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NYCBプリンシパル、タイラー・ペック&ローマン・メヒア来日記念バランシン・クイズです。

 小林ひかる氏が芸術監督を務める「The Artists --- バレエの輝き ---」に出演するため、ニューヨーク・シティ・バレエの絶好調プリンシパル、タイラー・ペック氏とローマン・メヒア氏が来日することを記念して、バランシン・クイズを出題します。
 下掲の写真で、ジョージ・バランシン のミューズとしてつとに知られたバレリーナ、スザンヌ・ファレル と一緒に写っている2人の男性と3匹の猫の名前は何でしょうか?

出典:Suzanne Farrell with Toni Bentley, "Holding on to the Air, An Autobiography."
New York:  Summit Books, NY.(ハードカバー版)

バランシンがこよなく愛したミューズ:スザンヌ・ファレル

 回答を発表する前に、スザンヌ・ファレルについて、補足をしておきます。
 彼女は、1961年にニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)に入団、同団の創設者・主任バレエマスター(芸術監督に相当)でもある振付家ジョージ・バランシンのミューズとして一時代を築いたバレリーナです。
 バランシンがファレルをバレリーナとして重用しただけでなく、女性としても夢中になっていたことは、つとに知られています。
 ところが、1969年、ファレルは同年代の同僚ダンサー、ポール・メヒアと結婚…。バランシンとファレルの公私におよぶ関係はギクシャクしたものとなり、同年、ファレルとメヒアはNYCBを去りました。
 翌1970年、ファレルとメヒアは大西洋を超え、モーリス・ベジャールに率いられた二十世紀バレエ団に入団しました。
 新婚カップルの退団と移籍は、文字通り、衝撃的な〈事件〉でした。アメリカのバレエの育ての親であり、多くのバレエ団に重要なレパートリーを提供している振付家バランシンの不興をかったバレリーナと彼女の夫を諸手を挙げて迎え入れるバレエ団は、少なくともアメリカには存在しなかった、と換言することもできます。
 その後、ファレルとバランシンは和解し、ファレルは1975年にNYCBに再入団しましたが、メヒアが同団に復帰することはありませんでした。

バランシン・クイズの回答です

1)左側の男性(ネクタイ着用)は…

 スザンヌ・ファレルの当時の夫、ポール・メヒア氏です。二人はその後、離婚、メヒアは同じくバレエダンサーだったマリア・テレジア・バロウ(Maria Terezia Balogh)氏と再婚し、現在は「Mejia Ballet Academy」を主宰しています。
 「The Artists --- バレエの輝き ---」に出演するローマン・メヒア氏はポール&マリア両氏の子息で、同アカデミーで学んだ後、NYCBの付属スクールで学んだ後、2017年にNYCBに入団、2023年にプリンシパルに昇進を果たしています。

2)右側の男性(白ジャケット/ベスト着用)は…

 モーリス・ベジャール(1927〜2007)氏です。二十世紀バレエ団が拠点を持っていたベルギー、ブリュッセルの空港でファレル&メヒア夫妻を迎えた際の写真です。
 ベジャール氏が他界された際、アビシニアン種とおぼしき子猫を抱いたポートレートが用いられていたように、ベジャール氏も猫派であられたようです。飼い主を失ったこの猫たちは、無事に新たな飼い主に引き取られた、と聞き及んでいます。

3)彼らが見ている3匹の猫は…

 「ボトム」「ミドル」「トップ」という名前です。
 ファレルがバランシン版『真夏の夜の夢』でタイターニアを演じる際、ロバに姿を変えたボトムとのやりとりがぎこちなかったため、バランシンはファレルに動物を飼うように助言したそうです。こうして彼女は、たまたま立ち寄ったデリカテッセンで黒白の子猫を譲り受け、「ボトム」と名付けました。その後、「ミドル」と「トップ」も加わり、ファレルとメヒアとともにベルギーに渡り、空港でベジャールの笑顔の歓待を受けた次第です。
 ちなみにバランシンも大の猫好きで、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』『ドニゼッティ・バリエーション』ほかの振付作品でも、ここぞという見せ場に、猫のジャンプに倣ったとされる〈パ・ド・シャ(猫ステップの意)〉がしばしばお目見えします。

 下記のベルリン国立バレエのレッスン映像の38分52秒から始まるコンビネーションに、バランシン好みのパ・ド・シャが使われています。39分18秒〜、バレエマスターのMr. Tomas Karlborg が〈パ・ド・バランシン〉と呼ぶ声が響きます。


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