憲法学が同性婚をどう扱ってきたか(辻村「憲法と家族」を手がかりとして)

なんだか大仰なタイトルをつけてみたが、要するに

の続きである。辻村先生のいう「通説」とはなんなんでしょう、という疑問をいただいたのでもう少し辻村説の説明と(この部分は要するに書籍の要約と読解だ)、それを補うために個人的に調べたことのメモ程度のことである。まあ、辻村先生が何をどう考えてこう書いたか、みたいなことは存命の人なのだから辻村先生に聞きに行けば分かりそうなものだが、人間という生物を離れた「学説としての辻村説」は文章の上にしか存在しない(というのが私の理解である)ので、そのへんはあまり気にせず勝手に書かせてもらうことにする。


さて、辻村先生は、なぜ「通説」を「24条下では同性婚は容認されないと解してきた」ものと理解するのか。


辻村先生が、上掲書129頁で、ここでいう「通説」と対比するのは安念潤司説である。おそらくこの対比ぶりに意味がある気がする。

辻村先生は、安念先生が「早くから24条の拡大解釈によって同性婚をも合憲とする解釈論を提示していた」として、嚆矢として1992年の安念「憲法問題としての家族」(ジュリ1022号49頁)を挙げる。ただし同論文は同性婚を明示で扱ってはおらず、ただ、安念説の憲法24条理解として、「家族が、究極的には平等で自由な個人間の結合であるほかないと示すもの」ということが述べられている(同50頁)。

安念説はここから1998年の「家族形成と自己決定」論文(「講座現代の法14自己決定と法」(岩波書店)129頁以下)へ発展する。らしい。らしいというのは私はこの書籍にあたれておらず、安念説がこれを「再掲」したという2002年のジュリ1222号21頁「『人間の尊厳』と家族のあり方ー『契約的家族観』再論」によるからである。辻村先生が上掲書で引用しているのは1992年論文と1998年論文のみである。安念先生は、ここではっきり「契約的家族観」と銘打って、「パートナーの選択も無制限に自由となる」解釈を提示しており、これは同性婚をむしろ積極的に是認すべきという趣旨である(ちなみにこの解釈は、そもそも法律婚のみに特別の地位・保護を与えるべきでないという主張とセットである)。


安念説の紹介が長くなったが、辻村先生はこれを「契約的家族観とリバタリアニズムの価値観から、『国家からの自由』の徹底を目指した安念潤司説」と紹介している(上掲書129頁)。


これに対比する形で辻村先生は、「反面、通説は、24条の『両性』をboth sexesという定めとして捉え、24条下では同性婚は容認されないと解してきた。」と続ける。そしてここでの「通説」には、芦部、佐藤、長谷部、渋谷説が挙げられている(上掲書129頁注117)。

で、この諸説については、少し場所とテーマ(民法733条、900条等の憲法適合性の問題)が飛ぶのだが、同書144頁以下にもう少し詳しい引用があり(そこに飛ぶように上記注117で指示されている)、各論者の基本書をやや長めに引用して確認されている。このうち上記の各説について必要な範囲で触れると次のようになろう(なお、ここでは、辻村先生による学説の読み方を問題にするので、原典の趣旨自体については一応おく)。

芦部説は、その基本書(「憲法」)において、「そもそも、憲法24条についての解説項目や言及自体、全く存在していない。」ということで問題外であるようである。

また佐藤説(「日本国憲法論」)も同じく24条についての項目がないということで同様なのであろう。

長谷部説(「憲法(第6版)」)は、この点について、14条1項の解説の問題としてであるが、「男女」が「法律上の『婚姻』として法的に承認され、各種の便益を受けるような結合関係を取り結ぼうとする」ものが「婚姻」であるという理解のもとに、「それ以外の家庭のあり方は、法によって承認され、保護される対象とはならない。」と述べている。辻村先生はこの記述を「婚外子や同性カップルに対する差別立法につながる危険をはらんでいるといえよう。」と批判している。長谷部説の理解の仕方が同性婚について単に「無関心」なのか、「非・保障」にとどまるのか「許容」なのか「禁止」なのか、個人的にはかなり首をひねるところだが、辻村先生はこれを「容認されない」と整理するわけである。

渋谷説(「憲法(第2版)」)についても似たような触れ方をしている。渋谷説の引用としては、「同性間の婚姻と同程度に保障されると解することは憲法の文言上困難である。ただし、同性間の婚姻あるいは婚姻に準ずる関係(パートナー)を認める国が出現しつつあり、従来の社会通念の根本的な見直しを迫っている。」という部分である。これも個人的には「非・保障」であって、「禁止」ではないように思えるのだが、辻村先生の理解ではこれも「容認されない」カテゴリーに入ることになる。

