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03 私の地元 丹波篠山市

「0⇒1の元・引きこもり主婦 ~見知らぬ土地で友人0、親戚0の引きこもり育児から友達1800人作って3人の子を産み、起業する一人の30代主婦の話」
第3話です。

みなさんこんばんは、さかたです。
前々回の記事に「スキ!」が沢山来ていて、「スキのおしらせ」がnoteから届くたびに、なんだかいっぱいの人に「スキ!」と言われているような気持ちになりとても幸せです(単純ですね笑)。

今日は私が今の活動に至る大切なルーツの1つ、地元について書かせていただきます。
私の地元は、兵庫県にある篠山市という田舎町です。
(現在の市名は丹波篠山市)

人口4万人の、とっても小さな田舎。

令和4年には一部の地域が国から過疎認定されたガチの田舎です。笑


今でも年2回程度は帰省しますが、帰省した際の車からの景色は以下の感じ。↓


田んぼ。

畑。

田んぼ。

畑。

田んぼ・・。

畑・・・。

(以下くりかえし)

ただこの篠山市には、歴史的な建造物や価値のある文化財が多く残っていて、しょっちゅうTVの収録があったり、映画の撮影なんかが入ったりしています。

ことりっぷで特集されたこともあります(タップで購入へ)


またここ10年で移住者も増え、それぞれの趣味を生かしたおしゃれなお店が始まったりと、隠れた魅力のある町です。
歴史深く至るところに自然の恩恵を感じることができる、私にとってはヒーリングスポットなんです。


昔から地元が大好きだったか?
いいえ全然、むしろ辟易していました。
どこを見ても同じ景色ばっかり。
大阪まで電車で1時間かかる。
ミスドがつぶれる。
高校生になるまでマックはなかったし、遊ぶところもない。
プリクラ撮るのに電車で30分とかいうレベルでした。

つまらなくてまるで「鳥かごの中」のようだと思っていました。



今思えば、そこで我慢して暮らしていればこんな苦労しなくて済んだものを・・・と思えるのですが、当時の私(17歳)は鳥かごを飛び出して、まさかの海外へと羽ばたくのです。

そして紆余曲折あり現在、茨城県の地元を活性化させようとしています。


人生、本当に何がどうなるか分からない。


1つ、地元を離れて強く感じることがあります。

それは、離れた若者が帰って来るには「職」が必要だということ。
しかも、外の世界(県外や国外)で色々な情報に触れ、様々なスキルを身に着けてきた若者が満足して手腕を発揮できるような職が必要だと思います。

田舎ならではの移住者支援や観光関係の仕事、好きを活かした開業支援やノマド受け入れなど、、、(私の浅い知識だとこんなくらいしか浮かびませんが。)

丹波篠山にも10年前に株式会社NOTEさんが地元にオフィスを構えて、「ノオトっていう会社ができたらしい」「一体何をするんだろう」と、住民の中で噂になったものです。ノオトさんの働きがけで、移住者が増えたり、新しいお店がオープンしたりするのですが、当時の地元民の中は「日常を荒らしに来たインベーダー」と捉える方も少なくありませんでした。


私も当時は若すぎて、地域で暮らす、という所にそこまでの熱量は持っていなかったので、
「外から来た人たちが何かやってんねんなー」位しか感じていませんでした。
この事を今もずっと後悔しています。

逆に今は、以前の私のように後々、茨城で後悔する若者がもっと増えて欲しい!と思うようになりました。

「くそーーーあの時この町に残っていれば、面白いプロセスを追えたのにーーー!!」「あの時出ていかなきゃ良かった!!」
って。笑

なかなか、、、結婚して、子どもができて家を建てると動きづらいんですよね。旅行もそうだけど、移住となるともっとエネルギーが要る。

なので総じて、「若者からの町おこしへの期待感とグルーヴ感」というのは未来の町づくりにとって本当の要になってくるんじゃないかなと思っています。


今日はここまで。ご覧いただきありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えくださいね。

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