”自分には音楽理論なんて必要ない!と思ってる人は絶対に音楽理論を学べ”穏健派

そういう私は和声法をお勉強中の身。お勉強しながら解説風動画を投稿しているのでよければ見てください。これ再生リストです。和声法を 超絶ハイパーめちゃメガコンパクトにまとめています。第一巻(本来25回授業の設計)を、5~10分くらいの動画16本でまとめています。 https://www.youtube.com/playlist?list=PLIKxOdFk3fyqaypVXhuQaZlIu_dQiLCMm

「自分には音楽理論なんて必要ない」と思っている人に対して考えを改めさせたいわけでも批判したいわけでもなければ、偉そうにそんなことができるほど造詣も深くない。学ぶかどうか自体は、各々がそのコストや成果を見積り、自身の現状などを総合して判断することだし、別に私がどうこういうことではない。しかし『コストや成果』の見積もりが誤っているために学ばないという判断を下してしまっているのなら、それはもったいないことだ。そんなわけでちょっくら思ったことを言葉にしてみようかな、くらいの気持ちで書いていくので、ちょっくら見てやろうかなと思った人は見てくだはれ。

音楽理論とか知らなくてもよくね?

自分には音楽理論は必要ない、ともすれば邪魔なものだと思っている人というのがいる。そういう人の言い分としてまず想像しやすいのは、『実際に理論を知らなくてもできる人がいるんだから、必ずしも学ばなければならないものではない』というもの。確かにいる、いるなぁ。クラシックではわからないけど、ポップスの著名なミュージシャンが、テレビ番組で理論を全然知らないと話しているを見かけることがある。それでも他のミュージシャンや音楽プロデューサーをうならせる曲を連発し、多くのファンに愛されている。

これについては、自分自身で満足のいく実力、あるいは目標を達成するのに十分な実力があるか、というところがポイントではないだろうか。そういうやり方でうまくいっているなら、それでいいのだと思う。だが物足りなさを感じているなら、理論を学んでみると今までになかった進歩があるかもしれない。

まじめな話は苦手なんだ、ここでダジャレでも一つ

クエを食え

”理論と感性は別物”だぁ?ガチか?

また『理屈に縛られたくない、感性や個性を大切にしたい』という人もいる。これはちょっと厄介だな ... ... 。例によってそれで望む結果が得られているならそれでいい、という意見は置いといて。そもそも理論と感性を分けて考えすぎじゃないか、ということを私は言いたい。

先ほどの話じゃないが、理論的なことは知らず、考えずとも良いものを生み出せる人がいる。こういう人たちは、才能があるとか、感覚がいいとか言われる。一方で理論的な学習はその対極にあるものと思われがちだ。感覚や個性は自由で開放的なもの、理屈はそれを縛るものだとみなされる。だが本当にそうだろうか。

僕の中にある答えは No だ。理論と感性の違いは学習プロセスのみだと考える。”感覚”のいい人というのは、音に対する注意力が人一倍鋭かったり、音楽のインプットが尋常じゃなく多かったりする。つまり音楽に関する情報の解像度の高さや量の多さが人より長けている。こういう人は、音楽を聴くことでよい音楽(その人が良いと思う、程度の意味でとらえてほしい)の特徴を頭が抽出して覚えていく。この能力は、程度の差はあれど誰しもが持っていて、「この曲好きだな」「きれいな曲だな」などと思えるのは、過去に聞いた音に関する情報がインプットされているからである。子供のころに聞いた音楽が趣味に影響する、というと心当たりがあるかもしれない。(もちろん過去に聞いた音や曲にかかわらずほぼ万人が本能的に嫌う音もある。黒板をひっかく音などは誰に教わったわけでもなく多くの人が嫌うものだ。)専門ではないが、AIはこういった人間の学習プロセスを参考にしたものである、たぶんな。あるいは小さな子供が言葉を覚える家庭にも似ている気がする、たぶんな。責任は持たん。まあ大事なことは、見た目がらしからぬだけで感性もお勉強のようなもので成り立っている、ということだ。

ここまで言えばわかるのではないか。いやそれは傲慢ですね。ちゃんと言います。理屈を学べば感性は身に着けられる!!(集中線シュビビビ効果音ババーン)

理屈は感性を縛るものでは決してない!むしろ感性を伸ばしてくれる。それに学んだからと言って必ず従わなければいけないものではない。モーツァルトやバッハやベートーヴェンだって和声法の3回目の授業で学ぶような決まりを破っている。むしろ理論を学ぶことで縛られてしまうような個性、感性しか持ち合わせていないのであればそれまでということ、だったら早く理論を学んで感性を育てろ!縛られない自信があるなら理論を学べ!ほぉら八方塞がりだぞ~

まあ私が強要することではないけれど、ここまで読んで少しでも気が変わってくれた人は、少し机に向かってみることも検討してはどうだろうか。それから実体験として和声を学んでよかったとことは、作曲をしていて「なんか違和感あるな」と思ったときに和声的な異常を疑えるようになったこと。そしてそういう時は大概案の定ミスがある。

こっから余談だ、まあ全部余談のようなもんだがな

ところで私が動画で解説している和声法というと、和音のつながりに関する法則の事だけど、理論というより経験則による部分が大きい気がする。先人の経験から導かれた理論?そういう系である。こういう音が聞こえたら必ず人は泣くとか笑うとか、そういう一対一の関係はないのだから当然と言えば当然のことだが。これに従えば基本綺麗になるよっていうのをまとめたもの、だと思っている。いやね、たらたらと文章書き連ねたけど、基本的に私の動画見てほしくて note やってるからさ、見てくれたらうれしいなぁ、とね。思うわけですよ。ここまでお話聞いてくれたやさしい紳士淑女の皆さんは見てくれるでしょう?とかいうと逆に見る気なくすか。もうちょい雑にいこ。見て。よろ。

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