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株式会社ユウキノインを設立します。

ゲーム廃人からの社会復帰、そして起業

2020年1月15日株式会社ユウキノインを設立します。

2005年から14年半在籍した「フォーマル専門店ノービアノービオ」「株式会社パーシヴァル」を離れ、独立起業を選ぶまでに1年半余りの時間を要しての選択でした。

周囲からは、「よく決断したね」と言われることもあるのですが、自分の中で、あまり「決断」というほどの大きなものではないと思っています。

ただ、考え、迷い、悩み抜いた末の選択であったことは間違いありません。
ですが、今は一片の曇りもないほど澄み渡っています。
不安がないと言えば、もちろんウソになりますが。

結果的に2020年、3年続いた厄年が明けるタイミングというのもひとつです。

前職に就く前の半年ほどの失業期間には割とガチで「働いたら負け」と思っていて、1日中世界を救うためにMMORPG(同時に多人数で戦うゲーム)に入り込んでいました。

某巨大掲示板に僕のキャラクターが「硬すぎる(防御力が高くて倒せない)」と、スレッドが立つほどでした。
チームであと1週勝ち抜けば日本代表じゃなかったかな?というような記憶もあります。

ですが、やがてそんな生活も将来への不安の重さが日毎に増し、眠れないようになる日も増えてきました。

生きていくためには仕事はせねばならず、前職に拾っていたただいたわけですが、数年は本当に使えないまま時間だけが経過していったクズ社員でした。よくぞ解雇されなかったものだと思うレベルです。

そんなある時、僕は大きな喪失感に襲われます。大切なひとが自ら選んだ死という出来事に、僕の人生や価値観、あるいは生きていくことへの考えは大きく変化をし、動きはじめました。

2005年から在籍した、タキシードや燕尾服を製造から卸売・実店舗とECによる小売を一気通貫で行うノービアノービオでは、ものづくりから営業、販売、接客まであらゆることを未経験から学ばせていただきました。

前職での活動や経験はECのミカタさんに連載させていただいているので、そちらをご覧ください。

12回~17回はこちらです。

こちらのコラムもボチボチ再開予定していこうと考えています。

コラムのタイトルの通り、何のスキルや特技もなく、ニッチな商材を販売するために取り組んできたことを少しずつ外でお話する機会を頂けるようになり、ここ数年は全国各地にお招きいただくことも増えてきました。

2014年から取り組んだ大阪地域密着型クラウドファンディング「FAAVO大阪」では設立時から苦楽を共にした、FAAVOの創設者であり、後に日本最大手のクラウドファンディングプラットホーム「CAMPFIRE」に転籍していた齋藤隆太氏も同社を退職、独立起業したというのも運命的にも思えます。

このクラウドファンディングサイトの立ち上げ、あるいは自らもファンディングを行ったことをきっかけにメディアにも数多く出演させていただく幸運にも恵まれました。

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(お台場フジテレビにて。左から、三浦瑠麗さん、松村未央アナ、スマートニュース松浦茂樹さん(スマートニュース))

お台場のフジテレビにお招きを受け、燕尾服を着用して出演させていただいたことは中々経験できないことだと思います。

毎年のように、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌にも取り上げていただき、先述のECのミカタのコラムも呼び水となり、全国へ旅することが年々増加。特に昨年は、北は北海道、南は鹿児島まで、その登壇回数は60回を超えていたと思います。

この全国での登壇や、200件を超える地域密着で頑張る方たちのクラウドファンディング起案のお手伝いをする中で様々な心境の変化が起こってきました。

自分のルーツ「鹿児島」で起きた変化

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そんな心境の変化が芽生え始めていた中で訪れた鹿児島が、僕の考えにまた大きく変化をもたらしました。

約20年ぶりに訪れた鹿児島で、桜島をみたときには自然と涙がこぼれました。その溢れ出る感情、その瞬間は、やはり自分の中の大きな契機となりました。

僕の両親は鹿児島の出身です。祖母が他界して20年余り、その地を踏むことは長らくなかったのですが、ここ数年は引き寄せられるように何度も行くようになり、この鹿児島でも新聞やラジオに出演させていただくようになりました。

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20代半ばでも「まるでニート状態」だった僕が、鹿児島県内で発行部数NO.1を誇る南日本新聞に掲載されたことは、親戚中にも大反響でした・・・。

