見出し画像

「名もなき臨床」に名前を付けてみませんか?

皆さんなんかnote盛り上がってますね…!私はと言えば、雨で外に出れない休日くらいしか書けないでおります…。それもまた、人生。

さて、今年の終わりも見えてきましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は、今年は色々と動こうと思っていたのですが…なんだかんだ、立ち止まってしまった。というのが正直なところでしょうか。

一方で、細く長く地道に、みたいなことも大事だなと感じていたところです。

もっとこうなればいいのになとか、理想とかが全くないわけでもないですが、基本的には圧倒的な現実の前で日々過ごしていかなければならないと思ったりしています。

そんな中で今年は「それは作業療法じゃない」みたいな理想を追い求めるために現実を否定する話じゃなくて、今、自分たちがしている臨床についてもう一度振り返ったりしていました。

もちろん東畑さんの「ふつうの相談」に影響を受けています…笑。


この「ふつうの相談」の何がいいって、名前を付けることによって、どういうものか伝えられるようになったり再考することが出来るようになったことだと思います。

自分がしている臨床の立ち位置を考えるために、名前を付けてみる。そうすると、考えやすくなる。ということかなと。

名前の付け方にも何個かあるなと思ったので、読んでいた本や影響を受けたものをまとめながら、少し書いていこうかと思います。


理論・思考から名づける

今年読んだ本だと、この「精神分析的サポーティブセラピー」がとてもよかったと思います。

精神分析にはかなりしっかりとした枠組み(50分、週4,5、カウチに横になるなど)があって、それを守っているもの以外は精神分析と呼んではいけません。

しかし、一方で、その枠組みから外れていても精神分析の概念を使った臨床はできるし、現場でも行われています。

そして精神分析がベースにあっても、実際の臨床ではやや目的や方法が違うこともあるため、実際の精神分析ベースの臨床を「精神分析的サポーティブセラピー」と名付けています。

転移や逆転移の解釈をクライエントには伝えない、とか、無意識ではなく、自我に注目するだったりなどの特徴を述べています。

その結果、「よい」ことが起こるかどうかはわからないけれど、変化はするだろうし、無理のない生き方になるだろう、というのが精神分析のモデルです。ここにあるのは治療過程およびユーザーをコントロールすることはできないし、しようとすることは害であるという思想だということが出来るでしょう。一方、POSTでは、治療者は「一般的利益」のような目標を達成できるように介入を行います。ここには明確に方向性があります。

精神分析的サポーティブセラピーPOST入門 著:岩倉拓 他

実際の現場においては、背景にある理論から目的が変わることもあるかもしれません。

理論を背景に自分は何をしているのか考えてもいいかもしれません。

自分の臨床であれば、実際に作業は観察しないのだけれど「OTIPMが背景にある相談、環境設定、ソーシャルワーク」的な部分はあるかもしれません。

…なんかどこからか怒られそうですが…。

目的から名づける

自分がどんな目的があるときにどんなことをしているか、名前を付けるというのもありかと思います。

今年読んだ本だとこの本の中に出てくる「支持的心理療法」「探索的心理療法」「マネジメントに基づく心理療法」みたいな名前の付け方はとてもいいなと思いました。

例えばマネジメントにもとづく心理療法であれば「これ以上の悪化を防ぎながら、ユーザーの状態を安全にすること」を目的としながら…

ユーザーを軸に考えたとき、探索的心理療法や支持的心理療法はどちらかというとユーザー個人(内)の変化がユーザーを取り巻く環境(外)にも作用するというモデルで捉えられますが、マネジメントにもとづく心理療法では、「外」の変化が「内」に作用するというモデルをより重視します。

個人心理療法再考 著:上田勝久

別の目的がある支援との特徴を比較しています。

自分の臨床であれば「探索的な作業療法」はどんな環境にどんな反応をされるか、興味や嗜好を作業歴から探りながら支援するため作業遂行能力などはあまり重要視されないです。一方で「可能化を目指す作業療法」であれば、作業遂行能力に重きを置いて支援する。

とか、そんな感じでしょうか。

現場から名づける

「学校作業療法」「産業作業療法」領域や、現場の名前から名づける。これもありですよね。もっと、領域ごとの特色が比較できるようになります。

急性期だとMTDLPが実施しにくい、とかはよく言われますが、現場より理論、枠組み先行にかんがえているからという側面があるような気がします。

逆にそれぞれの現場の特色はどういったもので、OTはそこで実際にどのように動いているのか、というところを先にしたほうが「ここじゃMTDLP使えない!作業療法できない!」みたいなネガティブな感じにならなくていいような気もするんですよね…。

そういった意味で先日のTwitterでちょっと話題になっていた(?)「病院作業療法」みたいな名づけ方はとてもいい気がするんですよね。

作業療法といえばそもそも病院、みたいなマジョリティな部分に名前が付いたことでまた再考する余地があると思います。

こういう話を見ていると、ああ、病院というのは、医療における「管理」「制度」などと「作業権」とのせめぎあいがあって、現場ではそういうところから葛藤が生まれるものなんじゃないかとか、また色々と考えるきっかけになりました。

現場知はその現場に触れたことのない素人には手の届かないところにあるという意味で専門地である。この観点からすると、あなたが大学院を修了し、精神分析や認知行動療法の専門資格を取得したとしても、はじめてスクールカウンセリングをするのであれば素人である。専門家として機能するためにはミクロな学校社会に適応し、現場知を習得せねばならない。

ふつうの相談 著:東畑開人

それぞれの現場には、それぞれの文化があって、それぞれの実践があります。そういった意味で、現場の姿から再考することは、とても大切な気がしています。

「今の現場の姿から考える」だっはここ最近一番考えていたことで…研究だったり、文献から、今後の理想、あるべき姿を考えることも大事です。

一方で、今、現場でやっていることの意味を再度考え直して、臨床家が色々と後ろめたい気持ちを持たないで実践することが出来ればいいのにな、なんてことを思っています。

多分、私にも、理想的な支援が出来ていない、という後ろめたさが常にあるからだとは思いますが…。

補足:名づけることの危うさ

自分の中で名づけて振り返るのはいいですが、公な場だったりで、専門職の用語として使っていくには危うさもあるので注意が必要です。

このMTDLP事例報告書作成の手引きにある「通常の作業療法介入」とかは、個人的にですがちょっと怪しげな気がしております…。

https://www.jaot.or.jp/files/page/wp-content/uploads/2020/05/tebiki-MTDLP2.2.pdf

(あれ、MTDLPって作業療法士の頭の中を見える化したものじゃなかったっけ…。)

名づけることで曖昧になってしまったり、なんか捉えどころが無くなってしまったりする、デメリットもあるかもしれません。


とはいえ、臨床に出て、自分の臨床に名前を付けてみて、振り返ったり、体系立てて考えてみたりするとためになりそうだなという気がしております。

皆さんも一緒に、「名前もなき臨床」に名前を付けてみませんか?では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?