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「モラハラ加害者は変わることができる」という「事実」が与える幻想

これについて、少し書こうと思ったらだいぶ長くなってしまったので、ここにまとめておく(まとめるというほどまとまっていないことについてはご海容願いたい)。 1.「モラハラ加害者は変わらない」のか 私見は、「モラハラ加害者も変わる可能性がある」ということ自体を否定するわけではない。どんな人間にも変化の可能性はあり、それが良い(とされる)方向への変化であることは常にあり得る。例えば、犯罪行為をした者も「今後、二度と犯罪行為をしない」という意味での更生(何をもって「更生」と定義づけ

    • 大阪弁護士会の「共同受任弁護士」制度について(報酬分配の取り決めは任意だそうです)

      前記事 で問題提起した共同受任弁護士制度を含む「分野別登録弁護士」制度ですが、3月12日の臨時総会で賛成多数により可決されました。 しかし、私も総会に出席したところ(もっとも、予定の関係で途中から入室し、さらに上記制度(7・8号議案)議決後に退出してしまった上、総会に出席したこと自体初めてで流れもよく分かっていませんので、何らかの誤解があるかもしれませんがご了解ください)、総会の中で、担当理事者の説明及び質疑により、私の疑念は一部解消されるに至りましたので、改めて記事にし

      • (続)憲法学が同性婚をどう扱ってきたか(過去の議論に向き合うことの意味)

        前稿 の続編ということになる。 念のためだが、個人的なスタンスをあらかじめ述べておきたい。 私は、同性婚が認められない合理的な理由はなく、異性婚が認められる以上、それと同様に同性婚を認めるべきだと考える(ただし、そのことが法律婚を偏重する結果になるべきではないとも考える。この点はここでは詳論しない)。 そして、同性婚を認める上で、憲法24条は障害にならないと考える。憲法24条の「両性」「夫婦」という用語法は、確かに少なくとも制定当初「男と女」の一対の当事者を想定していたも

        • 大阪弁護士会の「分野別登録弁護士」(仮)はほとんど何の意味もない肩書になると思います(主に一般の方向け)

          1.はじめに 本稿は、おもに一般の方(弁護士でない方)向けに、大阪弁護士会が導入しようとしている「分野別登録弁護士」という制度の問題点を知っていただくことを目的としています。 と同時に、その裏面として、「こんな制度を導入するべきではない」という認識を同業の方に持っていただきたいという思いもあります。 基本的には前稿 の続編ですが、一般の方はこちらは読み飛ばしていただいても大丈夫です。 2.制度の概要 この制度は、大阪弁護士会が2019年4月から始めたいということで

        「モラハラ加害者は変わることができる」という「事実」が与える幻想

        • 大阪弁護士会の「共同受任弁護士」制度について(報酬分配の取り決めは任意だそうです)

        • (続)憲法学が同性婚をどう扱ってきたか(過去の議論に向き合うことの意味)

        • 大阪弁護士会の「分野別登録弁護士」(仮)はほとんど何の意味もない肩書になると思います(主に一般の方向け)

          大阪弁護士会による、若手弁護士の「タダ働き」を「強制」する「『共同受任弁護士』制度」創設に反対する

          1.はじめに 部外者にはたいていなんのことか分かりかねると思いますが、私が所属する大阪弁護士会は、2019年4月から「分野別登録弁護士」制度を始めようとしており、その運営を行う「登録センター」に関する規程(の議案)を来る2019年3月12日の臨時総会に諮ろうとしています。 「共同受任弁護士」制度とは、これにともなって設けられる予定の制度です。もっとも、今回の総会で諮られる議案にはこの制度は直接登場しません。今後、規則を定めて設けられる予定になっています。 本稿は、おもに同業者

          大阪弁護士会による、若手弁護士の「タダ働き」を「強制」する「『共同受任弁護士』制度」創設に反対する

          憲法学が同性婚をどう扱ってきたか(辻村「憲法と家族」を手がかりとして)

          なんだか大仰なタイトルをつけてみたが、要するに の続きである。辻村先生のいう「通説」とはなんなんでしょう、という疑問をいただいたのでもう少し辻村説の説明と(この部分は要するに書籍の要約と読解だ)、それを補うために個人的に調べたことのメモ程度のことである。まあ、辻村先生が何をどう考えてこう書いたか、みたいなことは存命の人なのだから辻村先生に聞きに行けば分かりそうなものだが、人間という生物を離れた「学説としての辻村説」は文章の上にしか存在しない(というのが私の理解である)ので、

          憲法学が同性婚をどう扱ってきたか(辻村「憲法と家族」を手がかりとして)