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Diary|23歳春

わたしがわたし自身を見失うような日々が続いていました。
付き合っていない男の人と、体の関係を持ってしまったから。

こういうことがわたしの人生にも起こるのだ、という驚きと、浮遊感と、誤魔化せないドロドロとした感情と。
この1か月ほど、自分自身の性欲と寂しさとやり場のない人生への焦りのようなものがべったりと自分に張り付いて、心休まるときがなかった。
荒れていく食生活と減っていく睡眠時間。

でも、今朝、やっとすこし拓けた場所に来たような気がした。
心の凪を取り戻した感覚。

正直、相手がわたしのことをどのように捉えているのか、まだ掴めないでいる。
ただの都合のいい関係で、いつか捨てようと思っているのか、それとも真剣に交際する気があるのか。

そういう話し合いがないままに、だけど、離れたくないと思ってしまう。

わたしはお付き合いしたいけれど、その思いが恋愛感情によるものだけではないこともわかっている。
そのところもきちんと認めたうえで、それでもわたしはその人に関わりたい。

人と関わることは、傷つくことと、傷つけることと同義だと、わたしは思う。
人と関われないのは、傷つける勇気がないから。
傷つけたくないのは、傷つきたくないから。

でも、そうやって閉ざしてしまった世界のなかで、果てしなく変わらない景色をわたし一人で見続けることに、わたしは飽きてしまっていたし、疲れてもいた。

誰かと一緒に世界を眺めることを本当はずっと望んでいた。
偶然出会った人だった。
その偶然が偶然すぎて、この流れに身を任せてみてもいいんじゃないかと、そう思った。

でも、この1か月、こんなの間違っているよねと何度も何度も思ったし、そして何度も何度も、間違っていてもいいから知らない景色を見たいんだと思った。

そして甘い気持ちになって、そしてとても苦しかった。

わたしからわたしが、抜けているような感覚になることがあって、それはきっとわたしのなかから「これまでのわたし」が抜けていってしまった感覚なのだろうなと思う。
一歩踏み出すということは、良くも悪くもこういう気持ちを連れてくるのだと知った。

世界が新しい。でも同時に、何も変わってなどいない。

つらくて、苦しくて、もう駄目かも、このままじゃわたしが駄目になる、と思った昨日、思い切って相手の連絡先を消した。

もうこちらからは連絡が取れないようにして、向こうから連絡がなければあきらめよう、と思った。

吹っ切れた朝だった。そして喫茶店に本と、手帳と、iPadを持って行って、詩を書いた。それから友達にLINEを打って、「重めな相談があって、もしかしたら軽蔑されるかもしれないんだけど、よかったら聞いてほしい」と送った。

彼女は彼女で、本当に男性関係がいろいろあった子なので、こういう相談をするなら彼女だな、と思っていた。
でもそれよりも、どうしたらいいかわからなくて、相談しようと思ったとき、頭に浮かんだのは、同じ学校に通っていた頃になんでもかんでも話し合って、恋バナなんかをしていたときの、あの笑顔だった。

あの笑顔なら、彼女になら、心を打ち明けても大丈夫。
そう思えた。

返ってきた返信には瞳が潤んだ。

「わたしもいろいろあったから、変だなんてまったく思わない。その気持ちは何一つ間違いじゃないよ」と書かれてあった。

『その気持ちは間違いじゃない』
そう言ってくれるほど、自分自身を肯定してくれる言葉って、ほかにあるだろうか。

何よりも、何があっても、溢れてくる人間の感情、そのひとつひとつが、間違いなんかじゃないと、思えるだけでこんなにも、わたしはわたしであっていいんだと思えた。

わたしには無数のわたしがいて、そのどれも間違っていなくて、そのすべてがわたしだということに、ときどき、追いつけなくなることがある。

だけど、わたしはわたしを生きるしかない。
どんなときも、そこからは逃れられない。

結局相手との関係は、保留、という感じで、まだどうにもこうにもなっていないのですが、そしてそれがとてもつらいのですが、今日このnoteを書いて公開しようと思ったのは、わたしがわたしであることを受け入れて、わたしはわたしに自信と誇りを持って、そしてこの世界の誰かに、あなたがあなたであることをあきらめないでいてほしかったから。

音楽と文学に救われてきた人生であり、音楽と文学で自分を救ってきた人生だったと、数日前Xに綴ったけれど、本当にそのとおりで、だからわたしは今も書くことで自分を確かめている。

23歳春。

どれだけ傷ついても、そしてわたしの抱く感情がたとえ誰かを傷つけようとも、わたしはわたしの感情を否定しないと決めた。

そしてすべての人。わたしに出会ってくれてありがとう。

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