家族と仕事のはざまで藻掻く嫁。
きっと働くママなら誰しもが悩むトピックなのではと思ったり。
私の場合、子どもが生まれるまでは断然「仕事一色」な人間だった。とはいえ「バリキャリ」というつもりはなくて、単純に「仕事するのが楽しい!ずっと続けたい!」というようなノリだ。
しかし、子どもが生まれてみると(これも当たり前に誰しも経験することなのだろうが)やはり、とてつもなく身体が忙しくなり、睡眠不足に陥り、思考も奪われ、体力も奪われ、「子育て一色」に染まっていったのである。
これによる弊害はひとつ。知らず知らずのうちに「仕事ができない脳みそ」になってしまうこと。
単純に、今までと脳みその使うエリアが違うのである。子育てと仕事では、全くの別物なのだ。
そうすると、職場復帰ができるかどうかも、当然のことながら、不安になってくる。
実際、私はふたりめ出産後に相当藻掻いた。
私の場合、ひとりめ出産後は何とか職場復帰を果たしたものの、ふたりめ出産後はキャパ的に無理だなと感じてしまった。
子どもたちを保育園に預けて、自分もきちんと着替えて、外出に耐えうるおめかしをして(この時点でハードルが高い)、6時間なり8時間なり正社員として労働する(これもハードルが高い)ということが、とてつもなく途方もないことのように思えてしまったのだ。
「育児で相当神経使って体力的にもいっぱいいっぱいなのに、これ以上何を頑張れというのか」
「働くってなんだ」
「子育てってなんだ」
と、だんだん閉塞感にも似た気持ちに押しつぶされそうになっていった。
仮に、頑張って頑張って精一杯働いたとして、きっとすぐキャパオーバーになってしまい子どもたちに当たるだろうなということは予想がついたのである。
だったらいっそのこと、やめちゃえ。
そうすんなり思えちゃうくらいに仕事に対する未練はなくなっていた。
だって、子育ては一瞬なのだ。
仕事に関しては、自分が望むか望まないかは別として、そのポジションに穴があけば代わりはいくらでも居る。そう。「私が死んでも代わりはいるもの」である。
が、子どもたちにとっては、母親はひとりなのだ。私以外にいないのだ。代わりが効かないのだ。
そう改めて気付かされたときに、その責任感の重さゆえに、仕事に復帰したいという欲求が、しっぽりとしぼんでしまったのである。
なるべくなら、子どもたちには笑顔で接したい。もちろん叱ることはあるけれど、自分の余裕のなさとか、イライラをぶつけるような、そんな風にはなりたくない。そう思い、ふたりめ育休中にも関わらず会社に「やめます!」と宣言してしまった。
ほどなくしてリモート勤務がはじまった。
やめる!とは言ったものの、運のいいことに、知り合い(今の勤務先の社長)から「リモートでいいからウチ来ない?」とお誘いがきた。やめます!働きたくない!と言っていた矢先に、である。
しかし、リモート勤務となれば、事情がちょっと違ってくる。
おめかしの必要もなく、通勤時間0分で仕事できる環境が手に入るからだ。何ならノーメイクで寝間着のまま仕事をしてもいいわけである。何と素晴らしい(確信)
子どもたちを保育園に送迎する時間は勿論必要になるわけだが、そうはいってもTシャツにジーンズでOKな田舎の保育園なので、何も気兼ねする要素が見当たらない。子どもたちを送り届けて、帰宅すればすぐに「始業」だ。
しかもフルフレックスタイムを導入している企業で、日中はほぼ、ほかの社員さんたちは「活動していない」。エンジニアは往々にして夜行性の方たちが多いわけだが、例に漏れずこの企業のエンジニアたちも、昼夜逆転の生活を送っているようだった。
ほかの社員さんとのコンタクトが取りやすいのが夜間となると、私も時々、子どもたちの寝かしつけが終わったあとでSlackにINして業務上の質問をしたり、相談をしたりすることがある。それも勿論、業務時間としてシッカリ記録する。
「目標未達成のジレンマ」から開放された。
