記憶の行方#憧れ

美しさにずっと憧れている。

とある高校の入学式の看板を書くよう、依頼が来て、書きながら、高校の恩師を思い出していた、濃いキャラクターの先生方でした。思い出す先生は、数々いらっしゃるのですが、特に音楽と美術の先生は、思い出します。

音楽の恩師は、声楽の恩師と器楽の恩師が2人とも口を揃えて言ったことがある。

「美しさに憧れて生きなさい」

とおっしゃったのだった。これは、今だに、時々思い出すことばです。

音楽や美術は、一見、みんな単位を取るために受けていた授業のような授業風景でしたが、毎回休まずに出席していた。合唱の時間にみんなの気持ちを知ることとなる。ピッチを合わせ、それぞれのパートの音が和声となり、重なったときに、そうかぁ、それは、ことばではいいようになきことでした。歌いながら、それぞれの孤独をほんの少し分けた気持ちになった。受験勉強には、度外視されていた「音楽」の授業でしたが、「憧れ」を持てる楽しい時間でした。

「作品を作りだすことは、生きることそのものだ」と、言い放ち、美術の先生は、最後に別れの歌を歌って、転任していったのですが、あの、体育館での別れの歌は、アカペラだったのだけれど、強烈に覚えている。

貴重な体験を与えてくださった音楽や美術の先生は、未だに覚えている。

何の因果か、母校で教鞭をふるうことになり、こどもたちを美術館へ連れて行ったことがある。学校行事ではなく、たまの休日にわやわやと遠足みたいな感覚で、みんなお弁当を持って、絵を観に行くという、こどもたちは、うきうき、わたしは作品を観に行くのが楽しみでしたが、ケガのないよう家に帰るまでが遠足だ。と言い聞かせて、いつもスーツかジャージか、エプロン姿でしたが、その日はジーパンで行ってしまった。こどもたち、ややびっくり。しまった。美術の先生っぽく、もっとイカれた格好がよかったか?と反省しましたが、不覚にも動きやすさを最優先に考えてしまった。しかし、それは、正解だった。帰り道に水筒を忘れた、と、忘れた場所を覚えている悲痛な顔をしたこどもがいた、「どこに?」と聞けば、「ホームの何番目の椅子に置いた」という、そこまで記憶していながら、なぜか、忘れるという、人間は不思議だ。電車に乗った後にそれに気づくという事態が起き、電車の発車時刻までに、走って取りに行くということがあった。駅員さんに頼んで後から送ってもらってもよかったのだけれど、こどもにとって、水筒は、大事なもので、失くしたくないものを、このタイミングで失くすことは、非常に痛いこと、ダッシュ力があってよかった。陸部の恩師に感謝した。通常、改札は、撮影等以外では、走らない方が良い。ケガのもとだ。幸い水筒はそのこどもの記憶通りの場所に置いたままだった。驚くべきことは、一歩も動かず、座って待っていてください。と、こどもたちにその場で言った一言を守っており、水筒が戻ってくるまで、誰一人離席していなかったことだ。こどもは、大人の話をよく聞いている。しかし、わたし自身にこれまで強烈な印象を残した先生方のように何か気の利いたことが言えたかどうだか。

フィードバックでなにがよかったか、それぞれの気持ちが炸裂、一車両は、貸切状態だった。

仕事帰りの大人と混じる10代に満たないこどもの顔。どんな大人なっていくのだろう。

こどもたちは、作品を見るというより、美術館に来られたことが楽しくてしょうがないようで、観て、はしゃいでいた。

果たして、彼ら彼女らは、美しさを発見出来たのだろうか……。

美しいと感じること、面白い!かっこいいと思えるものに出会えるのが美術館、迂闊に観ていると、相手の世界に巻き込まれてしまうのがインスタレーション。

そして、美術教育の目指すところは、「美しさ」を感じる心を育てること、知ることと感じること、それらがミックスされて初めて認知となる。というようなことを、小林秀雄先生が学生との対話の中で話していたことですが、そうかなぁと、振り返っていた。

生活のふとした、すぐ隣にあるものが美術、と思う。

先日、「夜のガスパール」を解説している現役の学生の話を聞いていた。

「夜のガスパール」は、詩があり、曲が発想されている。

「妖精が泡となる」「窓の外の雨」の風景が見える曲の解説を聞きながら

人間の欲望と再生は、誰かには、見えない幻をみることから始まるのかしら?

と思った。

わたしは、相変わらず、美しさに憧れている。




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