Six Woods・・・②大翔の悩み

前編はこちら

「ねぇ!聞いてるの?ハル君!!!」テーブルを挟んで香穂子(かほこ)が、少し怒った声で大翔(はると)の両頬を挟むようにして視線を合わせる。今日は大翔(はると)の部屋に香穂子(かほこ)が来ていて、一緒行く会社説明会を選んでいる最中の事だった。

大翔(はると)は、完全に意識がどこに飛んでいてハッとした。あの一瞬唇が触れ合った事件(詳細は「Six Woods・・・①」参照)の日から、どことなくこんな調子になっていることが多くなっていた。「ん?何だっけ?ゴメン」と大翔は言いながら姿勢を正すと、香穂子が「んもう!だから、この会社なんだけど、どうかな?」とパソコンの画面を大翔(はると)の方に向ける。

大翔(はると)と香穂子(かほこ)は大学のゼミで知り合い、たまたま就職希望業種が一緒だったこともあって、ちょくちょく話す機会があるうちになんとなく二人でいることが多くなり、どちらもハッキリとは言わなかったが、付き合っていると聞かれれば付き合っている感じでる。

香穂子(かほこ)は、ハーフアップが良く似合う、長い睫毛にクリっとした瞳が印象的な容姿、俗にいう可愛いタイプである。ゼミ開始の自己紹介の時は、男性陣が揃って、いつ話しかけようかと狙っていたほどだった。

そういう空気に疎い大翔(はると)は、二人で行動しているのを誰かが見ていると意識することもなかったので、一時的ではあったが、男性陣から嫉妬の扱いを受けて、初めて香穂子(かほこ)のゼミでの扱いを知ったくらいで、さすがにその時は焦ったが、今更態度を変えるのも面倒であったので、そのままにしていたらいつの間にかゼミでも認知されたようだ。

大翔(はると)も香穂子(かほこ)も、総合商社を希望している。しかし、大翔(はると)の思いが揺らぎ始めている。そう思うのは仕方がない、昨今の世界の動向や経済状況を見ていると、以前のように世界を飛び回って商材を探し出すといった当たり前のことが難しい中、自分の周りに置かれているリスクを全て負う覚悟があるのか?と聞かれたら、二つ返事ができないのが正直なところである。その迷いの中で「もう一つの生き方」を考え始めている自分がいることを、まだ香穂子(かほこ)にも誰にも話せていない。

香穂子(かほこ)が「最近、ハル君変だよ!!就活は今が一番大事な時期!ちゃんと見てね」と今度は明らかに怒っている。大翔(はると)は「ゴメン、今日は集中できないわ、バイトの時間だし、またこの次」と出かける準備を始めると、香穂子(かほこ)は大翔(はると)に聞こえないくらいの短い溜息をついて「そう、じゃあまた明日ね」と言いながら、パソコンを片付けて帰り支度を始めた。

大翔はバイトに行く時に駅を使っている、2人で一緒に部屋を出て、駅まで並んで歩いた。
いつもだと、香穂子がいろんな話題を振り、それに大翔が、微笑んで相槌を打つのだが、今日は様子が違って、何を話しかけても上の空な返事が多かった、それで香穂子は、だんだん口が重くなり最後は無言で、うつむいて歩いていた。

歩きながら、香穂子は、このところの大翔の様子を思い返していた。出会った時から感情を表に出すことのないタイプではあったが、決してクールというわけではなく、ただすべてにおいて「さとり世代」の男性の中でも、浮ついたところがなく落ち着いた雰囲気を持った男性であると認識していたが、それでも最近では、心ここに有らずといった感じを受けることが多くなってきた。

香穂子の脳裏に「どうしたのだろう?他に好きな人でも?」というザワザワした思いが浮かんだが、想像が膨らむのが怖いので首を振ってその思いを払いのけた。しかし、身体の奥から湧き上がるこの感情は簡単に消せなかった。

大翔と駅で手を振って別れた後、香穂子(かほこ)は、親友の綾乃(あやの)がバイトしているカフェに向かった。ついさっき抱えた感情を心の中にしまっておけない衝動が抑えられないでいる。

