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婚活ねぇ

SNがまだあった頃に書いた
うろ覚えだけども、クリスマスには一緒に過ごす人を見つけるぞ!
みたいなスタートで、逆算したら5月には始めないとダメでしたねって感じの内容

さて1人になって長い時間が経過し、恋人もいない期間も長くなってきた
寂しいとか人肌恋しいとかはあるんだけども、相手がいなくなる事で、経済的な余裕が生まれてしまう事を知ってしまった
相手がある事なので、相手が喜ぶであろう事や、相手が行きたいであろうところへ行くことがあるのだけど、それにはやはり時間と原資が必要なわけよ
その時はオツムテンテンだから使うけど、振り返った時に、何も生み出してないことに気付いて、金と時間を無駄に使ったなぁと言う悔恨だけが残る

好きで使ったんだから相手を恨むとかは無いんだけども、自分が嫌になるよ
そんな自己嫌悪がわかってるので、結局婚活という言葉から目を背けるまま今に至り、流石にこの先も1人か、そうか老後も1人か、と思うと寂しい気もする
いや、しかしぼくの老後の世話を先日まで他人だった相手に求めるのは、烏滸がましいにも程がある気がする

ぼく自身毒親に育てられてたから、家族の結びつきとか、家族愛とかってのが欠落してて、仲良い家族を見て微笑ましいとか、羨ましいとは思うのだけど、どうしても自分がそこに入って楽しむ様子が想像できないのだ

それもそのはず、自分が与えられた事ないんだもの
与え方を知らないから、きっと甘やかすだけとか、干渉しないようにするとか
教育と干渉の境目もよくわからないし、他人と生活する事も耐えられる気がしない
家族ですら耐えきれずに飛び出したのに
同じ環境であっても、常に結託してぼくを否定する事で矛先を自分に向かないように思慮深く生きた姉と弟は、どうだろうか
姉はまだ結婚してないどころか、行方不明だ
弟は結婚した、子供にも恵まれてそれなりに生きているらしい

これを見ると毒親に育てられたからってのはあまり関係ないのかもしれない
ややADHDのぼくがダメなのかもしれないな

それでも生きていかなきゃだし、仕事もしないといけない、うまくいかなくて泣きそうになりながらも結果は出さないといけない
このヒリついた日常を融解してくれる何かをずっと探してる、それが結婚かもしれないと淡い期待をしていたのかもしれない

うん、やはり婚活にはぼくは向いていない
他人を信じないんだから成り立たない
これからも1人で生きていこう
ひとり、1人、独り
独りが1番適確な気がするよ

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