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『ぼくの火星でくらすユートピア(2)』

 コンクリートは、整備されるから人が群がるのか、群がるから整備されるのか。とにかくコンクリートのある場所には人が群がる。

 ほ、ほ、蛍こい。あっちの混凝土は苦いぞ。こっちの混凝土は甘いぞ——

 とか言った具合に、僕もこの土地にやってきたひとりだ。

 「しかし妄想の中ぐらいもっとマシな色にしてくれれば良かったのに」とも思う。僕のコンクリートは桃色をしているからだ。またこの色を、知らない人は、ピンク色とも言う。

 僕が奇抜な世界の色にうんざりしている最中に、相棒は4回もエンストを繰り返した。今日は何だか調子がいいじゃないか相棒! お願いだからもう二度とエンストしてくれるなよ。

 僕はもう一度、慎重にクラッチペダルを離す作業に取り掛かる。

 こんなにグズグズしていて大丈夫なのだろうか? 知らない人は思うかも知れない。

 結果を言うと、僕の後ろにも前にも道はあるが、誰もこの道にいないのだから、どんな速度でも大丈夫なのだ。

 しかし唯一面倒なのが、僕の周りにはちゃんと人がいて、僕が舌打ちをしながらエンジンを入れ直す間にも、僕をケラケラと笑っていること。

 僕以上に楽しそうな趣味を持っているのは実に憎たらしい。僕も人を笑ってみたいと思う。

 僕が以上の様な過去の事を語るのは、つまり、僕が古本屋に着いた証拠と言っていい。

 古本屋の扉を開くと、中は空っぽだった。普段は口を開くのさえ億劫な僕だが、背に腹は代えられない。仕方なく、商売をやる気がない店主を呼ぶ。

「あの。本を売りに来たのですが。あの。本をですね、売りに来たのですよ」

 僕が売りにきた本は、そんじょそこらの薄っぺらの物では無いのだ。時代を超えてキチンと人々に評価され続けてきた物なのだ。キチンと値段をつけてもらわないと困る。僕の給油代が。

 キチンとした本の内容は、以下の通りだ。

 仕事に行こうと目覚めると虫になっていた男がいた。人間の頃の彼は誇るべき人間だったが、あの様な虫に変身してしまった。今まで男が食わせていた家族は、急に自分たちでもって色々と生活を弄らなければならなくなり、いずれ自分たちに奢りだし、終いには虫になった男は、父親の一撃の林檎に沈む。

 これが喜劇なのか悲劇なのかは僕には判断がつかないが、やりようの無い話だということは確かだ。

 だけども、僕自身にその不幸が降りかかったとしたなら、僕なんて元から何もかもが上手くいかない虫けらの様な存在だったから、まるで誰も気がつかなかっただろうと思う。寧ろ、「少しマシになったわね。ええ、人間らしくなって」なんて言われてしまうのがオチだったろうか。

 寧ろ、虫になれば、店主も店先に出て来てくれる様になるだろうか。

 この店のコンクリートは剥げかけている。

 僕はこっそり店の中で一番高い値のつく本を手に取ると、再び相棒と走り出した。


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