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パステルカラーの恋 6

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 有沢飯店でわたしが倒れてしまったのは睡眠不足と暑さのせいで目眩を引き起こした事が原因だと思う。ワンピースのベルトを少しきつめに締めていたのもあまり良くなかったみたいだ。あやうく救急車を呼ばれ搬送されてしまうところをすんでの所で堪えた。咄嗟に病院送りを拒否してしまった理由は、心と体の性の不一致を第三者に暴かれてしまうのを怖れたからかも知れない。事態を大袈裟にしたくないという心理が働き、周囲の人達に迷惑をかけた。お恥ずかしい限りだ。有沢飯店の方達の優しさが身に沁みる。またいずれ時間を設けてお礼に伺わなければいけないと思う。
 けがの功名という訳ではないが、その後さくらからゆっくり時間をかけて事の成り行きやら、わたしへの想いを聞く事ができた。あらためて一人で悩んでいた日々がなんと愚かで自分勝手であったかと思い知らされる。さくらを信じて理解する、こんな基本的な想念さえも欠如していた。ここでいつものわたしならそれを理由にまたしても落ち込んでしまうハメになるのだが、さくらから贈り物のように夢のプランを提案された。「ふたりで東京に行かないか?」この言葉が胸の奥でこだまする。わたしは即座に「行きたい」と反応した。東京でなくてもどこでも良い。さくらの側に居られるのなら、場所など問わない。
 さくらと旅行が出来るなんて、まるで夢のような話だ。現金なものでそれを聞いた瞬間からわたしの体調は改善していった。それ以外にもジュリアに逢えるし、ジェンダーレスのイベントにも興味が湧いて来た。早くその日が来ないかと待ち遠しくて仕方ない。
 さりとて全く何も問題が無いという訳ではない。泊まりがけの東京旅行。それを同居している両親にちゃんと話しておかなければいけない。高校時代に不登校になり精神的な病を持つわたしを何かと父も母も気遣ってくれている。ひとりっ子というせいもあり、家族の絆は案外強い。こう書くと子離れ親離れができない親子と思われがちだが、そうではない。わたしの家族はお互いの立場を尊重できるし、それぞれが相手の立場になって考える、それができる家族関係になっていた。こういう関係が出来上がったのもわたしの不登校がきっかけだったのだから、何が幸いするか分からないものだ。
 東京行きの話をするなら、さくらの存在もこの際話しておくべきだと考えたわたしは、それを打ち明けるきっかけを待っていた。幸いわたし達一家は毎月恒例で、家族そろって外食に出掛けるという決まり事がある。それはその都度行き場所が変わる。イタリアンであったり、洋食レストランであったり、中華であったり、大衆食堂であったりする。両親はお酒を飲まないので居酒屋やスナックなどへは行かない。その代わりしばしばカラオケに行ったりする。そんな中でわたしは今まで知らなかった父や母の別の側面を見たりしていた。
 機会はまもなく訪れた。今月はファミリーレストランへ行こう。と父が言い出して、わたしも母も即同意した。
 どこの街にもある大型チェーン店のファミレスでわたし達親子三人は大きなテーブルに向かい合ってハンバーグセットやカツカレー、オムライス、サラダなどを味わった。ドリンクバーでそれぞれ好きな飲み物を手にした。そこでおもむろにわたしは東京行きの件を告げた。
「そうかい、うん、そういう気分転換も必要だ。行って来ると良い」父は何も訊かず頷いた。
「でも泊まりになるのは少々心配ね。何かあてはあるの?」母が訊いた。
 それでわたしは初めてさくらの事を両親に話して聞かせた。出逢いから今の付き合いまで。さすがに肉体的な結び付きまでは話さなかったが、今のわたしはその人と一緒にいられる事が一番幸せに感じるといったことを話した。両親はうんうんと頷いて黙ってわたしの話に耳を傾けた。
「で、その人と一緒に東京へ行く訳だな」父の目には複雑な深い眼差しが感じられた。わたしは小さく「うん」と頷いた。
「美和。私はね、大人に成長した娘の付き合いにどうこう言うつもりはない」
 わたしはドキリとした。今、父はわたしに娘と言った。フォークを持つわたしの手がお皿の上でピタリと止まる。父の話は続く、
「でもね、男を見る目は養いなさい。特におまえは事情をかかえている」
「男を見る目って?」反射的にわたしはそう聞き返した。
「恋というのか、男女関係には、自身の欲求達成のためだけに成り立つ場合があるんだ」
「どういうこと?」
父は少し躊躇いながらも次のようなことを話した。
「以前、私の職場にある男がいてね。営業職の。その男はイカした二枚目だったけれど、ことある毎にそれまで付き合ってた女の数ばかりを自慢するんだ。千人斬りだとか言って、現在のその数を人に話して自慢気に楽しんでいる。そんな男だった」
「ちょっと、お父さん。そんな話……」母が父を諌める。
「さくらはそんな人じゃない!」わたしはちょっとムキになって声を張り上げた。
 父は両手を前に広げて「分かってる。分かってる」と何度も頷いた。
「私が言いたいのは、営業職の彼がしていることは単なる数字集めで、恋愛ではない、という事なんだ。もちろん世の中にはただ遊びたいだけの男女が沢山いるから、それはそれでいいのかも知らんが、美和、おまえが今相手に求めてることはそんな事じゃないだろう」
 わたしは黙って首肯した。
 ほんのちょっとの間、皆沈黙した。
「あ、それじゃあ、彼を一度家に連れてらっしゃいよ。美和」助け舟を出すように母がパチンと手を叩いて提案した。
「それ、いいねえ」父も素早く同意した。
「ご馳走作るわよ」早くも母はその気になっている。
 
