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バランシンの祖先は、母国ジョージアと大国ロシアの狭間を生き抜いた(その3)

 ジョージ・バランシンの先祖には少なからず聖職者がいて、幼年期のバランシン自身、聖職者に憧憬の念を抱いていた時期がある。ニューヨーク・シティ・バレエ設立後には、ロシア正教徒にとってもっとも重要な祝日である春先の復活祭が近づくと、バランシンはめったなことでは欠勤しないバレエ団を休みがちになった。料理名人として鳴らす彼が教会の懺悔室ではなく、自宅のキッチンにこもり、盛大なイースターディナーの準備にいそしんでいることは、バレエ団関係者の間では暗黙の了解事項だった。リチャード・バックル ”George Balanchine; Ballet Master” には、バランシンと彼が手ずから調理した正餐を収めた写真が掲載されている。料理に精を出し過ぎたのか、少々、疲れた表情を浮かべているのが微笑ましい。

〈 バランシンの祖父は、ジョージアとロシアの狭間で出世の手がかりを掴んだ 〉

 エリザベス・ケンドールの“Balanchine & The Lost Muse” によると、メリトンの父アミラン・バランチワーゼは、ジョージア西部の中核都市クタイシ近郊のバノジャの教会が所有する農地を耕作する、農民の子供だった。〈church peasants〉と記されているが、アミランの生年から推測すると、教会の所領に帰属する農奴(英語表記はserf)だったのではないか。

 ロシア皇帝アレクサンドル2世(在位1855〜1881)が農奴解放令を宣言したのは1861年、メリトンが誕生する前年のことである。土地に縛られた農奴達を解放するはずだったこの法令によって、多くの解放農奴は法外な価格で農地を購入して負債を負い、土地所有者への隷属の度合いを強めるか、離農して都会に流れて職を求めるかの二者択一を迫られた。結局のところ、農奴解放令は、おおかたの農奴にバラ色の人生をもたらすことはなく、農奴制は20世紀まで存続することとなった。  

 一方、バランチワーゼ家の先祖は時代の潮目を巧みに見極め、聖職に就くことによって、ロシア帝国の片隅で社会的地位を向上させることに成功した。農奴解放令は、少なくとも農奴に対する身分の規制を解き、職業の選択と移住の自由を認めていた。アミランはクタイシの神学校に学び、近郊の教区プティで司祭に次ぐ〈輔祭〉になり、当地で地方貴族の娘と結婚、その後、バノジャに戻り、司祭に昇進する。農奴解放令発布前にはあり得なかった立身出世である。

 イスラム教徒が多数を占める国々が多いコーカサス地方では珍しいことに、ジョージアは隣国のアルメニア共々、西暦4世紀にはギリシア正教会の系派に属するキリスト教を国教としている。〈アミラン〉は、ギリシア神話のプロメテウスに相当する、キリスト教伝来前のジョージアで成立した神話の登場人物の名前であったため、司祭に任命されるにあたり、キリスト教の聖人アントニウス(251?〜356?)から派生した〈アントン〉に改名した。

 アミラン、改め、アントンは、教育熱心な父親にしてコミュニティの頼もしき世話役でもあった。長男のメリトンが6歳になった時に私塾を始め、息子に加えて、地元の子供達を自ら教えた。教区の人々は彼への返礼として教会を建設したというから、アントンはさぞや獅子奮迅の活躍をしたのだろう。
 8歳になったメリトンが父の母校であるクタイシの神学校に入学すると、アントンは妻と3人の子供を連れてクタイシに転居して、複数の居酒屋を開業した。子供の養育費を捻出するための奇策だった。

 息子を聖職者として大成させようとしたアントンの夢は叶わなかった。しかし、メリトンはジョージア音楽界の大家になり、その息子バランシンは20世紀を代表する偉大なる振付家となる。アントンが時代の潮目を読み取る才覚を持ち合わせ、教育の力、学問の力を信じたからこそ、彼の奮闘は次世代に引き継がれ、大きな実を結んだ。アントン・バランチワーゼは、ジョージアとロシアの狭間を生き抜いた、稀代の熱血教育パパだったのである。(2021年1月22日記)

ハチャブリ

参考文献:
Richard Buckle in collaboration with John Taras, “George Balanchine, Ballet Master.” New York: Random House, 1988.
Elizabeth Kendall, “Balanchine & The Lost Muse: Revolution & the Making of a Choreographer.” New York: Oxford University Press, 2013.

初出「健康ジャーナル社」ホームページ掲載「バランシン・ジャーナル」2014年9〜12月

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