を持った者が、常世という世界に関係している。一見この物語は常世を閉じるような振る舞いでありながら、秦河勝が後ろ戸の神とされるのは、やはり常世を開く方法がマメノウズメノの岩戸開きでもあるように、芸というものにあるからだと思うのです。

翁=秦河勝


【後戸とは】
…例えば東大寺法華堂の執金剛神,二月堂の小観音(こかんのん),常行堂の摩多羅神(まだらしん)などがその典型。法会儀礼のなかで後戸の神をまつる呪法は芸能化し〈後戸の猿楽〉という呼称が示すように中世芸能誕生の舞台となった。能楽の翁を後戸の神(宿神・守宮神)といい修正会(しゆしようえ)などの延年に登場するが,古来,修正会に後戸から鬼が出現するのもまた普遍的であり,ともに後戸の宗教性を象徴している。…

【宿神とは】
…中世の《享禄三年二月奥書能伝書》によると,宿神は台密系の大寺院に祭祀する仏法守護神たる摩多羅神(まだらじん)であると明記してある。世阿弥の《風姿花伝》に載せる猿楽起源説話にいう〈後戸(うしろど)の神〉が,実態は摩多羅神であり,初期の呪師(しゆし)猿楽のわざはこの神に対する〈神いさめ〉であったことと関係がある。猿楽民の宿神信仰は,呪術宗教性を未分化なものとしていた中世以前の芸能の根源的な性格を象徴するもので,宿神はすなわち芸能神であったといってもよい。

コトバンクより

この後戸の神・秦河勝という人物を題材にして、取り組んでいるお酒のパッケージデザインを、中国のグラフィックデザイナーの方に依頼している。すごく惹かれるデザインをされる方がいて、お声掛けしたら偶然にも中国の方だった。このお酒は中国から渡って来た渡来人の代表的な存在である秦河勝という人物のお酒であることなどを話しながら、デザインを進めている。言葉の壁があり、手探りな感じで仲間に通訳のサポートをしてもらいながら取り組んでいる。このお酒が孕んでいる物語が国を超えて伝わればとても嬉しいなと思っている。

#すずめの戸締まり #宿神  #後戸の神 #ネタバレ #常世 

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