リモートワークデビューを果たした話。

前回の続き。

ふたりめ出産後、改めて職場復帰を目前としたときに、リモートワークが最適なのではと考えるに至った私は、早速上司に面談をセッティングしてもらい、リモート勤務させてくれと頼んでみた。そのときに上司は

俺は子どもも産めないし、産めるのは女性の特権だと思ってる。それに子育てできるのも親の特権だと思ってる。だからこそパパママが働きやすい環境を整える必要があるし、そういった要望があれば柔軟に対応していきたいと考えている。でも、今回の件は俺の一存で決められることじゃない。だから次の役員会議まで待ってくれ。

というようなことを言った。何てデキた上司なんだ!素敵!惚れる!と感動して涙がちょちょぎれそうになった。というか半分泣いていた。

本当に私は今振り返ってみても上司に恵まれていたと思う。私も、生意気にも新人の頃からやりたいことや言いたいことがあったらすぐにそれを上司や社長に伝えてきたし、しかもそれを上司も社長も受け入れてくれてきたので、相当にワガママ放題、好き勝手に、甘やかされて育ってきたように思う。

しかし、最終的な答えはビミョーなものだった。

後日、上司から連絡があった。私はひとりめ復帰時と同様に、広報活動の一貫としてデザインをさせてもらえたらいいなと考えていた。しかし、上司からは意外な提案を受けてしまった。

リモート勤務は可能だが、デザイナーの人員が慢性的に足りていないから最前線に戻ってほしいと、そう勧められたのだ。しかも今までとはまた別の、マーケティングを専門とする部署へ、だ。

ある意味、花形の部署ではある。マーケティングに精通しているデザイナーというのはとても強い。データと分析の上に成り立つデザインをするわけだから、より「ロジックに基づくデザイン」が身につく。そういった意味では、己のスキルをより高められるという点で、より一層成長が見込める。

が、今の私は子育て中の身だ。何なら子育て全フリくらいな勢いで子どもや家事と向き合っている。マーケティング部に異動してほしいと言われたとき、ただでさえプライベートでヒーヒー言っているのに、これ以上何を頑張れというのか。という思いが先立ってしまった。

その時点で自分は「終わっている」と思った。

ペーペーの社員だから、経営とか資本主義の仕組みとか、そういうことは分からないのだけれど。元来、会社は「成長し続けなければならない」という命題を抱えているのだと思う。そして特に、ベンチャー企業はその傾向が強いのだと思う。つまりその企業に籍を置く社員にも、その二文字はついて回るわけで、「オジサンそんなことにはついて行けないんだ」と言った時点で、いや、そう思った時点で、その人の成長は止まってしまうのだと思う。

私も育児にしか意識が向いていないから「オバサンもうついて行けないんだ」と思ってしまった。その時点でもう私の成長も止まってしまっている。つまり、そんなヤツが会社に復帰したところでお荷物でしかないわけである。言わば老害。ターンオーバーしそこなった角質組織。ホクロ。ゆくゆくガンの原因にもなり得る、そんなやつ。

広報のままでいいよ、と言われていたらまた違ったのかもしれない。「ひとまず広報のままで、子育てが落ち着くまでゆっくり社内デザイン手伝ってよ。それでまた、バリバリ稼ぎたい!働きたい!もっとやれる!て思ったタイミングで、前線に戻ってくれたらいいからさ」と言われていたら、安心して戻っていたかもしれない。

ちょうどそんなタイミングで救いの手が差し伸べられた

戻るか戻らないか、うんうん悩んだり、もういっそのこと働くのをやめて専業主婦になるか、と考えたりしていた矢先のこと。facebook メッセンジャー経由で東京にある会社の社長からメッセージが届いた。

彼とは仕事を通じて仲良くなって、お互いの価値観について共有したり、映画やドラマの感想を言い合ったりするような仲だった。何なら私の結婚生活についても相談したり、アドバイスを貰ったりしているような状態で、私がとても大好き!かつ敬愛する人のひとりだった。

そんな彼がふと、「元気?子育ての調子はどう?」といった具合にメッセージをよこしてきたのだ。すかさず現状を報告する私。復帰を悩んでいて、何ならもう働きたくないのだと正直に告白した。すると彼は

