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男の人がとても好き

男の人がとても好き。

夕暮れ時、ひとりで町を歩きながら、
「あぁ、後ろから優しく、好きな人に抱きしめられたい」
と思う。

前から抱きしめられるより、後ろから抱きしめられる方が好き。
何だかとても、安心する。

男の人に抱きしめられる安心感が、好き。

あれだけは、一人ではどうにも得られない。
女友達と抱き合うのとも、やはり違う。

男の人がとても好き。
正しく言うと、「好きになった男の人」が、とても好き。(当たり前か。)

男の人に対して燃やす情熱は、自分でも果てが知れない。
果てのない喜びがあって、果てのない苦しみがある。
「お気持ちジェットコースター」と、ある友人が言っていたけれど、そんな言葉が、恋愛中の私にはぴったり。
そういう星の下に生まれたのだと思うし、
恋愛に、文字通り "胸を焦がす" ことが、私の今回の人生には必要なのだろうと思う。
それを嫌だとも思わない。

『穏やかに愛し合える、気持ちの浮き沈みのない恋愛』と、
『舞い上がっては落ち込む、浮き沈みの多い恋愛』だったら、
今はまだ、後者を選ぶような気がする。

数年前は、浮き沈みの多い自分を恥じていた。
「恋愛しているときの自分が苦手だ」と思っていた。
落ち込まないように、期待をしないように、自分をコントロールしようとしていた。
「何も求めない。それが愛だ。」と、聖人ぶって、自分の中の「執着」や「嫉妬」、「所有欲」に対しては、表に出てこないように蓋をしていた。

けど、まぁ色々あって、今はようやく、そんな自分を、受け入れ始めた。


私は男の人がどうしようもなく好きだ。

一人で立ちたい。
ちゃんと自立したい。
男の人に甘えなくても、自分の足で歩いて行きたい。
でも、やっぱり男の人に甘やかされるのは、嬉しい。
男の人に優しくされたい。
大好きな人に、ふれたい。

矛盾しているかもしれないけれど、
でも、ぜんぶ本心だから、それでいいと思うようになった。

男の人に逃げる性質はあると思う。
そうせずに、自分と向き合う必要性を説かれたこともある。
自分でもそう思う。

自分のことから逃げて、男の人のことを考えていることはよくあると思う。
でも、逃げたいときは、逃げていいことにした。

まだいいじゃん。
どうせ、そのときは来るのだから。
逃げ飽きるまで、逃げさせてよ。


私は、男の人がとても好きだ。
今日は、そんな自分を、これを書くことで肯定したかった。
それだけなのだと思う。

自分の足で立ちたい。
自分とどこまでも向き合いたい。

もちろん。

でも、常にそんなにストイックにいられないからさ。

私はやっぱり男の人に優しくされたいし、
でろでろに甘やかされたいし。

でも、それは好きな人がいいし。



多分私は、まだ、「そのひと」には出会っていないのだろうと思う。
そして、「そのひと」に出会うのは、私が、自分とどこまでも向き合った先なのだろうと思う。

結局こうやって、自分に帰ってくる。

要するに、寂しい。
心細い。
でも、それも悪くない。

こんなふにゃふにゃな自分も、悪くない。
私は私が大好きだ。

男の人が、とても好き。
でも結局、自分が一番好き。

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