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ビル・セットフォードのライフ・ストーリー⑤

 ヘレン・シャックマンさんと共に奇跡講座の生みの親であるビル・セットフォード博士の数奇な人生について、本人が語った記事を翻訳しています。元の記事はこちら→ https://acim.org/about-acim/acim-scribing/william-newton-thetford-phd-autobiography/


 当時は、この内なる呼びかけを経験したことをあまり気にしていませんでした。それは非科学的なことで、そんなことを認めるわけにはいかなかったからです。でも、直感かもしれないと思ってメモしておき、少しはそれについて話すこともありましたが、あまり多くは話しませんでした。どうしたらいいのかわからなかったし、説明もできなかった。このようなことはそれ以前からあったのですが、この時に起こったことは無視できないほどはっきりしたものでした。

 私は、コーネル大学のハロルド・ウォルフのところで3年ほど研究を主に行いました。私たちの研究プロジェクトはCIAの支援を受けていたため、多くの極秘活動が行われていた。また、中国革命の後、祖国に帰らなかった中国人たちとも一緒に仕事をしていました。彼らはこの国に取り残されていたのですが、これは異文化間ストレス研究全体の一部でした。これは合法的に行われたもので、CIAはこの人たちのことを何か知りたかったのです。つまり、このプロジェクトは複数の目的を兼ね備えていたのです。

 そんな中、父が急死しました。私が9月にニューヨークに引っ越してきて、11月初旬に亡くなりました。母はその前年に亡くなっていました。私は父の葬儀の準備をしなければなりませんでした。ニューヨークに戻ると、まるで狂気のような、本当にプレッシャーのかかる狂気の世界が待っていました。毎月のように発表が続いていたのです。私の名前入りの研究報告書や論文がたくさん出されました。私は、新しい仕事、新しい生活、そして父の死に適応しようとする困難な状況にありました。私は一人ぼっちになって、家族もなく、何をやってもいいんだと気づきました。そんな時、ハリエット・ミルズと一緒に東洋へのミステリアスな旅に出て、貨物船で帰ってこないかと誘われたのです。

 私はまだ父の遺産を整理している最中でしたが、中国に監禁されていたハリエット・ミルズを探すためにアジアへの旅へと出発しました。彼女は、中国で長老派の宣教師の娘として生まれ、またそこで育った後、家族とともにニューヨークへ渡りました。彼女はコロンビア大学の大学院生で、博士号を取得した後、再び中国に渡り、現地調査を行っていました。もちろん、言葉が話せたので、そのまま滞在を続けたかったのですが、結局、最後のアメリカ人の1人になってしまっていたのです。中国政府は、彼女のような経歴や資質を持つ人物を疑い、そのため彼女は投獄されました。そしてついに裁判にかけられ、国外追放となったのです。そこで、私はCIAから間接的に派遣され、彼女の体験談を聞くことにしたのです。

 ハリエットは香港におり、私が予約した1隻の船を除いて、すべての交通手段が遮断されました。すべての手配は秘密裏に行われました。それは恐ろしくもありまた魅力的でもあった。私は、香港で船に乗る前に、まずマニラへ行くことを知らされていませんでした。彼女がそこにいるとは思っていなかったのですが、乗船して、3、4人しかいない朝食の席で待っていると、突然彼女が現れたので、私はホッとしました。明らかに仕組まれたことだと思ったので、なるべく無難に振舞うしかないと考えました。そのうち、しばらくして、彼女はリラックスして話し始めたんです。彼女は、"ねえ、あなたが誰だか知らないけれど、どっちみち関係ないわ "と言いました。私たちは数週間、話をする時間がありました。私は、彼女の言うことをすべて密かにメモしていることに罪悪感を覚えました。そして、メモをあちこちに置いておくのが怖くなってきた。その時点では、これが本当にどういう仕組なのか、また、この船には他に秘密の任務を持った人がいるのかどうか、全く分かりませんでした。自分の船室にメモを残しておく危険を感じたので、すべてポケットしまっておきました。


#奇跡講座 #ビルセットフォード #ACIM



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