カバリストの平和論

カバリストとはカバラを実践する人のことです。

生命の樹の頂点のケテルと基底のマルクトがまっすぐに繋がっていることを常に意識するのがカバリストです。

ユダヤ人共同体から破門されたスピノザは、カバリストとしての平和論『神学・政治論』を著しました。

スピノザは、国家の平和と安定に不可欠な要素の筆頭に「哲学する自由」を挙げています。

しかもそれが損なわれると、国家の崩壊は避けられないと述べています。

「哲学する自由」は、生命の樹では、既存の価値体系=ビナー(土星)を超えることに相応します。

土星は、知覚を可視・可知領域に制限します。
輪郭のある物質領域を支配する6のサイクルに拘束された意識、閉ざされたマインドに相応します。
なにを認識するかはこのマインドにかかっています。

マインドが認識する虚構にリアリティをもたらすのはハートです。

閉ざされたマインドによって仕立て上げられる虚構は、既存の価値体系=6のサイクルを強化するために、ハートの磁力つまり生命エネルギーを吸い尽くします。

この状態のことを、拙著『タイムライン・ターミナル』で、現状を継続させるための養分と表現しています。

マインドが制限する知覚によって認識する虚構だけにリアリティを注いで「現実」を経験している限り、永続する意識から分離したままタイムリミットを迎えることになります。
人間は、寿命が尽きるまで同じことを繰り返すために、肉体を伴う生命活動をしているのではありません。
すべての人が、その人にしかできない生まれてきた目的があり、それを実行するために、わざわざ制約のある肉体という乗り物を使って生命活動をしています。

その目的は、その人のハート(太陽)だけが知っています。
それは、マインド(土星)で認識できる領域の外にあり、ハート(太陽)の磁力によって知覚するしかありません。

「哲学する自由」は、そのためにあります。

ハートがマインドの制限から解放されたとき、永続する意識状態を取り戻し、本来の自己が生まれてきた目的を思い出すことができます。

そうすることによって、ケテル(王冠)とマルクト(王国)はまっすぐに繋がります。

したがって、「哲学する自由」を禁じることは、生命活動を否定することになります。
そのとき国家は、文字で作り上げられた虚構に過ぎなくなります。

ここでいう王冠や王国とは、実際の王族のことではありません。
王冠は、永続する宇宙の秩序=7のサイクルのことであり、王国は、物質領域を支配する6のサイクルを含む総体のことをさしています。

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