 そんな訳でわたしは早速その日のやりとりをさくらに電話で伝えた。さくらは一瞬「えっ」と言葉を詰まらせたが、すぐに「僕が美和の家に行っても良いの?」と訊いた。
「だって連れて来いって言うんだもの」
「何だか緊張するなあ、でも構わないよ」とさくらは応えた。
「安心して。何も値踏みしようとか、文句を言おうとか、そんな訳じゃないから」
「そうだな。でも分かるよ。お父さんとお母さんの気持ち」
「そうなの?」
「だって、大事な一人娘がどこの馬の骨だか判らないような男と旅行するだなんて、自分が親の立場に立ったらきっと心配になると思うよ」
「さくら、……ありがとう」わたしはさくらがそう言ってくれて嬉しく思った。
 
 さくらがわたしの家を訪れたのは八月も終わりに近付いた夏の終わりのまだ残暑が残る昼下がりだった。
 さくらはさっぱりとした半袖の白いシャツに薄いブルーのデニムという出で立ちだった。顔付きはやはりどこか緊張の色を隠せなかった。
 張り切ってご馳走を作ると言っていた割りに、母の出した料理は暑いだろうからと冷やしそうめんであった。でもそれ以外にわたしの大好きな玉子焼きやきんぴら牛蒡などの小鉢を添えた。
 父と母が揃った所で、さくらは恭しく正座をして、「香山桜と申します。現在美和さんとお付き合いさせて頂いてます」と型通りの挨拶を交わした。
「いやいや、そう硬くならずに楽にしてください」父は相好を崩してさくらを促した。
「なんにもありませんけど、どうかごゆっくりして行ってくださいね」母もにこにこ笑ってお客様用のお箸をさくらに手渡した。
 四人の会食は非常に和やかに進んだ。父は時々話が脱線する癖が有るので、また職場の千人斬り男の話でも持ち出すのではないかと母もわたしもハラハラしながら見守った。他愛無い世間話に終始して、「ごちそうさまでした。美味しかったです」とさくらは箸を置いた。父は黙って頷き、母とわたしは目を合わせてほっとした。食後は少し二階にあるわたしの部屋にさくらを案内してゆっくりして貰った。さくらはわたしの部屋を綺麗に片付いてるねと褒めてくれた。もちろんこの状態は今だけなのだが……。それからわたしのベッドでほんのちょっとイチャイチャした。
 3時過ぎにかき氷を食べないかと父の声がして、わたし達は衣服を整えて再び階下へ降りた。父が氷を削り母がシロップをかけた。わたしがいちご、さくらはレモンのかき氷をそれぞれ食べた。ほんのり懐かしい味がして爽やかな口溶けを楽しんだ。食べ終わって器を洗っていると父はさくらを連れて自慢の盆栽を見せに裏庭に向かった。数年前から趣味にしている盆栽を家に客が来る度に見せたがるのが父の趣味だ。食器を片づけて様子を伺っていると、父は一通り盆栽の説明をしては悦に入っている。さくらはただ神妙に頷くのみだ。それから二人は縁側に座ってほんの少し会話をしていた。わたしのところまで声は届いて来なかった。
 夕方になる頃、さくらは「長い時間、お邪魔して申し訳ありませんでした。今日の所はこれで失礼いたします」と帰り仕度を始めた。父は「そうか、そうか、またいらっしゃい」と何度も頷き、母は「何のお構いもできませんで……」と微笑むばかりだった。わたしはさくらと少しドライブに行って来ると言い残し、一緒に家を出た。
 助手席に座って、わたしは気になっていた事をさくらに訊いてみた。
「父と縁側でどんな話をしてたの?」
「あぁ、盆栽がね」
「盆栽?」
「うん、盆栽をね、品評会に持って行くと、自信を持っていたものほどいつも決まって評判が良くないらしくてね。それで、ある日やけになって見栄えの良くないものを持って行ったそうだよ。そしたら、なんと、それが今までで一番評判が良かったらしいんだ」
「へえ。そんな話は知らなかった」
「それでお父さんは思ったそうだ。大切なのは見た目じゃないんだなって」
「ん、なんかそれって……? 盆栽の話よね」わたしはちょっと笑いそうになった。自分の事を言われてるような気がした。
「でも、その後、ポツリと、美和の力になってやってくれって、お父さんはそう言ったよ」
 わたしは何だか胸の奥の方に熱いものを感じて、それきり何も言葉が出て来なくなってしまった。
 夕暮れ迫る街並みはさくらと初めてデートした時のようにパステルカラーに色づいて、夏の終わりの一日はこうして静かに暮れて行った。

続く

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