その後も県下の新聞やラジオに取り上げていただいたことは、心配をかけた親戚中への面目躍如になったのではないか・・・と思っています。

20年近く訪れることがなかった鹿児島で、次々と素敵な人たちと出会えました。この3年で鹿児島に出来た知人が何十人いるだろうって指折り数えたら無性にドキドキしてくるほどです。

父と母の生まれた鹿児島の山間のちいさな町は30年後には消滅するのではないかという試算も出ていました。
よく考えたら25歳ぐらいまで僕の本籍もそこにあったんですよね。

時を前後して、鳥取県にもご縁をいただき、現在は県下の商工会など複数の機関に専門家登録をいただき、地元の銀行さんとの協業もはじまっています。

そんな中で、僕がやらねばならないことが、鹿児島や鳥取を筆頭に、地方にもたくさんあるような気がしてきたのです。

また、鳥取県は47都道府県の中で人口も経済規模もぶっちぎりで最下位です。

ですが、出会う人たちの人柄、想い、熱意、そして地域に眠れる原石のような資源や名産品に触れる中で、ここでもお手伝いするべきことがあるように思えてきたのです。

なにもないように思われる地方ですが、実はないものがないぐらい豊かなのではないかと感じることが本当に増えてきました。

鳥取県での活動の主軸は、鳥取中部にある湯梨浜町。東郷湖を擁する、「はわい温泉」などがある場所です。

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写真は湯梨浜町にある旅館からの日の出。本当に何もかもが豊かな場所です。

唯一無二の名前「ユウキノイン」に込めた想い

自分が会社をつくるにあたり、名前の候補は数十挙げました。

しかし、その多くが既に企業名として存在しているか、類似の言葉でのサイトが多かったため、最終的に「ユウキノイン」としました。

最大の理由は、その時にGoogleで1件もヒットしない唯一無二の名前であるということでした。

造語であるので当然といえば当然なのですが。

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SEO(検索エンジン最適化)のお手伝いをすることの多い中、かねてから指名検索(企業名・店舗名・自社商品)で1位になることの大切さを各地でお話してきました。

どんなに小さな企業・お店であっても唯一無二の名前は検索エンジンで絶対に最上位になることができるのです。

検索で1位はとても事業に有利に働きますし、大切なことではありますが、ここではSEOのO(オプティマイゼーション=最適化)が最重要で、
自社のお客さんが検索したときに「必ずそこへたどり着ける入り口を用意していくこと」におくことです。

ユウキノインには、お手伝いさせていただく方たちの
勇気の【印】となる存在でありたい。
勇気の【福音】をもたらす存在でありたい。
勇気を【引き出す】存在でありたいという想いを込めました。

印、音、引のインです。

ノインは独語の9(neun)でもあります。
9人の仲間で9回裏でも諦めない野球チームのように寄り添う方と取り組みたいという想いも込めました。

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ノイン(9)としてはロゴに描かれた九尾の狐の尻尾の数でもあります。
キュウビは元来、吉兆を知らせる神獣とされ、その姿が確認される世界は泰平の世とされてきました。
狐は豊作や商売繁盛の神様の「お稲荷さん」として、古くより人々に馴染み深い存在でもあります。

ユウキノインは、お手伝いする方たちに寄り添い、伴走する存在でありたいと考えています。

さぁ、歩みだそう

ゲームが上手い、絵を描くのが少しできるぐらいという、ビジネスで役に立つスキルなど皆無だった平凡以下の僕に起きたウソのような出来事はたくさんありすぎて書ききれないのです。

当面は1人会社ですが、会社を持つなんてもちろん初めての経験ですし、会社の設立や諸々の書類作成にも多くの方たちに助けていただいています。

2019-2020年は一人で振り返り、考えることへかなりの時間を費やしました。

ヘタレでサボりで豆腐メンタルの僕に務まるのか?考えると不安ばかりです。でも、楽しみもあります。

それもこれも自分で決めたことだから一歩ずつ踏み出していこうと思います。

何もなかった僕の最大の宝物は、この14年余りでご縁をいただいたみなさん。この記事を読んでくださっているあなたも、もちろん。

1日の終りに「なんか今日はいい日だった」と言ってまぶたを閉じれるように。

自分の命が終わるとき「なんかいい人生だった」と言ってまぶたを閉じれるように。

1日1日、1人1人を大切に、僕らしく、てくてくと歩いていきます。

どうぞこれからも宜しくお願いいたします。

さぁ、歩みだそう。

株式会社ユウキノイン
https://yuhkinoine.com

最後に、おねだり

こういう時の慣例行事となっている「ほしいものリスト」をつくってみました。神の降臨をお待ちしております。


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