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被災地支援を考える多事争論

昨月トルコ及びシリアで発生した大地震に対する支援が世界各国で行われています。日本国内でも募金が行われ、国際機関や駐日トルコ大使館に送金されている模様です。わずかですが募金も行わせていただきました。投稿日、本日は東日本大震災が発生した3月11日です。この日にちなんで被災地支援について考えます。

被災地では支援物資が集まる一方で厄介な物資が送られてきて、活用することができずに不良在庫とかしたり、ゴミとして廃棄処分をせざるを得ない事例が散見されます。

神戸板宿商店街を後日再訪したときの写真

自身の体験として阪神・淡路大震災では現地に延べ2週間ほど行き、西神戸及び芦屋でボランティアセンターの業務に従事したことがあります。

また青年会議所在籍時に東日本大震災がありました。夏休みこども企画に携わっていたこともあり、その年は東北地方で食されていた(と思われる)(文献で調べた)郷土料理を作成して販売し、売上を岩手県大船渡市に寄付した取り組みを行いました。

料理を作成している途中です。
夏休みこども企画で子どもたちが作成販売した料理

これを販売して、売上を現地に寄付しました。

2011年9月 大船渡市現地ボランティアセンター

これらの業務に当たっては現地(神戸市芦屋市と大船渡市)と調整を行い、現地に赴く際に行う業務とお渡しする物品について事前に担当者と話を詰めて当日を迎えました。青年会議所で大船渡を訪れた際は子ども達の想いを表現した大漁旗も持参しました。事前に調整した話なので担当者の方には快く受け取っていただきました。

阪神・淡路の時に現認したほか色々な話を見聞きする中で、救援物資としてゴミにしか値しない着古された衣服を送りつけたり、千羽鶴を事前調整もしていないにも関わらず送りつけたりと被災地が受理したとしても処理に困る案件が散見されたように感じます。

ウクライナ紛争が勃発した時に折り鶴論争が起きたのは記憶に新しいでしょう。様々な論客が是非をめぐって意見が交わされました。

個人的にはそれなりの想いを実現するときは調整する実務が必要であると思慮します。折り鶴を贈る際には相手先と調整して、受け入れ態勢が整ってから送付するのが妥当だと感じます。

モノでなくて、人が現地に赴く場合も同様でしょう。ボランティアセンターなどの受け入れ態勢が整わないうちに現地に押しかけて、体制が不備であることに文句を言う事例を見聞きします。それと全く変わらないと考えます。西神戸では自分探しをするためにボランティアに来たという方もそれなりに見えて、被災地とのミスマッチから物議を醸していました。

市民活動においてはとかく自分の想いが優先しがちですが、大事なのはニーズが何かをしっかり把握して対応に当たることが重要です。必要とする物資も刻々と変わってきます。最新情報を仕入れて対処するに越したことはありません。必要とされる支援が物資から住居、精神的なカウンセリングと変化するのはよく言われています。

昨月の地震で日本からは寄付が相当寄せられているとの報道があります。相手側から感謝をいただける方法であればそれに越したことはありません。

昨月の記事でトルコの「ハルミチーズ」をたべて被災したトルコを応援しようという記事を書きました。ハルミチーズでなくてもトルコ料理はいろいろあります。

シシケバブもトルコアイスもあるでしょう。トルコの方が経営している店も多いでしょう。そのようなところで商品を買ったり、食事をいただくことも立派な支援になると思います。

総括になりますが、せっかく支援するなら行き届く方に真に喜んでいただきたいものです。それにはニーズをしっかり把握すること。ニーズをしっかり把握するために現地機関担当者との調整をしっかり行うこと。(また現地が発信する情報をしっかり把握すること。)
調整実務をしっかり行うことが被災地支援に重要ではないかと考えます。


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