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ビル・セットフォードのライフ・ストーリー⑨

ヘレン・シャックマンさんと共に奇跡講座の生みの親であるビル・セットフォード博士の数奇な人生について、本人が語った記事を翻訳しています。
元の記事はこちら→ William Newton Thetford, Ph.D. - Life Story • Foundation for Inner Peace: Publisher of A Course in Miracles (ACIM)

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今にして思えば、私のスピリチュアルな旅は、あの日、ヘレンに「別の道があるはずだ」と熱弁をふるい、彼女がそれを見つける手助けをすることに同意したことから始まったのです。それは、私にとって大きな転換期でしたが、混沌とした時期でもありました。私の視点は仕事上の成果や評価にあり、それが重要かどうか、意義があるかどうかを考えてていました。少なくともある程度はスピリチュアルな方向性に対してオープンな姿勢にシフトしていたとはいえ、当時の私はスピリチュアルなことにはまったく興味がありませんでした。宗教は迷信とみなされ、議論されることも、議論する価値があるとみなされることもなかったのです。事前に何らかの準備は整えていたのかもしれませんが、思い出せるのは、心の奥底で疑問を持っていたことと、本を読んでいたことくらいです。

例えば、1965年4月頃、ヘレンに熱弁をふるう直前に、ヒュー・リン・ケイシーの「内なる世界を探る」という本を読みました。当時の私の興味や傾向とは違ったのですが、なぜか「読んでみたい」と感じたのです。読んでみると、明らかに普通の基準からするととんでもない話だったのですが、ヒュー・リン・ケイシーがこの話をでっち上げているとは思えなかったことを覚えています。私はテレパシーを信じていたんです、自分も体験したことがあったので。彼の父親である超能力者のエドガー・ケイシーについて語ったこれらのあり得ないことが、すべて真実であるような気がしたのです。もし、そうだとしたら、私はこのことについてこれまでと違った考え方をし、他の可能性に心を開かなければならないだろうと感じました。

ヒュー・リンが語った遠距離でのヒーリング、超常的な体験、「失われた大陸アトランティス」(エドガーケイシー、 1943)がかつて本当に存在した可能性など、もしそれが本当なら、私の考え方の他の部分にも浸透していく可能性がありました。私は、思考体系を少しずつ変えることができることを知りませんでした。一方で、もしこのようなことを受け入れたら、つまり、もし彼が言ったことが本当なら、私はこのすべてを真剣に考え直さなければならないし、非常に多くのことを変えなければならないだろうとも思っていました。この話がどこまで本当なのかはわかりませんでしたが、それを確かめる必要があるかもしれないとも思っていました。そこで1965年、私はヘレンと二人でそのための旅行を計画したんです。私たちはバージニアビーチに行き、エドガー・ケイシーの人生とリーディングを保存し研究するために設立されたARE(Association for Research and Enlightenment)を訪れました。ヘレンは、ヒュー・リン・ケイシーとそこにいる人々に感銘を受けました。私はいつも、この旅によって、彼女が彼女自身にこれから起こる可能性に対する許可を与えたのだと感じています。

1965年の夏はいろいろなことがありました。ヘレンは、水中の宝箱の中に、ギリシャ神話の癒しの神アスクラピオスのシンボルが表紙に描かれた黒い本が入っている夢を何度も見ていました。そのシンボルは、医療関係者がよく使う、2匹の蛇が絡み合うカドゥケウスでした。この黒い表紙は、後に「奇跡のコース」の原稿を入れるために使うバインダーと同じものだった。1965年9月の直前、ヘレンが私に言いました。「あのねビル、近いうちに、私はとても思いがけないことをするつもりよ」。「それがどんなことなのかわかるのかい?」と尋ねると、彼女は「いいえ、わからないわ。でも、とても思いがけないことになるのよ」と答えました。その夏の間、私たちは二人とも旅をしていました。ヘレンは、スピリチュアルなテーマについて自分の考えを明確にする手段として、私に何通かの手紙を書き始めました。ここにいくつかの簡単な抜粋があります。

土曜日

親愛なるビル:これは私たち二人にとって重要なことかもしれないので、我慢して聞いてください。今朝、私は意図せず、「私はチャンネルです」と言い続けていました。その時は何か意味があるように思えたのですが、チャンネルが詰まってしまいました。それはまだ開いていません..


日曜日

親愛なるビルへ ある晩、私たちは散歩をしていて、夫のルイが、両親にベビーカーに乗せられて運ばれている12歳くらいの脳障害児を指差しました。そこには他の障害児もいました。歩きながら、突然、短い時間でしたが、みんなが楽しく同じ道を一緒に歩いている感覚を覚えました。ハシゴの上を上っているみたいに。私達はまだみんな同じ道にはいませんが、いずれはみんな家に帰れるでしょう。

火曜日

親愛なるビル:これを書きたいかどうかわからないのですが、自分がある命令に従おうとしているような気がします。この命令はかなり厳しいもので、私が受けている主な感覚は、それに逆らう勇気はないということです...。



#奇跡講座 #奇跡のコース #ビルセットフォード  

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