どうしても、日中の時短勤務で作業に遅延が生じると、キャパの問題もあるし仕方のないことだと割り切ろうとはするものの、独身時代の己の栄光がリフレインしてしまって焦りやイライラが募ってしまうものである。「昔はもっとデキたのに!」「ほんと、歳には抗えないのかしら」「こんな簡単な作業も出来ないだなんて、バカになったのかしら」などなど、自己嫌悪に陥ることも多々あるのだ。
が、リモート勤務であれば、日中完了できなかったタスクでも、子どもたちが寝静まったあと、夜な夜な作業に集中することができる。これについては賛否両論あるだろうが、少なくとも「目標未達成のジレンマ」を多大なストレスと感じてしまう私には、とてもよくマッチしていた。
働くママにとって仕事は「息抜き」に過ぎない。
子育ては「目標未達成のジレンマ」だらけである。というか、目標を立てることすらままならない。目標を立てたそばから、それが覆されるからだ。大人が勝手に決めた時間どおりに子どもが動いてくれる保証はない。だからこそ、母親はだんだんと、考えることをやめていく。
つまり、母親になってすぐの頃は、だんだんと「自分を殺していく」のである。「自分」はそのうちすっかり息を潜めて、ふいに「あれ?私ってこんな性格だったっけ?」と迷子になってしまう。
そんな状態から急に社会復帰を果たすと、解き放たれたかのようにかつての「自分」を思い出し、徐々に自己を取り戻していく。何なら、子育てにおける「目標未達成のジレンマ」を、社会では堂々と、いとも簡単にやってのけられてしまうのだ。働くママはみんな思う。
仕事、チョロい。
ほんと、チョロいと思う。何なら遊びだ。息抜きだ。子育ての息抜きをしているのだ。それくらの気持ちになってしまう。
リモート勤務だから果たせた子育てと仕事の両立
そうやって私は、リモート勤務のおかげで子育てと家事と仕事とが、全てごちゃ混ぜでうまく回るようになった。
時間が足りなければ夜やればいいやーくらいの感覚で、朝、保育園に子どもたちを預けたついでに食材を買い出しに行き、銀行や郵便局などの用事を済ませ、帰宅して一通りの片付け掃除をし、一段落したら仕事を開始し、雨が降れば外に干していた洗濯物を慌てて取り込み、子どもたちのお迎え前に夕飯の仕込みを済ませ、時間が来たら子どもたちをお迎えに行く。
そんな生活である。仕事?家事?子育て?全部ごちゃまぜだ。
何なら子どもが熱を出せば、連れて帰って昼寝をさせている間にちょこちょこっと作業できる。起きればやめればいいし、Google Meetを利用したオンラインミーティングには、膝に座らせて一緒に参加してもOKだ。オフィス出勤型の業務形態ではまず成立し得ない世界である。有給を消費することもないし、会社に対しても、余計な気を回したり、気兼ねしたりしなくていいからよっぽど心にやさしい。
公私混同と言われてしまえばそれまでなのだが、子育てにはぶっちゃけ公私など存在しない。子どもが熱を出せばその時点で仕事は切り上げ。子ども優先で看病をしてやるからだ。まぁ、よっぽどの仕事人間でない限りは、ということにはなるが。
まとめ
とてもよく働いているママさんや、仕事で疲れているママさん、通勤時間が長いママさんや、子どもが体調を崩しがちで有給を消化しきってしまったママさんなどを見かけるたびに思う。みんな、リモート勤務になればいいのに。と。そうすればもっと、ラクになれるのに、と。
子育てをするにあたっては、ママがニコニコしているのが一番だという持論がある。ニコニコするためには、メンタルが安定していないといけない。メンタルを安定させるためには、仕事に対しても、家事に対しても、言い方は悪いが、そこそこの力で臨むのが大事だと思っている。全力でいってはダメなのだ。なぁなぁでいることが大事なのだ。
宮崎弁でいうところの、てげてげ。
これが大事なのだ。
てげてげに働いて、てげてげに家事をして、余った時間で、子どもたちとハグしたり笑ったりする。これだけで十分に幸せだと思う。
リモート勤務は、その環境が手に入りやすいという意味で、本当に、働くママさんにはベストレコメンドである。
もちろん、働くパパさんにも。
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