クソガキがserial experiments lain(ゲーム)に触れてみた感想を書いてみる

LAINというゲームを知っているだろうか? 巷では精神崩壊ゲーム、鬱ゲー、等々言われており異常なプレミアがついているゲーム。
まぁ…そんな評価も10年前位で終わっており、現代の人が知る事は余りないだろう。この娯楽溢れる世界、PSという5世代前のゲームを今の若者が知る事は恐らく…ほぼ無い。
私は…ちょっと中二病を拗らせているからこのゲームのことを知っているし、当時のオタクがやっていた、考察という事を今こうしてやっている。今回この記事を書こうと思ったきっかけは現代的視点でLAINを捉えてみて、かつ今の時代こういった雰囲気の作品は二度と作られないことをつたない表現で表してみる。LAIN考察によくある、玲音は実験体でありそれら全てが仕組まれていた、等というものは他の人の考察を読んでいただきたい。

さて、LAINというゲームがどういうゲームかというと端的に言えばフリーシナリオのサウンドノベルと表すことができる。
メインのシナリオは存在するもののそれをどういう√で選ぶかはプレイヤーの自由。この辺りは最近のオープンワールドに似ている、ともいえるかもしれない。プレイヤーに寄って終着点は同じでも過程が違うというあたりが。
それでも最近のゲームとは違い、主人公は精神病を患っている(かもしれない)からカウンセリングを受ける事になる。そこで米良柊子に出会う。
他の考察記事のように長々書いても彼らの二番煎じになるから、あらすじは各々で調べて頂きたいが、最初は比較的穏やかな雰囲気で進んでいき、中盤暗いからだろうか?少しずつ二人の関係性は壊れていく。
序盤は玲音がカウンセリングを受けていき、少しずつ容体が回復していき、中盤の中学生辺りではほぼ持病の精神病は完治していくが…。
また、柊子も序盤はちょっとめんどくさい子と思いつつも向き合っていき、中盤ではこちらもカウンセリングを必要としないと判断を下すが…。

玲音というキャラを現代的視点で捉えると精神病というものを的確にとらえていると言える。結局完治はしないものだ。こっち側の人間になると一生それと向き合わなくてはいけないし、ふとした表紙で積み上げたものは崩れてしまう。中学二年からまた少しずつ玲音は昔のように戻ってしまい、様々な事が積み重なり完全に玲音は壊れる(玲音からすれば正常?)。
この中学二年からが物凄く現実味を帯びていて、見ていて怖くなってきた。

柊子というキャラを…現代的に捉えるのは難しいけどこちらも中盤くらいから少しずつ不安定になり、最後は完全に精神が崩壊する。正直な話をすると柊子の描写は完全にそれで、柊子の人生が壊れていくよりもこちらの描写の方が怖かった。
いつも通りにふるまっている、大丈夫じゃないけど大丈夫だっていう。過度に病気という事を恐れる。まぁ、電通事件ではないが追い込まれた人間を的確に表していた。
それでも正直最後の澪音ちゃんがカウンセリングしていたのは笑ってしまったが…いや、ダメなんだろうけどお前凄すぎだろ(笑)みたいな。
ただ、逆説的に捉えるとなぜ電通事件で会社を辞めなかったのか?とか最近だと統一〇〇でどうして普通の判断なら入らないのに入ってしまうのか?というのは今作の子の描写を見るとある程度理解できると思う。
普通の人間は洗脳にかからない、玲音に人を洗脳する特殊な技能があったのかもしれないが今回はそれを無しで考えると玲音は決して責めずに、丁寧に丁寧に柊子を玲音側に引き寄せていく…そして最後はまぁ…だが。

ただ、私はこの最後の描写に感動してしまった。お互いに信じられるものに裏切られた二人…柊子は玲音を信頼はしていなかったが、玲音は柊子を完全に信頼していた。だからこそ中盤のカルテでクライアントを変えてくれってのはちょっと傷ついてしまったが、玲音は玲音なりに柊子の力になりたかった訳だ。
果たして死ぬことが幸せかという話をここでするつもりはないが、玲音は玲音なりに柊子の幸せを願っていた。ハッキングして日記を見て、恐らく玲音は本当に大切な人だと感じていたからこそ、嘘偽りない世界へ連れて行こうとした…と私は考える。

ゲーム版の玲音は可哀想なキャラともいえる。信じていた全員に裏切られ、唯一信頼していた柊子はこれ。恐らくだが作中のムービー等もこの世界に絶望した人間を表したかったじゃないだろうか。作品のアニメで曇りが多かったりするのもそういう現れ。

まぁ…後一つゲーム版について描くべきことは私たちプレイヤーもこの実験の一人として加えられている、という事だろう。
serial experiments の連続する実験、とは様々な境遇を迎えた人間それぞれをワイヤード上に移す実験の事、と私は考えている。
作中で自殺したりする人が多数いたが、それらはゲーム中からは伺えられないがそれぞれの理由があり、結果的にワイヤード上に意識を移すという選択をした。
例えば女子中学生は(過程は知らないが)玲音とは関りがないものの、玲音と関わらない人間という形で実験対象にされており、最後はワイヤード上に移された。
牧野は…本当はこの実験の対象外だったかは知らないが過程はどうであれ結果的にワイヤード上に意識を移される形となった。
端的に言えば牧野は、玲音と関わったから人生を狂わされた人間という最もプレイヤーに近い存在ともいえる。ただ、この作品で牧野はイレギュラーだろう。
プレイヤーに与えられた実験とは玲音と柊子の考えている内容を理解してどちらを選択するかという事である。
玲音の考えでは私たちの脳内場にも玲音という存在が、いるという事になる。これをAとする。
なので、柊子の脳内にも玲音は存在したが、柊子は自殺という形を取り、ワイヤード上に存在を移すことにした。これをBとする。
このゲームをクリアし、玲音のトークを回収していくうちにプレイヤーはどちらを選択するか? というまでがこのゲームの実験の一つであるという訳だ。
勿論、作品を終えてAだ、という形で終わる訳ではない。この実験は玲音という存在を完全に忘れるか、Bを選択するまで終わらない、ゲームの中にあった研究所の人間が殺しに来るわけではないが永遠と実験台にさせられているという終わり方で幕を終える。


という、終わり方がゲーム版LAINだけの正解だと私は考えているが…やっぱりそれは問題があるというか早い話が自殺教授になってしまう訳であって不味いという考えになったのか分からないがこの作品はアニメに続くという形になる。
私自身の考えの一つだが、ゲーム版のLAINは前編であり、アニメ版のLAINは後編であると考えている。

ここでゲーム版のLAINの考察は終わりにして、続きはアニメ版の方で考察していく。

https://note.com/sakiu1010/n/nfc4fc15a170c

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