見出し画像

リストカットの罠


行き付けの酒場のカウンターで
マスターと2人きり
俺はいつもの取り止めもない
話を始めた。

昨夜、渋谷のバーで呑んでいた時
たまたま隣に座った女性と会話したんだ。
どういう流れだったか忘れたが
カレシ候補の男が
自分の事をどれだけ
本気で思ってるのか
たまに、テストするらしい。

「ほぉ」
マスターはグラスを拭きながら
興味深げに相槌を打つ。

それがこんな話……
相手の留守電にメッセージする。
直接話したりはしない。
今夜これからリストカットして死ぬ
とだけ伝えて
別れを告げるんだと。

それで2時間以内に駆け付けた男とだけ付き合うってね。
俺は笑ったね。
お酒の冗談としては
なかなかイケてた。

「なるほど」
マスターもにっこり笑う。

そんな留守電貰って
慌てて駆けつける
間抜けな男居るのかね。
想像したら笑っちゃってね。

「そうですね。もしいるなら顔を見てみたいものです」

あはは、まったくだな
俺は愉快な気分だった。
で、
それからねぇ
なんだかんだで
話が盛り上がっちまって
何て言うのかな?
その場のいきおいってやつ?
一緒にホテルへ行っちゃったんだよね。
いい女だったよ。
俺はアメスピ・ブルーに火を点けて
淡いグレーの煙りを吐き出した。

「良かったじゃないですか。で、連絡先とか交換したんですか?」
マスターが訊く。

いやいや
そんな野暮な事はしないさ。
俺の名前も何も教えてないよ。
一晩だけの割り切った関係さ
もう会う事もない。
女の名前は…、確か、サキとか言ったかな?
まあ、どうでもいいや。

マスターは微笑む。



「そう言えば、前に別のお客様から、こんな話を聞いた事があります」

ほう、何だい?

「どこかのバーで呑んでいたら、奥様から電話が来て、あんたの浮気相手の居場所が分かったから、今から行ってとっちめてやる、と言うらしいんです」

ほう、面白そうな話じゃねえか。

「けれど、その方は、いつもの方便だと思って、取り合わなかったらしいんですよ」

ふんふん、そうだろうな。

「そしたら、本当に奥さんが愛人のマンションに乗り込んで、取っ組み合いのケンカになって、とうとう警察沙汰になったらしいんですよ」

へえ、やるねえ。

「で、その方は警察に呼ばれて、絞られたあげく、会社にもその話がバレて、大変な目に遭わされたって話しですよ」

なるほど、
しかし、バカな男だねぇ

「オンナに振り回されるって、こういう事ですね。信じても間抜けだし、放っておいたら大変な目に遭う」

あはは、それこそ間抜けな男のすることだよ。
俺はそんなドジは踏まねえ。
女とはいつも行きずりの関係だからな。
後を引き摺らないって所が、肝心なんだよ。

「そうですよね」

俺とマスターは笑い合った。

おっと
そろそろ夜も更けて来た
さ、帰って寝るとするか
俺は灰皿にタバコを揉み消し
テーブルに置いていたスマホを手に持った
すると留守電が一件入ってるのに気が付いた
何だろう? 非通知かよ
と言いながら再生してみる
録音を聴いて、嘘だろ?
と俺は青醒めた

「ワタシ、サキ、イマ、リストカット、シタトコロ・・・・・・」

間違いなく昨夜の女性の声だ
何で俺のスマホの番号知ってる?
背中がゾクッとした。

「どうかしましたか?」
マスターはすました声で問いかける。

あ、いや、何でもないんだが……、

ハッとして
俺は急に駆け出したくなった
しかし……


ああ・・・
どうすればいい?

足をじたばたさせて
 俺は叫んだ

どこに行けばいいんだ~!!!



マスターはニヤリとした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?