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それからのこと


「どうだい? 未来の自分に逢った気分は」
カエル君はそう言ったが、まさか、それはない。
「あの人は偉大な作家だよ。ボクとは違う」
「どうしてそう思う?」
「昼間あの人の作品をいくつか読んだよ。あんな文章、とてもじゃないが、ボクには書けない」
 そう言うとカエル君はまたしてもフフフと意味あり気な含み笑いをした。
「それに名前が違うよ。なんだかとても難しそうな名前だった」
「……臥龍覆水」
「えっ?」
「老作家の名前だよ。がりゅうふくすい先生だ」
「は? 読み方さえ分からなかった」
「まあ今後は長い付き合いになる」
「長い付き合い? どういう意味だよ。あの人はもう戻らないんじゃないのか?」
「実体はね。でも作品はたくさん残ってるだろ。それに彼の過去をこれから探って行くから」
 一体、どういうことだ? 何でこんなことになったのか、不思議でならない。
 あの時のことをもう一度思い返してみる。

 何も書けずにモヤモヤしていた時、突然夜中に大きなカエルが現れて話しかけられた。
 そのカエルが言うには、どうしてもアンタが今のうちに会っておくべき人がいる。これからちょいとオイラと旅に出ないか? ということだった。
 最初は相当訝しんだ。そんなバカな話があるか。
 夜中に突然現れたカエルと一緒に旅に出るなんて。
 ありえない!
 そう答えたものだが、相手はニコニコ笑ったまままんじりともしない。
 無視を決め込んでフテ寝でもしようとしたが、どうにも気になる。会っておくべき人がいる? カエル男はそう言った。
 そいつは誰なんだ? 訊ねてみたが、返事はなし。
 バイトがあるから旅なんて無理だ。そう言ってみたが、その心配は要らない。またこの日のこの時間、ここへ戻って来るから、と言う。
 金もないんだ。そう言ってみる。するとやはりそれもノープレミアムだと答える。
 それを言うならノープロブレムだろと心の中で突っ込んでみる。
 普段ならそんな誘いに乗ることはまず無い。そう普段なら、しかしその時の自分はちょっとだけ普段とは違っていた。壁に掛けてある時計の針は止まっていて1ミリだって動かなかった。まるで金縛りに遭ったみたいに。それにどこをどう探してもスマホが見つからなかった、まるで神隠しのように。
 カエル男の言うことは支離滅裂でどうにも信じられない作り話のようだった。支離滅裂、支離滅裂と口の中でぶつぶつ唱えているとそれが尻捲れるに変わった。布団が剥がされてしまった。
 いやしかし、よく考えてみた。だがしかしと……、
駄菓子菓子と頭の中で文字変換した。いやしかし……、癒やし菓子? なんだそれ?
 普段とは少し違っていた。鏡の国のアリスにでもなったように。でもそれは少しだけ嬉しく思った。
 そのときそれまで布団にくるまり寝ようとして眠れずにいた訳だが、布団は剥がされ、次の瞬間、勝手にむくっと立ち上がってしまい、気が付けば旅の身支度はすっかり整っていた。寝癖は少しだけあったけど。
「整ったようだね。それからオイラのことはカエル君と呼ぶように。さぁ行くよ」
 カエル君はまるでオリンピックの開幕を告げる大会委員長のような姿勢でそう言い放った。
 それからまるで夢でも見てるかのようにふらふらとアパートの部屋を出てしまった訳だが……。
 外に出るといつもと違う町の風景の中に黄色に光るアメ車のような平たいクルマが停まっていた。
 ささっとカエル君は運転席に飛び乗り、助手席のドアを開ける。シンデレラを迎える馬車のように。(その例えも少しだけ嬉しかった)
 とにかく、何故だか幾分、心地良い気分でシートに凭れ込み、後は流れに身を任せた。思いの外、荒っぽい運転には驚いたけれども、街の灯りが遠去かり、夜空の星が流れて行くのをぼんやり見ているのはいい気分に違いなかった。
 それから連れて行かれたのが丘の上の山荘だ。(正確には山の麓で車を降ろされ、ひとりで丘を登ったのだが)
 そこで父によく似た老作家と出会い、ほんの少し話をした。老作家の書いた小説もいくつか読んだ。それから最後に電車に乗って去って行く彼を見送った。

 それが今だ。
「それで、預けたものはちゃんと先生に渡してくれたかい」カエル君が訊く。
「ああ、もちろん」
「それで、どうした?」
「は? ああ写真に何か寄木細工のような箱。多分、山荘に置いたままじゃないかな?」
「手紙は?」
「ああそれは、先生が持って行った」
「アンタもそれを読んだか?」
「いや、それは見せて貰えなかった。誰からの手紙かさえ知らない」
「そうか、まあそれはいい。ではとりあえず山荘に戻ろう」
「えっ、また、どうして?」
「写真と箱を取りに行く」
 カエル君はそう言って山荘に続く丘の小径に入って行った。ひょうひょうと5センチくらいは宙に浮いてるかのような歩き方だった。
 さて、どうする? こんなところにひとりぼっちで待ちぼうけするのも寂しい気がして、仕方なく後を追うことにした。

つづく



《長編小説『カエル男との旅』より抜粋》

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