この部分(144頁以下)でほかに引用されているのは野中ほか「憲法Ⅰ(第5版)」と高橋「立憲主義と日本国憲法(第3版)」だが、注117で触れられていないのでおいておく。


辻村先生のここ(144頁~149頁)における視角は強く一貫しており、それは、これまでの憲法学説が「憲法24条及び家族問題への関心は極めて低かった」(144頁)ということである(そしてそれが1990年代以降変化してきたということである)。それを前提に、辻村先生は、「憲法24条解釈においても、24条下で『同性婚』も容認しうると解する見解も少しずつ増えているように見える。」(上掲書356頁)と、かなり慎重な言い回しでまとめている(同性婚について。もちろんそれ以外にも種々の論点に言及されている)。

そもそも、辻村先生が理解する同性婚をめぐる現実の社会状況も、平成28年の上掲書発行時点で、「20か国余りの国で法改正により同性婚を容認したが、日本では、まだその要求が訴訟等に発展している段階ではない。」(128頁)というもので、渋谷区の条例、世田谷区の要綱などに触れた上で、「憲法制定時には同性婚はまったく念頭になかったと思われる反面、上記のような状況の変化を理由とする今日の学説の変化も、個人の尊重や幸福追求権が重視される昨今では、あながち無理な解釈とは言えないのが現状である。」(129頁)という実におっかなびっくり(?)の書きぶりである。


このあたりからが私見なのだが、つまり、「『空気』としては『そういうもの』だったのではないだろうか」というのが個人的な感想なのである。空気という用語法には、例えば関心の薄さといったニュアンスも含んでいる。


それで私の言い回し自体が、「24条が同性婚を「禁止していない」ことが「当然」の憲法解釈であると今日的に述べてしまうことには、その内容自体は妥当であっても、いささか躊躇めいたものを感じざるを得ない。」

という(これまた非常におっかなびっくりの)ものになっているわけである。


たとえば、上記まとめで出てきた赤坂先生の参考人意見なども、この時系列で読むと、赤坂先生が「ラジカル」な「ごくごく少数の説」と紹介されたのは、あるいは安念説あたりが念頭におかれたのではあるまいかと思うわけである(もちろん真偽のほどは不明である)。

そして、同性婚に対する通説的理解については、参考人意見としての比較的簡単な(しかも口頭の)コメントなので深読みもどうかと思うところだが、「一般的には…設けられないことになっているんだと思うんですが」というニュアンスの「弱さ」がこの「空気」を示しているのではなかろうか。


もう一つ傍証を示しておく。民法学(家族法)からのアプローチにおいて憲法学説ではどうなっているかを検討したものがある。1995年時点で、大村敦志先生(当時まだ東大助教授である)がジュリストに「性転換・同性愛と民法」という論文を載せており、その「下」(ジュリ1081号61頁)で憲法学説に触れている(64頁)。ここで引用されているのは1995年の樋口陽一先生の「”近代”にこだわるー”人権”という考え方をめぐって」(法セミ489号17頁)の一部である。大村先生の引用の仕方を見てみるとこういうものである。

「この規定(引用注:憲法24条)については、…『日本国憲法は、家族というからには『両性の合意』でなくてはならないと言っていますから、そこまで積極的に道を開いているわけではありません。』(引用注:樋口論文の引用)と見るのが一般的な理解だろう。」

この場合注目すべきなのは、おそらく、大村先生による樋口論文の引用の仕方や理解の当否ではなく、大村先生が、「こういう(法セミの口語体の)ものしか引用しないで『一般的な理解』を述べたこと」自体だろうとおもう。前述の「空気」の中では、1995年当時の大村先生としてはそういう引用の仕方しかなかったのではなかろうか。

ちなみに樋口先生が現在どういう見解を述べているかというと、樋口「憲法(第三版)」(2007年。初版は1992年であるが追えていない)278頁に次のような記述がある。

「家族の問題について『個人』を徹底的につらぬこうとすれば、24条は、後述するワイマール憲法の家族保護条項とは対照的に、家族解体の論理をも含意したものとして読むことができるだろう(もっとも、『両性』の本質的平等とのべているかぎりで、同性の結合による『家族』を憲法上想定するほどには徹底していないが)。」

ニュアンスが同じと読むか違うと読むか微妙なところである。


以上、卑賤な実務家がごく狭い範囲の資料に基づいて思考した雑駁な、それこそ「空気」のような「空気」の検討であり、的外れとの批判も覚悟するところであるが(なお、「空気」という用語法は本稿執筆時に言語化した)、以上のような「空気」を、仮に同性間の「婚姻」を早い段階から希求した層があったとしてどのように受け止めたか。やはり「無関心は禁止と同じ」であったのではないだろうか。法に携わるものとしての自省を込めて一旦脱稿とする次第である。

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