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切り絵【太陽のスポットライト】

太陽の絵を描いてほしいと、最近言われまして、どんな絵を描こうかと考えていたのですが、ただ絵を描くだけならば、さほど難しくはない太陽も、切り絵にするとなると、少し悩ましいことがございました。
すべての線が繋がっていなければならない切り絵は、顔を描く場合に、目鼻口などのパーツが、輪郭などの何かに接していなければならないため、装飾を増やしたり、顔の角度などを変えて、工夫をするのですが、より自然に、おかしくならないようにするのと、イメージから離れたものにならないようにするのが、とても難しいと感じております。

丸い太陽に顔を描くときに、あまり横を向かせたくない、目を離れさせたくないと思っていると、どうしても片側の目や口がどこにも接することができなくて、この図案は無理なのかなと、数日唸っておりましたところ、ネットでたくさんの太陽のイラストを眺めていたときに、ふと解決策を思いつくことができました。
太陽のお供と言えば、雲があるので、雲に太陽を少々被らせれば、線を繋ぐことが出来るという、思いついてしまえば、なぜ思いつかなかったのかと思えてしまうようなことだったりするのですが、この描いた絵を切り絵にするという工程が、絵を描く以上に楽しかったりすることもございます。

通所しているB型作業所の職員さんたちに、事業所の名前が太陽に関係があるから太陽の絵を描いてもらえたら嬉しいと言われましたので、私のB型作業所へのイメージと太陽を合わせた絵を描いてみました。

私は他の作業所を知らないので、あくまで今通所しているところの雰囲気というか、私が通いながら感じているイメージでございます。

ステージや舞台、発表会のような絵に見えるかもしれないのですが、こんなに賑やかな雰囲気という訳ではなく、職員さんたちには落ち着きがあって、利用者さんたちは物静かな方々が多いように思います。
どちらかというと、ゾウさんもカバさんも太陽も、みんなのんびり屋さんということで、舞台は、B型作業所の存在が、社会との繋がりや活躍する場所、達成感の提供だったりするようなので、似ているように感じました。
実際は舞台装置ではなく、仕事の提供をしてくれるところなので、会社のような雰囲気だったりするのですが、会社よりもゆとりというか、遊びのある空間なので、苦痛なことは少ないと感じております。

障害を持っていたり、病気を患っていたりする人は、全員ではないのですが、存在感が大きいと感じることが私にはございます。
目に見える等身大の大きさとは別に、心の姿が、等身大よりも気持ち小さめに見えたり、逆に等身大よりとても大きく見えたりすることが人によってあるのですが、実際の姿形と、存在を強く感じさせる要素は別物なのかもしれないと感じております。
社会のルールを厳格に守る人や、ルールを順守する人や、縛られている人は、やや小さめに見える傾向があり、社会の歯車から漏れている人、自分ルールを意識して生きている人、自由に生きている人は、その分だけ大きく見えるようにも思います。

そもそも小さくも、大きくも見えないよという方も、たくさんいらっしゃると思いますし、小さい、大きいという言い方が良くないのかもしれないのですが、個人的には、小さく感じる人より、大きく感じる人の方が存在感があるような気がしております。
社会的には、素直にルールに従う人や、ルールを守る意識をしている人たちのおかげで平穏な日常が作られていて、自分のルールを優先する人や、自由で柔軟な考え方を持っている人たちがいるおかげで、日々ルールは改善されたり、研磨されたりしている側面もあったりすると思っております。

等身大の姿がその人にとって、一番楽な姿なのかもしれないのですが、より生きやすくするには、ずっと等身大でいるよりも、その人が一番パフォーマンスが出せるサイズになれている方が、何をやるにも良い結果を生めるだろうと思っております。
小さくても、大きくても、存在感があってもなくても、どちらでも良いと思っているのですが、障害を持っていたり、病気を患っていたりすると、存在感を大きく感じることが私にはございます。

普通学級の中に障害を持つ子が一人入るだけでも、その子が埋もれてしまうことはないのではないかと思うほど、存在感はあるように思います。
だからこそ、格好の的にならないように、障害を持った人たちは、公衆の面前にさらされないようある程度守られていて、特別支援学校や作業所という世界があるのかもしれません。
見てすぐに障害を持っていると気付かれてしまう人は、どこにいても注目されてしまうから、心のバランスや保ち方を習得するのにも、時間が掛かることもあると思いますが、障害だと気付かれない人は、本当は知ってもらって配慮してもらえたら自分は楽になるかもしれないのに、自分から言って注目されることに耐えられないという辛さがあって、言い出せず、人知れず苦労を重ねることを選ぶ人がいたりすることも、実はあったりするように思います。

働くことができない人たちが集まる居場所としてB型作業所を利用している人がいたとしても、環境によっては肩身を狭くしていなければならない場合もあったりすると思うのですが、私が通っているところでは、みなさんが、のびのび生きているように感じます。

少し大型の動物に見えるくらい、私には大きく見えていて、存在感があるように思います。
攻撃的な人がいないという良い点もあると思いますが、一人一人が、のんびりと生きていて、平和な場所で着実に地に足をつけている感じが、伝わってきております。
大型の動物の中でも、のんびり要素のあるゾウさんとカバさんを描いたのですが、他に思いつかなかったというのもあり、なんとなくキリンさんはいないような気がして描きませんでした。
作業所のみなさんからしたら、自分たちがゾウさんやカバさんとして描かれるのは、ちょっと嫌なのではないかと思ったりもしたのですが、猫とか犬とか一般的に可愛いらしい小さめな動物にしてしまうと、ちょっとイメージに合わなくて、気は引けている部分は多少あるのですが、私としては、可愛いと思って描いたつもりでございます。

太陽は唯一無二という表現をした方が良いのかなとも思いまして、最初は一つだったのですが、利用者さんたちに光を当ててくれている職員さんたちを、太陽としてスポットライトに置き換えて、二つに増やしました。
太陽が二つになったので、動物さんたち二人に光が当たるようになり、私としては、ご満悦でございました。
描いているうちに、太陽はいくつあっても良いような気がしてきて、大きな動物さんたちを照らすには、一人に一つくらいないと、足りないような気にもなって参ります。

障害者の立場でつくづく思うのですが、障害や病気を持った人たちを支援している方々は、なぜこんなに助けてくれるのだろうと、不思議という訳ではないのですが、その仕事に適性があるとしたら、羨ましい限りだと思っております。
弱い人を助ける仕事を自分が出来るとは思わないですし、やってみたいと思う人もそう多くは無いのではないかと思っております。
たまに命の電話の相談員を募集していたりすることがございますが、人の苦しみや悩みを聞いてあげることができる人間でありたいけれど、実際には、自分の方が参ってしまうと思うので、人の役に立つことは難しいことなのだといつも思います。

今までは、何のテーマもなく、脈絡もなく、ただのイメージを絵に描いていたのですが、これからは、人が見て楽しくなる絵、明るい気持ちになる絵を描こうと思っております。
気持ちが明るくなる絵を描いて、いろんなところに飾ってもらいたいというのを目標にしようと思うのですが、今後は、明るくなる絵を見に行ったりして、勉強しようと思います。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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