「うちでリモートワークする?」

と聞いてくれたのだった。働きたくないと正直に告白しているにも関わらず、だ。頭がオカシイ(そのままの意味で)。

真面目な話、リモートワークならやれそうと思った

前回のノートでも書いた通り、リモートワークはママにとってメリットしかない。よくデメリットとして「社会との繋がりが薄れるから心のバランスを崩しやすい」なんてことが挙げられたりするが、これについては正直、「産休育休を経験したママをナメんなよ」と言いたい。

閉鎖空間と呼ぶべきか、閉塞感の塊と呼ぶべきか、社会人はおろか大人と隔絶された世界で1年以上も子どもと向き合いつつ過ごしてきたのである。もうその時点で「社会との繋がりが薄れて心のバランスを崩しきっている」のだ。もうどん底なのだ。

そこからリモートになるということは、どん底スタートのママにとっては何でもない。むしろSlackやGoogle Meetを通じて大人と対等にコミュニケーションできることが、喜びでしかない。

もしプロジェクトの進行上、密に連絡を取り合ったほうがメリットがあると判断された場合には、出張と称して東京に飛んでいってリアルで対面しつつお仕事すればいいし(私の中ではこれをオフ会と呼んでいる)、分からないことがあったり、進捗が思わしくないことがあったりすれば、すぐに上司に報告して面談をセッティングして貰ったりできる。

そういうことが瞬時に頭に思い浮かんだので、きっとやれる、と思った。

声をかけてくれた東京の彼にも、ふたつ返事で「やる!」と答えたのだった。

それから即座に辞表を提出した。

決心を固めてからは早かった。「辞表 書き方」でググってあれこれ情報を仕入れて何度か練習し、清書して封筒に入れ、筆ペンで「辞表」と表書きしたものを用意した。上司に連絡して辞表提出の旨報告し、再度面談をセッティングしてもらった。

いざ辞表を提出となるとドキドキして気持ち悪かったが、いざ出してみるとスッキリしたというか、肩の荷がおりたというか、ふっと力が抜けたような、そんな感覚だった。

上司にはとことん甘えさせてもらったし、とてもリスペクトしていたので正直に話そうと思い、「次は◯◯に行こうと思ってます」と東京の彼の会社の名前を出したら「あぁ〜!あそこか〜!リモート勤務かー!フルフレックスだもんな〜!あそこには確かにウチは勝てないな〜!!!(笑)」と頭を抱えられてしまった。

辞表は出したものの、私の中では「退職」というよりは「卒業」という方がしっくりきていて、まだ学生だった頃にインターンでジョインさせてもらって以来、ウェブデザインの基礎から実践・応用までイチから叩き込んでもらい、前線で闘えるだけのスキルを身につけさせてくれたのがその会社だった。ずーっと学生の延長で、部活だかゼミだかに参加している気分だった。社会人として働いていたわけだけど、常にそこが、学び舎だったのだ。

プレッシャーを幸せに変えてくれた東京の彼の言葉

学び舎をやっと「卒業」したからには、今度は自力で闘っていかなければならない。とも思った。ふたりめ出産で足掛け3年近くブランクのある私には相当なプレッシャーでもあったが、自分の力を試すいい機会だと思っていた。でも、そうやって意気込んでいたところで、社長な彼から

「今まで僕の会社にはデザイナーなんていなかったから、君が抜けても会社には何ら影響はないんだよ」「デザイナーの代わりはいくらでもいるけど、ママの代わりはいないんだよ、子育ては一度きりなんだよ」

と画面上で言われ(正確には、書かれ)その文字列を見ながら号泣していた。更には

「君の子どもたちが僕たちの老後を支えてくれる世代だもの、大事に育てるよ」

とまで言ってくれて(正確には、書いてk ry)「一生着いていきやす!!!(涙)」となった。本気で。

仕事も大事だけど子育て重視でいいんだからね、と言ってくれたのだ。何ていい人。何て素晴らしい会社。こんなに幸せでいいんだろうかと思った。ひがまれて後ろから刺されるんじゃないかとすら考えたりした。

捨てる神あれば拾う神ありとは言うけれど、本当にそうなのかもしれないと思った。リモートワークしてみたいなと考えていたら、本当に声をかけてくれる人が現れたのだから。

こうしてリモートワークがスタートした

主人がリモートワーカー第1号になったのに続き、妻の私もリモートワーカー第2号になった。晴れて、夫婦でリモートワーカーとなったのである。

もう少し、つづく

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