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奥深き昭和漫画「チビ太」考察

チビ太のモデルは、赤塚が少年時代に近所に住んでいた馬車屋の息子。ガキ大将だった赤塚がいくらいじめてもめげずについてくる憎めない子で、さすがの赤塚もそのバイタリティーに脱帽して仲間に入れたというエピソードがある。後に赤塚が漫画家になった時にそのことを思い出し、脇役として採用した。奈良県山門郡山一の常照寺に墓があり、「行年59歳 平成10年3月5日」と刻まれているという。
チビ太は、21世紀の日本ではその名自体が死語となって久しい浮浪児(または戦災孤児)である。戦後まもない昭和30年代までは、傷病兵の物乞いや見せ物小屋などと並び、チビ太のような浮浪児や浮浪少年が少なくなかった。チビ太の頬に描かれた斜線は顔を洗わず薄汚れていることを示し、親はなく住所も不定で、しばしば空き地の土管で寝泊まりしている。おでんはそんなチビ太のような浮浪少年にとってささやかなご馳走であり、虐められようと蔑まれようと、彼は逞しくしたたかに生きてきたのである。昭和の大人が強いのは耐え忍んで花開いたからでしょうか。
墓は三角形の屋根、丸い本体など、おでんに似ているそうです。



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