駅のロータリーを横切って、まっすぐに5分程歩くと綾乃(あやの)のバイトしている「カフェ・CIRCLE」に着いた。片手でドアを押し開けると「カランコロン」と音を立てた、その音に反応した綾乃(あやの)が「いらっしゃいませ~」と顔を上げる。そして「おお~香穂子じゃん、あれ?大翔くんは一緒じゃないの?」と言いながらカウンター内から手でカウンター席を案内するように指した。店内は比較的に空いていた。
「さっきまでいたんだけど・・・・」と言いながら香穂子はカウンター席に座り、出されたグラスの水を一気に飲み干すと「聞いて欲しい話があるの、私の考えすぎならいいのだけれど」と言って、今日感じた大翔の事を話し始めた。

香穂子と別れた大翔は、バイト先に向かう電車の中で、考え事をしていた。

考え事といっても浮かんでは消え、打ち消しては浮かんでくる「唇が触れ合ったあの瞬間の事」である。どうしてあの時あんなに冷静な自分でいられたのか?偶然とはいえあの場合「スミマセン」もしくは「大丈夫ですか?」というべきだったのか?その後の何もなかったかのような態度も考えれば考えるほど分からなくなっている。キスが初めてというわけでもない。突然の出来事に驚いたというわけでもない、ただ、あの瞬間に大翔の裏側に隠しておいた感情が一気に表側に噴き出してしまって、それを認めたくないがゆえ、必死に冷静さを装っていただけなのである。

大翔がSix Woodsでアルバイトをするようになって約2年が経っていた
元々接客が好きだからという動機で、ここに応募したのではなかった、大翔は学費以外を自分で賄っていたので収入が欲しかった。できれば、接客業以外を探していたが望みに叶うアルバイトの求人がなかなか無く、背に腹は代えられないと面接を受けたら受かってしまったという経緯だった。正直なところ大翔自身もそんなに長く続かないだろうと思っていた。

ところが、マスターの人を育てる手法なのだろう、思った以上に、いろいろとチャレンジさせてくれるのが面白く、最初はホール係だけだったのが、厨房のヘルプにも入れられて教えられているうちに、今ではパスタまでは任されるようになっていた。そして、週末はインテリアの方にも入るようになり一通り接客もできるようになった。積極的にそうしたのではないが、仕事を任されるプレッシャーよりも、自分が意外にもこういうことができることに新鮮な驚きと嬉しさを感じていた。

それにオーナーは仕事の時は厳しいが、時に母親のような気遣いをしてくれたのも心地よかった。
大翔は、幼い時に両親を亡くし、祖父母に育てられたのもあって、同世代の人との付き合いよりも、大人と付き合う方がリラックスしていられる。また、オーナーとは、映画や音楽など趣味の話や人生観も共感できるところが多く、休みの日に一緒に出掛けることが頻繁になっていて、いつの間にかオーナーというより「年上の友だち」と大翔の中での存在へと変化してったが、相変わらず店内では「オーナー」で、一歩店外に出ると「友だち」として節度ある接し方も安心していられた。

そういうわけで最近では、香穂子との約束よりも優先することが多くなってきている、というより、香穂子との距離を遠く感じてきている。

「この感情は何だろう」と大翔は自問自答しながら、自分の感情に正直に向き合うことが怖くなっていた。大翔はこれまで、香穂子とも誰といても「感情の揺れ」を感じたことは皆無に等しかった、それは、おそらく幼い頃に親を失った時に処理できなかった感情に圧し潰されないように寂しさや怒りなどの「感情の揺れ」を四角い箱のようなものにしてしまっていたのだろう。確かに楽しいと思うことはあっても、この人ともっと時間を過ごしたいとか、甘えたりといった感情を特別抱かないようにしていた。

ところが、オーナーと共に時間を過ごすたびに、どんどん自分の中の四角い箱の角があちこちにぶつかってチクチクと内側から得体のしれない痛みさえ与える。

大翔はぼんやりと「就職したら、バイト先を離れなきゃな」と思った、すると又体の奥に痛みを感じる。

電車のアナウンスが下車駅名を告げた。
大翔は電車を降りてバイト先に向かった。


「Six Woods・・・③仁実の涙」へ続く



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?