友人と「君たちはどう生きるか」の話をした

友人と「君たちはどう生きるか」について話した。
※友人の許可をもらってここに書いている。

友人とは、あるアニメをきっかけに知りあった。放送して20年近く経つのに、根強いファンがたくさんいて、今も新しいイラストをSNSに載せたり、感想が流れてきたりするようなジャンルだ。中でも人気のカプがあって、私も大好きで2次創作などをしていた。
友人は積極的にそのカプを推しているわけではなくて、むしろ「この2人はお互い別のパートナーを見つけた方が良い」という考えだった。それでも私たちは仲良しで、お互いが作った薄い本の付箋本(本に感想を書いた付箋をぺたぺた貼ったもの。もらうと死ぬほど嬉しい)を送り合うくらいだった。

そのジャンルはなんというか、カプがどうのというより、「とにかく幸せになってくれ」という考えの人が多かったように思う。人の幸せを願い、自己犠牲を払うことを厭わないキャラがいて、多くのファンがその子を応援して幸せを祈っていた。その「祈り方」がそれぞれみんなの中にある感じ。私たちもこの「幸せになってくれ」という強い祈りが共通していたから、仲良くすごしていた。幸せについて考えることがとても多いジャンルだったと思う(過去形で話してるけど今も現役で大好き)。

最近そのジャンルで活動できていないけど、その友人とは親交があり、今は色んな話をするようになった。

でも「君たちはどう生きるか」の話題になった時、ちょっとピリッとした空気になった。私の勘違いのせいだったんだけど、友人の話を聞いているうちに、「私たちの意見、真逆っぽいな」と判断して、「これ以上話すのはお互いのためにならないからここでおしまいにしよう」と言って、私から話題を止めたのだった。同じアニメを好きだった仲でも、別の作品を見れば当然感想や意見が違うことはあるだろう。でも私はその覚悟がしっかり固まっていなかった。

しかし翌日友人は「昨日はごめん、サブカルクソ野郎のマウント取りみたいな言い方してた。」と謝ってくれた。そんな風に思ってなかったから謝る必要はなかったし、サブカルクソ野郎のマウント取り、という響きがやたらと面白くて笑ってしまった。私は私で、「やっぱりあの子の意見が聞きたいな…」と思っていたので、自分から感想を求めておきながら大人気なく話題を打ち切ったことを謝った。最初に謝ってくれた友人はすごく偉いと思う。

そして2人で改めて映画の話をした。
そうしたら、意見が真逆だと感じたのは私の早とちりで、結局同じ方向性の感想を持っていたことがわかり、とても盛り上がった。友人は博識で、児童文学や西洋絵画、当時の時代考証などを絡めながら、色んな話をしてくれた。私はそういう知識がないので、自分の経験や感覚や妄想に基づいて話した。友人は無益な私の話をうんうん聞いてくれた。

それから「あの映画、本当に優しい映画だったよね」と話した。
話すうち、2人とも「ほんと優しいよね」「うん、駿優しい」と泣きだし始めたのが面白かった。あの映画からものすごい「優しさ」を2人ともが感じとっていたことがなんだかすごく嬉しかった。ああ、私はこの映画が好きだし、この子がとても好きだし、この子と話す時間がすごく好きだなと思った。

あの時の、なんとも言えない金色みたいな空気のことを、ずっと覚えていたいなぁと思う。


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