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1/6 日記のようなエッセイのような

気づいたら2021年が終わっていた。

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(うちのじいちゃん 93歳)

ダラダラと過ごしていた実家で、意図せずSNSを開けば(現代人の多くは、指が勝手にインスタアイコンを開くような奇病に侵されている)大晦日には「今年もお世話になりました」という投稿が溢れ、年が明けたら今度は「明けましておめでとうございます」という投稿がさらに溢れていた。皆マメですごいなーと思いせっせといいねをする一方で、昔は私もマメに投稿していたのに、と少しもの哀しくなる。すっかり観客側だ。

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(色々書いたが、別にどうでも良い詳細なので端折ることにする)

昔のように純粋に自分の写真にのめり込む環境が懐かしく、もはや幻のように思えるのだ。子供がいて全くペースを崩さず出産前と同じようにガンガンやれている友人知人をどうしても尊敬してしまう。羨ましい、私もそっちにいきたい。気づけば自分が長年熱中していたもの(写真)が生まれた子供にあっけなく食われてしまった。それは良いも悪いもなく、そうだっただけの話だ。多分。ずっとそんな自分に嫌気がさしていたが、娘がとにかく一番大事で一番魅力的でそれ以外が割とどうでもいいと思うこと、そう思ってしまうことは最早自分ではどうしようもなく、否定すべきではないと最近は思っている。開き直って娘を愛している。ついそれ以外のものを後回しにするくらいに。もっと上手に愛したいのに、あーあ。決して子供が欲しい人種ではなかったのに不思議だ。そんなわけで正月はひたすら自分の今後の生き方について悩みつつ、ひたすら漫画を読んでいた。もうすぐ左利きのエレンが終わりそうなのが悲しい。今の推しはダンダダン。#ジャンプラ

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思えば、こんなにだらける「正しきお正月」は久しぶりだった。2020年、2021年の年越しはオランダで、そこではお正月もへったくれもなく(店や会社が休みなのは31日と1日だけ)なんなら2020年の始まりは娘が生まれて9日目で、親子三人でまさしく「気づいたら年が明けていた」状態だった、というのは嘘で、友達が来てわいわい年越しをやっていた。まぁでも正月という免罪符期間はなかったというのはその通りだ。今年は実家でダラダラやりすぎていたせいで、夫婦揃って結婚記念日(12/28)をすっかり忘れていた。もう来年からは日にちを変えよう。

「今年もお世話になりました」
「明けましておめでとうございます」

そういえば今年は「よいお年を」をあまり言う機会がなかった。それが少し寂しかった。来年はもっと人と繋がりたい。今年か。

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*どうでもいい話*
①義理実家にて。年越しそばが「もりそば(冷)」でかつ20時くらいに食べていたのと、おせちを元日の朝に食べたのが非常にカルチャーショックだった。実家の大分では先ずおせちを大晦日の夜に食べ、その後「かけそば(温)」を年が明ける少し前23:30くらいに食べていた。皆さんはどんな感じ。

②今日喫茶店で漫画のネームをきっている人を見てドキドキした。


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