【読む映画】『理性』

ナチス崇拝者をいただく者が権力に座るとき

《初出:『週刊金曜日』2019年10月11日号(1252号)、境分万純名義》

 それを見ると見ないとでは、同時代を見る視座がまったく変わるという作品に、ときどき出会う。『理性』はそうした1本だ。国際的にも非常に著名な、インド筆頭のドキュメンタリー監督、アナンド・パトワルダンの最新作である。

 2014年から国政を握るインド人民党(BJP)と、その母体であるヒンドゥ極右団体の民族奉仕団(RSS)や関連団体が、多様性を国是としてきたインドをいかに蝕んでいるか。その実態を、かれらを批判して凶弾に斃れた社会運動家、弁護士、大学教授、ジャーナリストといった人びとの闘いを顧みながら警告する。

 M・ガンディの暗殺犯であるゴードセーが所属していた RSS は、1925年の設立である。
 33年にわたって RSS の2代目総裁を務めたゴールワルカルは、ヒトラー崇拝を公言し、ナチスドイツのマイノリティ政策を模倣することがインドに有益だと説いた。ゴールワルカルの評伝のうち、最も知られているのが、現首相のナレンドラ・モディが肯定的に著わしたそれである。

 その “有益なマイノリティ政策” の実例というべきか、『理性』が描くのは、ヒンドゥ教で神聖視される牛を屠殺して食したと言いがかりをつけて襲われ、四肢を切断されて殺されたムスリム。あるいは、少女誘拐の冤罪を着せられて焼き殺されたダリット(かつての不可触民)の、炭化して硬直した遺体。

 これらは氷山の一角だが、モディのような人物が政治権力を握るとどうなるかは、2002年のグジャラート大虐殺で、とうに実証されている。
 当時、州首相でありながら虐殺を扇動したという疑惑の濃厚さゆえ、欧米はモディを入国禁止扱いにした。ところが、政治家失脚しても不思議でなかった彼を「救った」国がある。ほかならぬ日本である。この国の罪業の深さを、本作を見ながら、いちいち考えずにはいられない。

『理性』は8章からなるが、ひとつひとつが、それだけで長編ドキュメンタリーになるほどの重厚さを有する。ここでは、日本にまったく伝えられていない疑惑を包含する、「テロと その物語」という1章について述べたい。

 今春(2019年春)のインド総選挙運動中に、ゴードセーを「愛国者」と呼んだ BJP 候補者が当選した。プラギャ・シン・タクール(Pragya Singh Thakur)という女性議員だ。さすがに各方面からの非難を呼んだため、後日に撤回したが、選挙期間中のプラギャの問題発言は、ほかにもある。

 ここで思いおこさねばならないのは、2008年11月26日に起こった、ムンバイ同時多発テロ事件だ。パキスタンから侵入した過激派組織ラシュカレタイバ(LeT)の犯行だった。その最中、ムンバイ警察の対テロ特殊部隊(ATS)を率いる、ヘマント・カルカレ(Hemant Karkare)隊長が殉職した。LeT により射殺されたというのが公式見解である。

「11・26」を遡る2カ月前、ムンバイと同じマハラシュトラ州内のマレガオンで死者・重軽傷者100人以上を出す爆弾事件が起きた。
 カルカレ隊長をはじめとする ATS は、首謀者グループを逮捕する。そのなかに、国軍の現役中佐や元少佐などと並んでプラギャもいた。捜査から明らかになったのは、マレガオン事件の詳細だけでなく、それまでの7年間に発生した多くの爆弾事件のそれらや、さらには民主政体を転覆しようとする巨大な陰謀だった。

 がん患者であることを理由に保釈中のプラギャは、もちろん無罪を主張している。そして選挙キャンペーンにおいて、自分を逮捕したカルカレ隊長の死を「私が呪詛したから」と言ったのだ。

 彼女には皮肉だが、その発言によって、カルカレ隊長の殉職にまつわる疑惑が、あらためて注目されることになった。

 本作に登場する、元マハラシュトラ州警察上級幹部のS・M・ムシュリフ(S. M. Mushrif)と、カルカレ隊長から捜査報告書を受けとってマレガオン事件の訴追を担当した、特別公訴官ロヒニ・サリアン(Rohini Salian)。かれらの告発から漂うのは、大がかりな策謀の匂いだ。

 ムシュリフは、カルカレ隊長を撃った銃弾は LeT によるものではないと結論づける、弾道検査の報告書(ballistics reports)が存在すると言う。ではだれが? いったいなぜ?

監督:アナンド・パトワルダン
2018年/インド/218分
●山形国際ドキュメンタリー映画祭2019で上映。

参考記事:別ブログ「インド映画の平和力」から

(2019年9月3日付)
念願成就! アナンド・パトワルダン監督『理性』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)2019に!

(2019年10月8日付)
印パ紛争のビッグピクチャー⑤ アナンド・パトワルダン監督『理性』いちばんの見どころ! 11・26ムンバイ同時多発テロ事件にまつわる「闇」の奥深くへ

(2019年11月4日付)
『Who Killed Karkare?(だれがカルカレを殺したのか?)』

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