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北の記憶と、2021年の暑い夏。

北海道に1週間ほど行った時、熊除け(催涙)スプレーを持ち歩き、山々を歩いて暮らした最終日に、1人で湿地帯を見下ろす展望台に登った。車で向かったそこまでの道のりで自然は、深まるばかりで、到着した駐車場には誰もいなく、今ここで何かに襲われたら助からないなと思った。もちろん、ここにも熊がいると思う。いや、必ずいる。いると書いてある。笑 そんな場所をたった1人スプレーも持たずに歩く。階段を登って、砂利の細い山道を蛇行して上り、もう一度最後の階段を上る。

絶え間なく周りを見廻し、遠くまで目を細める。いつどこに来たらどうしようと考えながら、気づけば自分の息の音が全身に響き渡り、鼓動は跳ねている。熊が・死が、そこにあるかもしれないという緊張を携えた最後の階段で、風が吹き抜ける。森に差し込む木漏れ日が差し込む、ざぁっと揺れる一面の背の低い笹の葉。揺れるヒカリ。自分の命を危ぶみ、でももしそうであってもしょうがないとそれを手放す。その瞬間に、静かな森がまた一層、シーンと静まり返る。

そして、次の瞬間、また風が吹く。耳の奥までざざーっと音がする。音が追いかけてきて、私を追い越していく。そこに揺れ落ちる太陽の光と、緑と、葉を強く揺らす風がただただ美しくて、世界が急にスローモーションになる。その時私は、美しさが目に染みることを知った。私は少し泣いていたかもしれなかった。

そして、辿り着いた小さな山頂の展望台から見下ろす湿地帯。ナウシカの世界のような、黄金の草たちが風に揺れて流れていく。海の水面のように。流れる川草のように。吹き抜ける風は私を直接包み込む。ほんの数分いただけなのに、あぁなんて永遠のような時間だったのだろう、と思う。

山を下る帰り道に、東京という街との対比に息を飲む。

熊に会うこともない。鹿が道路に飛び出してくることもない。人間という因子以外に命の危険なんて微塵もなくて。やらなくても死にはしない仕事と、今目の前にないスマホの中の情報に一喜一憂することに忙しい。言い過ぎればそれに命をかけている。東京のそれは日常の現実なのに、自然という当たり前の現実から隔離された、仮想空間みたいだ。あの中に生きていて、これから人間はどうなってしまうのだろう、とふと思う。

見えない柵を立て、危険なものを全部遠ざけて作った、自分たちに都合のいい完璧な都市。その未来で、死なない代わりに本当に生きることも、命を揺るがす美しさにも出会うこともない虚しさを感じた。それでも多くの人が死んでいるのだ。熊に出会って命を落とすよりも、明らかに多くの人が自分で死を選んだり、病気になったり、殺したり殺されたりして。

命を危ぶむ中にいる・命をかけて生活している自然の中で生きる人間は、きっとこんなふうには死なないだろうな、というほどに。死が遠すぎて、生きることすらわからなくなって、人は少しづつ狂ってしまうのではないか。私たちは決定的な何かに、ではなく自分たちを守る柵に囲まれて、静かに行く手を阻まれた感覚に絶望しているようだとも思う。

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そんなふうに漠然と思って、東京でつらつらとこれを書いた季節が今年も巡ってきた。北海道に行った2020年の8月のはじめから、あっという間に1年が経ったことに静かに驚く。先月に、スノーピーク代表の山井梨沙さんの「野生と共生」という本を読んで、無性にその続きが描きたくなって、何度かに分けてパチパチとキーボードを叩いている。

あの北海道で、山を歩いて私は思い出した。私は山の人間だったことを。登り方---足を出す場所やタイミング、体重の掛け方 ---を知っている。木々や花の名前、これは食べれるとか、こうやって遊ぶとか、これに効くとかそういうことが私の中に息づいている。それはビジネスで結果を出すよりもずっと、人間として強くて偉いことのように思えた

そんな私はその後、ただ大自然に暮らすではなく東京に戻り、自然の中に2nd Homeを持つサービスを展開するスタートアップ「SANU」に取締役としてジョインし、日本の里山でテクノロジーとデザイン、アントレプレナーシップを学ぶ、「神山まるごと高専」のクリエイティブディレクターに就任した。死ぬ時に「この人生でよかった」と思うために私は人生を編集・表現する結婚式を作ってきて、その延長線上で私は、自然との共生や学びがそこに不可欠だと思い、また新しい挑戦として大半の時間を忙しく東京という街で働いて過ごしている。

2020年、CRAZY独立後の奄美大島での2ヶ月半の暮らし。そしてこの北海道のひととき。あの時の、途方もなく大きな地球との対峙。

ちっぽけな私たち人間は、一生というこの無限の地球や大自然や歴史に比べたら、一瞬の小さな命に絶望して、生きることの意味を時に見失ってしまう。でも、だから社会や都市は生まれたのだろうと改めて思う。社会は言うなれば、小さな箱。無限すぎてこの世界や地球に絶望してしまう人間が発明した、物事が実現しやすいシステム。無限の世界では、無力だった人間を立ち上がらせてくれる有限の世界。人間がちっぽけだと思わないで絶望しないで頑張れる場所。それがこの社会であり、私の住む東京という都市なのだと思う。

前述した通り、死なないために・絶望しないために、私たち人間が作り出した概念のなかで、今度はこの社会が全てに思えてその閉塞感にもがいたりする私たち。だからこそ、私たちは、この社会の先にもっと広い、「世界」という広がりがあることを忘れてはいけない。この社会は活かすものであり、捉われるものではない。なんなら、この社会で上手くいかなくとも、私たちはもっと広い地球の大自然の中で、もっと大変な「生きる」をしている。おまけとして、この社会で頑張っているのだ。もちろん、本気で。とんでもない覚悟で。おまけであることも忘れるほどに。

東京という街や社会に、違和感を感じた昨年。打って変わって今年は、このシステムがあることに、私は改めて感謝をした。また人類が、野に放り出されたとして、大きな生きる実感を手にした後に、私たちはまた都市を作るだろう。また社会を求めるだろう。こうであって欲しい、の願いの集大成が今の社会だと思う。

だから、サボってはいけない。生きることを、人間であることを、手に入れた機会を。この時代に生きていることに感謝して、たくさん努力して、味わいたいなと思う。だから、2021年の今年も暑い8月、オリンピックの選手達に鼓舞されながら、手加減しないで明け方から鳴く蝉のように、懸命に生きようと思った、そんなお話し。(特に8月は大自然の中でね。)

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